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もしくは60万くらいでやってもらって、素直に負けて、控訴する、とかかな。
介抱する人間がいない状態で理性を失うまで飲んだらその後の行動のコントロールができなくなるんだから、
ちなみに実際ヤる時はほぼ見えない
反AI絵師と肯定派がバトって良く荒れてるけど、これって昔よく見たMMOのbot問題に似てるなーと思った
なんか状況が似てて面白い
生成AIもbotも、要するに「自動で大量生産」してる。そりゃ人間が頑張って作ったものの価値なんて暴落する
今の生成AIの問題に近づけるなら、botが高性能化してエンドコンテンツのレイドも回せるようになったみたいな感じになるのかな
そもそもMMO自体が下火だから、そういう話はあまり聞いたこと無いけど
これ、MMOで例えたら「みんながbotを使えば問題解決!」って言ってる感じ?
botを一番賢く大量に運用できたプレイヤーが勝つみたいな価値観
そこにRMTが絡んできちゃったらもうまともなゲームにはならなそう
この映画は、ならず者のアントン・シガーが金の鞄を追う男を追いかける、壮絶な追跡劇でございます。シガーが持つ無慈悲な殺しの哲学が恐ろしいほどリアルに描かれております。「殺し」という行為が生きるために必要であると自己満足してしまう人間の姿を見事に浮き彫りにしました。
増田の言う通り、殺すことには「物語」が必要であります。農村での狩猟やエジプトの犠牲祭、どちらにも強い宗教的、文化的な裏打ちがあり、その物語が行為を正当化し、人々の心に一種の安堵をもたらす。また、物語がなくても無慈悲に殺してしまうキャラクターも映画の中で描かれることで、物語の持つ力を強く感じます。
殺しには意義があり、その意義は物語によって生み出される。ただし、薄っぺらい物語に騙されず、しっかりとした歴史や文化に根ざした物語を紡いでいくことが重要でしょう。ですから、“昔からの屁理屈”、“畜魂碑”など、そういったものを大事にするべきという意見に強く同意いたします。
ないほうがいいのでは
https://togetter.com/li/2412556
↑について、ブコメでこう書いた。
一昔前の農村では当たり前で必要なことだった、と勿論理解できるが、今時の都会育ちの分際でこれに何の感情も揺さぶられないならそれはそれでヤバいヤツでしょ。やったこともないのにドヤるのとか。
で、ちょっと違うのだけど、自分は昔知り合いにハンターがいて、鹿をさばくのをちょっと手伝わせてもらったことがある。
またエジプト滞在期があり、親しくなった友人に犠牲祭に呼ばれ、喉を切って屠った羊をさばくのも少し手伝った。一緒にいたポーランド人の友人は目眩がして「とても無理」と言っていたが、わたしは全然抵抗がなかった。
自分は郊外育ちの甘ちゃんで、好きなテレビはダーウィンが来た、愛犬のためなら死ねるアニマル大好き人間だ。動物をいじめてるやつがいたらぶっ飛ばす。
それでもなんか、屠ることに理合いがあり、特に宗教的裏打ちがあると心理的抵抗がなくなる。というか、そういう物語なしで無意味に殺せる人はヤバい人だ。
何か言いたいかというと、殺す、殺さざるを得ない場面には物語が必要で、物語があれば甘ちゃんでも動物くらいは屠れるということ。
そういう要素、広義の宗教的なストーリーを無視して殺すべきとか違うとか言っても、なんか的が外れてる気がしてならない。
農村で獣を殺すにも、昔は色々屁理屈をつけていたと思うよ。畜魂碑とかもあるし。
逆に物語さえあれば人は動物も人も平気で殺すから、ぽっと出の怪しい物語を軽々しく信じてはダメ。
枯れたやつで細々やるのが良いのよ。。
Kindleの内容も全部消えるでしょ。
暇アノンにはネカマバレ沢山居るし、百歩譲ってネカマまでは許せても、婚活中の50代に見える男性が、2児の子持ち経産婦騙って出産の痛みについて語ってドヤ顔してるの無理すぎる。
本気で気持ち悪い。
https://x.com/Kakitsubaki/status/1819193643959525875?t=aAmMQJLMGPZv9kaZaNN1Aw&s=19
オートで嘔吐じゃん