東京駅2番線(中央線)ホームから見える八重洲口側の風景

 

幼少期を東京都小平市で過ごした。

 

昭和35年ころから45年頃までのことである。

 

当時ときどき、母に連れられて立川駅のデパートに行った。

 

立川までは青梅街道を通る路線バスに乗って行くか、西武国分寺線の鷹の台駅から国分寺駅を経由して中央線で行くか、そのどちらかであった。

 

青梅街道を通る路線バスの光景は、宮崎駿監督の「となりのトトロ」に出て来る路線バスの光景そのままであった。

 

 

 

当時の立川には「中武デパート」「第一デパート」などがあった。

 

お昼になると、それらのデパートの上階にあった食堂に連れて行ってもらい、母が頼んだ1杯のラーメンを小さなお椀に分けてもらって食べた。

 

レストランからは立川飛行場が見えた。

 

 

 

あるとき、デパートから電車に乗って帰るため立川駅まで出た母が、なぜか国分寺方面に行く上り電車のホームに行かず、日野・八王子方面に行く下り電車のホームに向かったことがあった。

 

「お母さん、こっちじゃないよ。」と何度言っても、母は「いいのいいのこっちで。」などと言いいながら下り方面のホームに行き、ちょうど入ってきた下り電車に乗り込んでしまった。

 

電車が多摩川の鉄橋を渡って日野駅に着くと、母はすぐに下車して上りホームに行き、上り電車に乗って立川駅を過ぎて国分寺駅まで行き、西武線に乗り換えて帰路についた。

 

当時は、なんで母がわざわざ逆方向の電車の乗ったのかよく判らなかった。

 

しかし大人になった今なら何となく判る。

 

たぶん母は立川駅で、帰り道をご一緒したくなかった近所(官舎)の誰かを駅で見付け、その人と一緒になるのを避けるためにわざわざ下り方面のホームに行き、逆方向の電車に乗って時間を潰したのだろう。

 

 

 

思い返せば私なんかも大人になってからは似たような場面で似たような行動に出ることがあった。

 

逆に、好意を寄せる女の子と一緒に帰るため、偶然を装ってわざと同じ電車に乗る(ただそれだけだが…)ということもあったりした。

 

 

立川という地名を目にするたび、デパートの食堂のラーメンと食堂から見えた飛行場と母の不思議な行動を思い出す。

 

立川の歴史

 

アラ還オヤジ

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