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2025-01-20

海老名の思い出

その昔、海老名に住んでいた頃を思い出した。

ダイクマファミコンソフトを買ってもらい嬉しかった。ポトラッチ洋画ビデオ邦楽CDを借りた。

厚木ナイロンの近くのドブで釣りをして、水道みちの水たまりザリガニを取りった。

ちかくのキャベツ畑には、理科で使う青虫を同じ班の子たちと取りに行った。

ニチイには、いつもアドバルーンがあがり、ひようたんやまの近くの崖からはそれがよく見えた。ピープルというスイミングに通い、ワーナー・マイカルはまだなく、スケートリンクだった。寒い中、自販機カップラーメンを食べる大人がうらやましかった。映画館厚木に行かないとなかった。

初めて食べたハンバーガーは、ニチイのロッテリアだった。反対側のステージには、戦隊モノの催しがきていた。

久保へむかうトンネルは未開通で、駅前に行くには細いクネクネ道を通り、歩くにはしんどかった。やがてバスが開通して、駅前には行きやすくなった。トンネルには右翼張り紙がたくさん張られていた。

相模線ディーゼル車両にはトイレがついていた。便器は覗くと地面見える、垂れ流しのトイレだった。踏切うんこをしたら車が踏むのではないか心配した。

市立図書館夏休みによく通い、最上階のプラネタリウムを何度もみた。なぜか担任先生がそこにいたこともあった。文化会館ではドラえもんや、ジブリの上映があった。

学校の校庭には焼却炉があり、掃除時間にはごみを持っていって燃やしてもらった。教室には灯油ストーブがあり、先生マッチで火をつけていた。煙突給食ストローを溶かして遊んで怒られた。夏休みに、学校へいったらプレハブの校舎が空いていたので、中に入っていたら警備員がやってきて、翌日先生からこっひどく怒られた。鍵をかけない先生がいけないのにと思った。

自販機コンビニなんてものは近所にはなく、酒屋がビール灯油を家まで運んでくれていた。ペットボトルをなく、ジュースといえば、瓶のバャリースオレンジだった。なぜ「ャ」が小文字なのか分からなかった。

駄菓子屋はなかったが、個人商店に行けば体に悪そうなオヤツがいろいろ売っていた。キョンシーのお札のガムがお気に入りだった。

海老名駅は自動改札なんてものはなく、駅員がパチパチ切符を切っていた。駅前にはテキ屋があり店主は知り合いの親だときいていたが、当時はなんとも思わなかった。

懐かしい40年前。仕事関係で住むには遠いがいつか帰りたい場所だと思っている。住んでいる人がうらやましい。

駄文で失礼しました。

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