許すことができない人間がある日突然ぱたりと死んだとして。
たぶんわたしは彼が死んだらさした葛藤もなく彼を許せるのだろうなと思った。
「どうしてあんな小さなことを気にしていたのだろう」、と。そういう想像力があるから人間は人間を許せるし愛せるのだろう、とか、そういうことを考えた。
確固たるなにかがあって今感じている憎しみや嫌悪感や絶望があるわけではないのかもしれない。そうなのだろう。その人が死のうが、苦しもうがどうしようが絶対に許さず同情せず憎み続ける。そんな意思すら持てない。
持たないほうが生きやすいのだろう。生きやすいからなのか、本能としてそういう頭のつくりになっているのか、いやそんなことはどうでもよくて。
わたしが死んだほうがいいのだ、というところに帰結してしまうのは思考停止でしかないんだよなあと思う。
こういう思考はあと10年も経てば風化するのだろうか。時間が解決するってほんとくそだな!!!!!!世界で一番あほらしい。
わたし自身のちからで憎みたいし嫌いたいし許したいし愛されたい~~。はあ。
などということを2018年のわたしはevernoteに書いていて、2020年のわたしはそれを読んでありありとそのときの気分をなぞることができたのだった。