皆さん、こんにちは。サーモンです。

 

今回は1971年にカバヤから販売された日本初と思われる3-Dカードについて紹介したいと思います。

 

カバヤの3-Dカードに入る前に同時代のアメリカにおける3-Dカードの状況を簡単に確認しておきましょう。まず、初めて3-Dカードの製造を行ったのはおなじみTopps社です。Topps社は1968年にニューヨークのいくつかのショップでテスト的に3-Dカードをパック販売しました。ボックスとパックの画像は以下の通りです。

 

1968 Topps 3-D Baseball Cards Among Rarest of All1968 Topps 3-D Baseball Cards Among Rarest of All

図1 1968 Topps 3-Dのボックス 

(https://www.sportscollectorsdaily.com/whitest-whales-1968-topps-3-d-baseball/)

 

A look back at 1968 Topps 3D | Lifetime Topps projectA look back at 1968 Topps 3D | Lifetime Topps project

図2 1968 Topps 3-Dのパックと鑑定済みカード

 

テスト販売ということもあり、これらのカードの流通量は当時から限られていました。現在ではその希少性からどのカードも高値で取引されており、特にロベルト・クレメンテ選手のカードのプライスはPSA10で$62,500を付けています。(PSAホームページより)

 

図3 1968 Topps 3-D Roberto Clemente PSA10

 

先述した通り、Topps社の3-Dカードはあくまで実験的なもので、その後シリーズ化することはありませんでした。それに対して、3-Dカードを継続的に販売し続けたのがシリアル会社のKellogg's(以下、ケロッグ)です。ケロッグは1970年に初めて3-Dカードをシリアルに付けてから1983年まで3-Dカード付きシリアルを販売し続けました。

 

カードのデザインに関してですが、Topps社の3-Dカードは表面の3-Dコーティングに力を注ぎすぎたのか、裏面が空白となっています。対してケロッグのカードの裏面には年度別の成績や選手の説明文がしっかりと載っています。この点でケロッグのカードはより洗練されたものになっているように思われます。1年で販売を中止したTopps社に対して、14年も販売を続けたこともケロッグが優れている点でしょう。

 

アメリカの3-Dカード事情はこのくらいにして、いよいよ本題のカバヤの3-Dカードについて話を進めていきます。このシリーズは前述した通り1971年にカバヤによって発行されたとされていますが、その販売形態や価格等は不明となっています。以前カバヤのホームページを通して問い合わせてみましたが、カバヤ側にも資料は残っていないとの返答を頂きました。謎が多いため、このシリーズについて調べることは考古学の作業のようになってしまいますね。

 

ちなみに野球選手だけでなく、プロボクサー、プロレスラー、力士も同時にカード化されていました。当時の人気アスリートを一挙に3-D加工したという感じでしょうか。力士のカードについては以下のブログをご参照ください。

 

 

野球選手に関しては全部で8名がカード化されました。内5名がV9を支えた巨人の選手となっています(柴田、高田、王、長嶋、堀内)。他は阪神の江夏、田淵、中日の谷沢といった3選手がカード化されました。今回私は阪神勢を除いた6選手のカードを入手することができたので以下に画像を添付します。









どのカードもきれいな色で印刷されており、とても50年前のカードとは思えません。谷沢選手のカードなどは3-Dの特徴を見事に生かした構図で、当時のアメリカの3-Dカードにもあまりないようなアイデアが見られますね。願わくば翌年以降も発売してほしかったものですが、日本における3-Dカードはその後BBMが登場する1990年代まで待たなければなりません。今から振り返ると、カバヤリーフといい、この3-Dカードといい、カバヤの作る野球カードはあまりにも先端的なものでした。

 

今回はそんな先端的な3-Dカードを紹介しました。今後もこのシリーズについては調査を進めていきたいと考えています。深い森に入るような作業ですが、森林浴も良いものです。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

 

T.サーモン