[go: up one dir, main page]
More Web Proxy on the site http://driver.im/

膝のお皿にヒビ見つかった

膝関節が曲がらないようサポーターで固定された左脚

 1週間前に不注意で転び、左膝を傷めた。つえを使わないと歩けないほどの痛みが、2日後には膝を曲げなければ恐る恐る室内を歩けるようになり、鎮痛・消炎の湿布薬を貼るのもやめた。

 

 とはいえ、いすや便座から立ち上がる時にチクッと痛みを感じ、浴室では足を組んで座ることができないので、骨折しているかもしれないと思い、1月11日、痛風と手指の骨折を診てもらっている整形外科医に相談した。

 

 レントゲン撮影をしたところ、膝の皿にヒビが入っていることが判明。先生はヒビと骨折は同義語だと言う。

 

 ただちに「二―ブレース」という膝関節を曲げさせないための帯がズボンの上から巻かれた。膝部分だけが見え、その上下を幅広のマジックテープでしっかり固定する装具だ。

 

 医療保険の適用外らしく、病院の領収書には自費明細の「材料費」として7700円と記載されており、会計窓口で請求額を告げられてびっくりした。

 

 痛み止めの薬と貼り薬については処方するか否かを聞かれたが、装具を着けることについては何も聞かれず、「1カ月ぐらい使って」とのことだった。

 

 入浴時も「できるだけ膝を曲げないで」と言われたが、何よりも困るのは洗い場での姿勢。以前、別の病院で入院時にシャワー室にあったいすを思い出し、先生に相談すると、「安いものでよいでしょう」。看護師は「『介護用風呂いす』で検索するといっぱい出ますよ」と助言してくれた。

 

 帰宅後、早速通販サイトで検索すると、折り畳み式のものは安くても1万円前後はする。安くて使い勝手のよさそうな製品を選び、ポチリ。

 

 思わぬ出費の次は2月8日に予定しているナマハゲを現地に見る秋田旅行だ。骨折の治癒を待っていてはキャンセル料が発生する。近日中に取り消すか決行かを判断しなければならない。転倒骨折の余波は思いのほか長く続く。

ドタンと転倒 七福神めぐりドタキャン

 一瞬、目の前が真っ暗になり、植え込みに突っ伏していた。「あ、転んだ」とわかると、体中から力が抜け、反転することさえできなかった。

 

 1月4日、夜の出来事。娘と孫が正月休みを終え、車で帰るため、荷物運びを手伝い、駐車場に止めた車のトランクに入れる直前、コンクリートの俥止めにつまずいたのだ。足元への注意がおろそかになった。

 

 なんとか体を反転したが、立ち上がる力がなく、しばらくの間呼吸を整えて妻と娘に腕を引っ張り上げてもらった。両膝に痛みが走る。娘は、顔に擦り傷があると言う。

 

 娘に肩を貸してもらい、マンション10階の自室にたどり着いた。着衣を脱ぎ、膝の擦り傷にガーゼを当てた。その上を保冷剤を挟んだタオルで巻いた。

 

 しかし、打撲した膝の痛みは激しくなり、1歩ごとに「いてて」と発し、息を吸い込み、文字通り一呼吸入れながらの移動。妻からつえを借りた。多少の助けにはなる。

 

 この分ではあす5日の七福神めぐりに参加できそうにない。西東京市が体力づくり教室の一環として行っているもので、今年は「下谷七福神ウォーキング」。午前8時、田無駅ペデストリアンデッキ集合だから、その前に欠席を連絡になければならない。そうしてくれるよう妻に頼んだ。

 

 新年早々、災難に見舞われ、ドタキャンを起こすなどどうして予見できようか。しかし過失ゼロとは言えない。老いては注意の上にも注意を重ねなければならない。

年賀状、出しません

 2025年も三が日が過ぎ、もう年賀状は来ないだろうと集計したところ、21枚あった。24年に私が出した枚数のほぼ半分だ。

 

 同期入社の「戦友」、赴任先でひとかたならぬ世話になった人、数は少ないが大学同クラスの縁でつながる飲み仲間、同じ職場で苦楽を共にした後輩、絆の強い親戚―。

 

 かけがえのない人たちが言葉をたくさん連ね、あるいは短い添え書きで生きる覚悟や喜びを伝えてくれる。ありがとうございました。

 

 今年から年賀状を誰にも出さないことにした私は、21枚を何度も読み返した。そして思う。対面できる何人かに、この欠礼をどう話そうか。会うことがないであろう人とはこれで絶縁となるのか。

 

 ごめんなさい。でも、誰にも出さないつもりです。何かを伝えようと思わない。好奇心は薄れ、向上心はもう必要ないようです。体は思い通りに動かなくなった。葬式は家族だけでよい。いや、しなくてもよい。そんな心境ですから。

孫のおみくじ「半吉」

赤い箱は自動おみくじ機。「半吉」が出た=西東京市、尉殿神社

 1月2日の昼下がり、正月休みで来ている娘と小5の孫、それに妻が「お散歩」に出るという。足が弱ってきた私は少しでも筋力を回復しようと同行することにした。

 

 散歩の主目的は自宅から一番近い尉殿(じょうどの)神社への初詣。参拝を終えて、拝殿の自動おみくじ機にコインを入れて引いたくじは孫が「半吉」、妻が「吉」。

 

 半吉は初めて目にした。おみくじは業者が作って神社に納めているのだから、この神社特有のものではなかろうと思ったが、吉よりどのくらい運が悪いのか順序を知りたくて帰宅後、インターネットで調べた。

 

