そこで見た大人の人間関係が大変いびつであったことを思い出した。
まず、そのクラブの大人のヒエラルキーは大人の貢献度で決まる。
毎週クラブに顔を出し、親が監督やコーチになったり、親でない監督やコーチの世話をしたり、子供たちを試合会場に車で送迎できるとヒエラルキーが高くなる。
また、上の兄弟がスポーツクラブに所属していた過去があれば、その実績値も加算される。
ヒエラルキーが高い親の子供は優遇され、そうでない子は冷遇される。
そして、親のヒエラルキーが高いことによって厚遇されているということが、また親のヒエラルキーに反映される。
親がクラブ活動に貢献しているから、子供がレギュラーになり、子供がレギュラーだから親のヒエラルキーも上がる、といった具合に。
子供の能力もある程度は評価されるが、良いポジションや良い打順は高いヒエラルキーの子供だった。
後に親から聞かされたが、ぼくは能力順ならレギュラーになれたが、親のヒエラルキーが低いので先輩にレギュラーを奪われていたらしい。
ここまでが子供時代に見たことで、大人になって思い出してみると、ますますいびつさが増す。
まず、子供時代に見た、保護者ヒエラルキーは必ずしも親の年収や社会的地位とは比例しないということだ。
むしろ、土日祝日に他にやることもなく、子供の球遊びを熱心に追いかけ、小さな社会での地位競争に明け暮れる人が、自身の属す社会集団でどういう立場であるかは容易に想像できる。
自身の上がり目のない人生に早々見切りをつけ、子供の人生に自分の人生も託して、次世代の競争に賭けていたのだ。
今にして思えば、なんと退屈な人生で、子供に対して無責任な態度なのだろうと思う。
でも、地元の行く末を後追いできる今ならば、彼らが自分の人生に見切りをつけたのは間違いではなかったとは思う。
ただし、子供もスポーツで成功したという話は聞かないので、賭けに勝ったとも言えないのだが。
とはいえ、そんな子供時代やスポーツクラブを呪っているわけではない。
あんな無為で小さな社会で、ぼくのために人生を浪費してくれなくて良かった。
親のヒエラルキーの壁を超えるほどの天才的な活躍ができれば、ぼくも勘違いしてスポーツの道にのめり込めたかもしれないが、そんなことはなかった。
早々見切りをつけてスポーツで上を目指すことを諦めたことは、後の人生を助けてくれた。
そして、歪な親社会にフリーライドできたこともまた事実なのだ。
熱心な親たちのお陰でぼくたちの練習や遠征が成り立っていたし、低ヒエラルキーの子供でも、それなりに父兄は面倒を見てくれた。
彼らの歪な関係性のおかげで、ぼくは楽しく皆と遊べた。
ぼくが親になっても、彼らのようにクラブヒエラルキーを追い求めるのは無理だろう。
今でも全肯定はしないけど、それでも当時はあれで良かったのだと思う。
大人ってあんまり楽しそうじゃないと思っていたけど、子供の頃に想像していたよりは楽しい大人になれているし、ぼくにとっては良い経験だった。
そもそも子ども自身が強く望んでないのに IT時代にそんなのやらしてる時点で割とどうしようもない親だと思う これがアイビーリーグ受験対策でやってますってなら『そうなんだ』・・...
たかが子供のスポーツでそうなのか 全然関係ない自分語りでもうしわけないが子供の頃からだが大きかったからまじめにやってる子より成績良かったりしちゃったので変に実力主義なの...
99%の才能のないガキの能力なんて基本団子状態だろうから差をつけるのは親の貢献度くらいしかないんだろうな
親の多大な貢献ありきなシステムなんだろうし、ヒエラルキーの下側だったとしてもヒエラルキーがある方が合理的かもね。
わざわざ他人の人生腐さないとアイデンティティたもてない増田(´・ω・) カワイソス
そんな言うほど歪かな?地域のスポーツクラブて、ボランティアで、言ったら遊びやぞ?
保護者ヒエラルキーは必ずしも親の年収や社会的地位とは比例しないということだ 逆に全然関係ないとこで親の年収や社会的地位と比例する方がめちゃめちゃ歪だと思うが その世界の...