こちらの報道を受けて、想いを書きます。
最初に申し上げておきます。
いつもは出来る限り前向きに、交通事故のない世の中を目指して発信をしています。
ですが、今回は感情のままに書きます。読んで嫌な想いをする方もいるかもしれません。
ですが、もはや私一人では抱えきれない。だから書きます。
この執筆者(加害者家族の支援者)のこの手の記事を、この3年間、何度も何度も目にしました。その度に、ものすごく違和感を感じています。
私が違和感を感じる点は以下の点です。
①本当の真実をこの執筆者は知っているのか。
②バッシングが起きた背景への着眼点がズレている。
③表現の仕方を、対岸にいる遺族への想いも尊重したものにして欲しい。
決して執筆者や加害者のご家族を誹謗中傷してほしいわけでは無いです。それだけはしないで欲しいです。また、執筆者の表現の自由を萎縮させる目的でブログを書くわけでもありません。
仮に加害者のご家族が「社会に知って欲しい」という理由で、支援者が社会に対して発信したならば、「遺族がみるかもしれない」という配慮はしてほしかった。
前提として、今回の記事の
・加害者家族支援の必要性
・刑務所や留置所の設備のバリアフリー課題
・報道のあり方
などの主旨は否定しません。大事な論点です。
交通事故や犯罪は、いつ誰が加害者家族になってもおかしくない。加害者家族支援は社会に必要だと思っています。
私は何度も何度も、この事故の加害者家族の気持ちを想像しようとし、「なったことが無いから分からないが、私たち被害者遺族とはまた違った辛さだろう」と想像した上で、上記のように思うようにしたんです。
しかし一方、この執筆者は、対岸にいる私たち遺族、失われた妻と娘の命のことのことを少しでも想定した上で執筆しているのでしょうか。そして、加害者ご家族の全貌を本当に理解しているのでしょうか。
以下に、私が感じている違和感の詳細を書きます。
ことあるごとに池袋暴走事故の固有名詞を出し、加害者やそのご家族の現実を非常に事細かく伝える記事を出します。
それは表現の自由ですし、社会に現実を知ってもらうことは大事なことです。
当然、この団体にも守秘義務があるはずですから、こういった記事の公表については、ご家族の許可を得ていると思います。
私が言いたいことは、
「この記事に書いてあるような綺麗なことばかりではない」
ということ。
この記事のストーリーの中で、1人だけ、明らかに
加害者を加害者にしてしまった大きな要因を作った人がいます。
しかしそれを隠し、被害者のように振る舞っている人がいる。
私は正確な根拠を持って、その事実を知っています。
今は公には言ってはいけないことになっているのですが、私は知っています。
もしかしたら、この執筆者もその事実を聞かされていないのかもしれません。
私はせめてご家族は責めたくないと思って生きてきた。
他人を責めて生きたくない。だから「ご家族には罪はない」と自分自身に言い聞かせてきた。
それなのに、支援者が、何度も何度も「池袋暴走事故」という固有名詞を出して、この手の記事を出す。
苦しい。登場人物の中に、「なぜそんな綺麗事が言えるのか」と思う人物が一人いるから。
本当に執筆者は、真実を知っているのでしょうか。知っていて、それを承知でこの手の記事を何度も出しているとしたら、私は恐ろしいです。本当はこんなこと書きたくなかった。
確かに、事故当時は「上級国民」「逮捕されなかった」という点でバッシングを受けていました。
私はそういった特別待遇はなかったと思っていますし、「逃亡の恐れがないこと」「加害者自身が怪我をしていたこと」の理由から逮捕しなかったということを理解しています。取材でも会見でもそれは伝え続け、「問題の本質はそこではない。大切なことは、未来の交通事故を無くしていくことだ」と訴え続けてきました。
加害者の意図とは全く別のところで「上級国民」という大きな世論の流れが出来てしまったことは、当事者である被害者も加害者も想像していなかったことです。これは加害者自身にはコントロールできなかったことです。
しかし、事故から一貫して「車のせい」として「無罪主張」という選択肢を選んだのは加害者自身です。これは彼がコントロール出来たこと。記事の執筆者は、この点に触れていない。
意図的に触れていないのか、本当に本質が世論やメディアだけにあると思っているのかは分かりません。焦点が一点に集中していることにより、この事故全体が見えていないことで、着眼点がズレていると思います。
法的に無罪主張をする権利はあるものの、あまりにも無茶苦茶な主張をするという選択したのは彼自身です。(それによって発生した加害者に対する、批判を超えた誹謗中傷を肯定するものではないです。)
これから書く事は、見る方によっては、ただの感情論に見えるかもしれません。
