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2024-10-30

DEIはなぜこんなにも嫌われてしまったのか

ポエムなのでソースはないです。最初ポジション宣言しておくと、俺はDEIには肯定的というか、まだ何か可能性があるのではないかと信じたい派。

俺が思うDEIのいいところ

DEIのいいところはDEIのI、Inclution、包括性にあると思う。これは単に性的マイノリティを包括して1つのチームで頑張ろうぜというだけではなく、年齢、人種国籍による先入観を持たず、その人の個性尊重して共同作業しよう、生産性を高めていこうというところにあると思う。

この理想像はかつてのアメリカ理想像に重なるところがあると思う。様々なバックグラウンドを持つ人がアメリカという新天地自分の夢をかなえるアメリカンドリームをより一般的にした概念がDEIだと思う。

なぜDEIが嫌われてしまたか

イメージ戦略の失敗

表層的にはここが一番大きいと思う。性的マイノリティがDEIを自分エゴ正当化する大義名分としてしまったため、そのほかのDEIをなんとなく知っている層への押し付けになってしまった。トランス女性トイレ問題や、ゲームなどにこれらの押し付けが出てしまっているので、なんとなくDEIを知っている人がDEIに対して嫌悪感を持ってしまった。

結局のところ、全てが階級闘争だったのだという現実

古くは共産主義極右民族最近ではオタクなど、全ての集団発言権を強化し利益を増やすための階級闘争に挑む。DEIが考慮すべき包括すべきとした性的人種国籍におけるマイノリティは実はマイノリティとして理解され協調しながら社会の一員になりたいわけではなかったというところがDEIの失敗の根本原因だと思う。

今のアメリカの分裂も詰まるところ白人アフロアメリカン、インド既得権益層と、これからアメリカに入ってくるヒスパニックメキシコ以南)、モンゴロイド(つまり中国人)との階級闘争なのだと思う。DEIの受容の精神は受容する側が好ましく思う限りにおいて受容できるという話に過ぎず、では受容可能な限度とは何かというと、自分立場が脅かされない程度ということになってしまう。今のアメリカには完全なフロンティアなどすでになく、ゼロサムゲームなのだとしたら新規参戦があることはイコール自分立場が脅かされることになってしまう。 無限の包括性は不可能であり、DEIは理論破綻しているのだ。

ではどのようにマイノリティが受容されるべきかとなれば受容する側の受容忍度を変えるほかなく、それは今までの民族開放運動のような形となり、結局のところDEIは従来の開放運動看板を付け替えたものにならざるを得ない。

じゃあどうすればいいのか

わかりません。みんなが笑って暮らせればいいのにね。

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