 神社本庁など権威ある筋のおみくじ解説にはたどり着けなかったが、半吉については実に多くの投稿があり、吉の次に凶寄りらしいことがわかった。吉と凶が半々とか、半吉の割合は20本に1本で非常にレアとの記述もあった。

 

 孫には発達障害があるから、これから先、困ることが起きても良いことにも恵まれる、と悲観はしない。孫に限らず、健常者だと思っている自分の人生を振り返ると、吉凶あざなえる縄のごとしではなかったか。

今年の聴き納め さん喬独演会

今年の三鷹の落語会の締めとなる柳家さん喬独演会は「満員御礼」で有終

 12月21日、東京・三鷹柳家さん喬独演会(昼の部)に行った。運良く前から2列目、正面に向かってやや左の席を予約できていた。

 

 三鷹の落語会は今年これが最後。会場入り口には満員御礼の貼り紙が出ていた。

 

 前半は前座の柳家小きちが『黄金の大黒』を演じ、さん喬は冬の過ごし方など季節の話題をマクラに『刻(とき)そば』に入り、『抜け雀(すずめ)』と2席を演じた。

 

 そばはもともと関西のもので、店名に多い「砂場」は豊臣秀吉大坂城築造に由来するとか。政権とともにそばも東へ移り、徳川幕府になって江戸にそば屋が増えた。上方での演目は『時うどん』というそうだ。

 

 後半は「一門ではないが、さん喬師匠から声をかけられた」という柳家福多楼が独特の甲高い声と激しい動作で『反対俥(ぐるま)』を熱演。

 

 さん喬は師匠の五代目小さんがばくち嫌いだったことを紹介しながら、ばくち好きの左官の娘が吉原の遊郭に身を投じて繰り広げられる人情噺(ばなし)『文七元結』へといざなった。

 

 登場人物が多く、脈絡がわからなくなる部分はあったが、全体としては理解できた。聴く方も疲れる大ネタだ。

 

 落語はこれで聴き納めだが、笑い納めとならないように日常の中で笑えるネタ探しをして日々を過ごしたい。

文化財と東大演習林 初冬の旧田無市を歩く

まちなかに残る市文化財の稗倉=西東京市田無町2丁目

東大田無演習林の名残の紅葉の下を行く=西東京市緑町1丁目

 西東京市の「『みどりの散策路』を歩こう」は12月18日、今年度最多の44人が参加して「田無と東大農場コース」で行われた。

 

 年4回のイベントの最終回。コロナ禍で設けていた人数制限を久々に解除した。

 

 コースは西武新宿線田無駅北口発着で約4.8キロ。文化財が多いことから社会教育課の学芸員も同行し、江戸時代の田無村名主・下田半兵衛富永が飢饉に備えて自費で建てた稗倉(ひえぐら)や田無神社の拝殿、總持寺ケヤキなどについて説明した。

 

 東大農場ルートは、農場を南北に分ける都道が開通したため、所沢街道の旧正門から耕地に入るルートは廃止され、都道沿いに西へ向かい地蔵門から入って東大演習林の遊歩道を巡るルート1本に限定された。

 

 参加者たちは落ち葉を踏みしめながら見ごろを過ぎたカエデの紅葉を惜しんだり、ハンカチノキやヒトツバタゴ(別名なんじゃもんじゃ)など見学者に人気の樹木の説明板を読んだりして初冬の林の風景を楽しんだ。

血液検査 悲喜こもごも

 12月16日、武蔵野赤十字病院脳神経外科に検査結果を聞きに行った。予約時間は午前11時だったが、診察室に入ったのは午後1時20分。過去最長の待ち時間だった。

 

 検査は血液と下肢血管の超音波の2種類。昨年10月に行った硬膜動静脈瘻(ろう)の手術後の経過観察が続いているが、「硬膜動静脈瘻に血栓が関係しているかもしれない」(担当医)ことから、血栓の有無を調べることに。

 

 そこで今月4日、8本もの採血管に合計30ミリリットルを採り、超音波(エコー)で膝下の静脈を調べた。結果は「血栓はありませんでした」。

 

 ただ血液検査では「ちょっと(基準を)超えているものがいくつかある」として血液が専門分野の先生に見解を求めることになり、翌17日に血液内科を訪ね、その見解を持って脳神経外科を再訪することになった。

 

 血液内科を受診するのは初めてで、院内の案内板のいくつかを見ても見当たらなかった。外来の窓口で職員に聞いた所へ行くと2階だと言う。そこらしい窓口で聞くと、別の窓口を教えられ、やっと到達。「血」の文字だけを頼りにするとウロウロするだけ。医療分野の細分化は医学の進歩の帰結と自分を納得させる。

 

 間もなくして受診番号が表示され入室すると、医師から「検査詳細情報」の紙を見せられ、持っていってよいという。目をやると検査項目が37もあった。あの大量採血の理由はわかったが、ナントカ抗体とか、何を調べたのかは説明されてもわからなかった。「上限を超えていても少しなので今すぐ問題にするようなものはない」という主旨の総括は理解できて大いに安心した。

 

 脳神経外科の外来窓口で受け付けをしてもらうと、すぐ中待合に呼ばれ、担当医からもすぐ呼び入れられた。スピーディーな対処に小躍りしたい気分。

 

 「何もなくてよかったですね」と担当医が笑顔で迎えてくれた。「コーヒー、飲み過ぎだそうじゃないですか」と軽口も。

 

 血液内科の先生から「これ(ホモシステイン)はコーヒーを多く飲む人に出やすいんですよ」と言われたことが脳外科の先生に伝わっていたのだ。そんなことまで情報共有するのかと、なぜかうれしくなり、病院と医師への信頼感が一段と強くなった。