しかし、愛する人を亡くした人にとって感情を抑えることはなかなか難しく、自分が書いた文を見ては、「性格が悪いこと書いているな」と思って自己嫌悪します。そして、被害者と加害者、被害者遺族と加害者家族を比べたって何の意味もないし、どちらもそれぞれ違った辛さがあるというのは分かっています。
それでも私は人間で、感情がある。だから書きます。
加害者家族支援という活動は社会に必要で、立派なものでしょう。そして、90歳を超えた老体での受刑生活は、それは大変でしょう。
ただ、この方の記事を見ていつも思うのは、ふたりの命や、私たち遺族、その他犯罪被害者の存在のことが念頭にあるのだろうか。というところです。
今回の記事の中から抜粋します
>幸三の穏やかさ、余裕とも取れる表情に、真の強さを感じた。
→個人的な感想なのはわかっていますが、私は彼を強いとは思いません。
強い人でも弱い人でも関係なく「間違い」は起こしますが、本当に強い人というのは、その「間違い」を受け入れ心から謝罪できる人です。
判決を受けて最終的に加害者はその選択をしましたが、その決断をするまで2年かかったのです。私たち遺族にとっては地獄のような2年でした。
しかも彼は最終的に世論と私の弁護士には謝りましたが、私たち遺族には、自ら謝罪したいと申し出てきておきながら「民事裁判の中で謝れないなら謝罪しない」と決断し収監を迎えました。散々でした。
だから、対極にいる私の目のつく場所に、これは書かないで欲しい。お願いします。
>額には大きな紫色のあざが出来ている。私はその姿を見ただけで、胸が潰れそうな思いだった。
→受刑者が怪我をするのは当然問題で、怪我をしないような仕組みやバリアフリー化は当然するべきです。きっと老体の加害者にとっては辛い環境だと思います。
でも、事故で亡くなった娘は、あざどころではなかった。顔面が完全にえぐれていて、顔を見て最後のお別れすら出来なかった。
妻も、顔も体も全身ズタズタだった。胸が潰れるどころではありませんでした。愛する人のその姿に、当時は私も死のうと思うほどだったのです。その中でメチャクチャな主張をされ続けたのです。
「だからなんだ」と思われても仕方ないですし、加害者も故意で事故を起こしたわけではないことは分かっています。自分自身、両者を比べても意味がないことは分かっています。でも、こんなこと軽く言わないで欲しいんです。感情として理解して欲しいです。
>過酷な受刑生活を送る幸三を支えているのは、友人からの励ましと、帰りを待つ家族の存在である。
→私には帰りを待つ家族がいなくなりました。加害者が刑務所に入って罪を償って出てきても、私の家族はもう帰ってきません。
加害者本人が家族の元へ帰りたいと思うのは当たり前ですし、自由です。刑期を終えたら帰るべきでしょう。
しかし、これも同じく、対極にいる私の目のつくところにこれは書かないで欲しいです。
私の家族が死んだからと言って、対極にいる方々には「だからなんだ」と思われてしまうかもしれません。でも命が帰ってこないからこそ、この言葉をみるだけで、毎回心が引き裂かれそうな苦しみとたたかってきました。
最後に重ねて申し上げます。
この執筆者やご家族に、誹謗中傷は絶対にしないでください。見てくださった方に犯罪加害者になってほしくありません。
このニュース記事のように、発信する以上、全ての人を傷つけないというのは無理だとは思います。
私だって、このブログで誰かを傷つけているかもしれません。
でも、自分の主張をしながら、最大限の配慮はしようといつも心がけてきました。
加害者家族支援活動は社会にとって必要なのは分かっています。ですが、すこし対岸にいる人も想い、見つめ直して欲しいです。
何度も何度もこの手の記事を出され、過去にも配慮してほしいとブログを出したのにまた出たので、どうしても我慢できませんでした。
最後に。
被害者支援も加害者家族の支援も、どちらもが必要なのは間違い無く、この事は多くの人に知ってもらいたいと思います。
ですが、支援する以上、その支援の先には対岸にいる家族がいて、帰らぬ家族がいる。少なくとも相手を死傷させてしまった事案であれば、慎重に言葉を選ぶ必要があるのではないでしょうか。
他人だったそれぞれの人物が、事故を機に、一部同じ道をお互いが歩まざるを得ない。嫌でも関わらないといけないからこそ。
そしてなによりも。
私は池袋暴走事故を通して、 「交通安全を徹底してほしい」「家族を大切にしてほしい」ということを伝えてきました。
記事を通して加害者家族のお話を拝見させていただきましたが、できるのであれば、「事故を防止するためにはどうしたらいいのか」または「加害者も被害者も、被害者遺族も、そして加害者家族も作り出さないための社会づくり」を検討していただきたい。
被害者も加害者も、どちらも不幸になるものが交通事故です。交通事故さえ起きなければ、どちらも生まれていないのですから。
松永