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相模線

維基百科,自由的百科全書
相模線
相模線用的E131系500番台列車(海老名-入谷)
日語原名相模線
假名さがみせん
羅馬字Sagami sen
概覽
營運範圍 日本 神奈川縣
起點站茅崎站
終點站橋本站
系統代號サミセ
技術數據
路線長度33.3公里
最高速度85公里/小時
正線數目單線
車站數目18個
軌距1,067毫米
最小曲線半徑107m
電氣化方式直流電1,500 V
高架電纜
閉塞方式特殊自動閉塞式
信號系統ATS-PN
車輛基地國府津車輛中心日語国府津車両センター
使用車型參見使用車輛
營運資訊
開通營運1921年9月28日
擁有者 東日本旅客鐵道(JR東日本)
營運者 東日本旅客鐵道(全線)
日本貨物鐵道(茅崎-厚木)

相模線(日語:相模線さがみせん Sagami sen */?)是一條連結神奈川縣茅崎市茅崎站相模原市綠區橋本站,屬於東日本旅客鐵道(JR東日本)的鐵路線(幹線)。

概要

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本線由茅崎站向北沿着相模川東岸運行,並在北端接上相模原台地的西岸築堤區。本線原為相模鐵道的路線(路線中的"相模"即為此意),後為連接東海道本線中央本線,本線於1944年二戰期間被國有化成為日本國有鐵道(國鐵)的路線之一。臨近國鐵的晚期,政府有意將嚴重赤字的國有化鐵路歸還給原本的經營者,相模線歸還給相模鐵道就是其中被考慮的方案。當時相模線的支出超過收入的4倍,國鐵與相模鐵道最終在回收價上無法取得共識而作罷。1987年國鐵被政府解散,JR因應國鐵分割民營化成立並接管了相模線營運至今。

過去曾有兩條支線,分別從寒川站到川寒川站(通稱:川寒川支線,1931年廢除)和寒川站往西寒川方向的支線(通稱:西寒川支線、寒川支線,1984年廢除)。

全線根據旅客營業規則日語旅客営業規則確定包括在「東京近郊區間」與IC乘車卡Suica」的首都圈地域內。 乘客指南和車身中使用的路線顏色是代表相模川河水的深藍色。

路線資料

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全線由橫濱支社日語東日本旅客鉄道横浜支社管轄。

運行形態

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目前本路線全線列車皆使用E131系500番台4卡編成。基本為茅崎車站 - 橋本車站間折返運行,班距約為20分鐘,另有於茅崎 - 海老名車站間的區間運行模式。電氣化以前分為橋本 - 南橋本、橋本 - 原當麻、橋本 - 厚木、厚木 - 茅崎、寒川 - 茅崎等區間運行。全列車皆為各站停車,且利用單人運務模式運行,可利用各車廂的任一車門上下車。

本線除了客運之外也有貨物列車運行。本線的貨物列車主要用作相模鐵道車輛的甲種運送,在深夜時段作為臨時列車經由厚木站營運。

車站列表

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  • 所有列車均為各站停車
  • 軌道(全線單線) … ◇、∨、∧:可進行列車交會,|:不可進行列車交會
  • 所有車站均位於神奈川縣
中文站名 日文站名 英文站名 站間營業距離 累計營業距離 接續路線 軌道 所在地
茅崎 茅ケ崎 Chigasaki - 0.0 東日本旅客鐵道 東海道線(包括 湘南新宿線上野東京線 茅崎市
北茅崎 北茅ケ崎 Kita-Chigasaki 1.3 1.3  
香川 香川 Kagawa 2.1 3.4  
寒川 寒川 Samukawa 1.7 5.1   高座郡
寒川町
宮山 宮山 Miyayama 2.1 7.2  
倉見 倉見 Kurami 1.4 8.6  
門澤橋 門沢橋 Kadosawabashi 1.4 10.0   海老名市
社家 社家 Shake 1.6 11.6  
厚木 厚木 Atsugi 2.6 14.2 小田急電鐵 小田原線(OH33)
相模鐵道厚木線(貨物線)
海老名 海老名 Ebina 1.7 15.9 小田急電鐵: 小田原線(OH32)
相模鐵道: 本線(SO18)
入谷 入谷 Iriya 3.0 18.9   座間市
相武台下 相武台下 Sōbudaishita 1.7 20.6   相模原市 南區
下溝 下溝 Shimomizo 2.9 23.5  
原當麻 原当麻 Harataima 1.3 24.8  
番田 番田 Banda 2.1 26.9   中央區
上溝 上溝 Kamimizo 1.5 28.4  
南橋本 南橋本 Minami-Hashimoto 2.9 31.3  
橋本 橋本 Hashimoto 2.0 33.3 東日本旅客鐵道: 橫濱線(JH28)
京王電鐵 相模原線(KO45)
綠區


廢除路段

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()內是起點起計的營業距離。

寒川支線
寒川站(0.0公里)-西寒川站(1.5公里)-四之宮站(2.0公里)
寒川站(0.0公里)-川寒川站(0.9公里)(貨物線)

廢站、廢除信號場

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#廢除路段的車站除外。括弧內是茅崎站起計的營業距離

  • 圓藏停留場:1944年廢除,北茅崎站-香川站間(1940年移動前是2.0公里,移動後不明)
  • 香川台停留場:1943年休止,北茅崎站-香川站間
  • 山王原信號場:1949年廢除,社家站-厚木站(12.9公里)
  • 中新田停留場日語中新田駅:1943年休止,社家站-厚木站間(13.9公里)
  • 上今泉停留場日語上今泉駅:1943年休止,海老名站-入谷站間(17.3公里)
    • 井戶坂平交道近橋本的東側。現在也可在不自然空間的場所看見車站月台。
    • 鄉土出版社「眼見大和、座間、海老名、綾瀨的100年」(目で見る大和・座間・海老名・綾瀬の100年)有揭載1張上今泉站的圖片,圖片距離月台約40公尺。
  • 本座間停留場:1944年廢除,入谷站-相武台下站間(19.7公里)
  • 上磯部停留場:1943年休止,相武台下站-下溝站間(22.6公里)
  • 作之口停留場日語作ノ口駅:1943年休止,上溝站-南橋本站間(30.2公里)

使用車輛

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現時使用車輛

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E131系500番台(配置於國府津車輛中心
4輛編成12組(共計48輛)製造[2]。2021年11月18日開始運行[3],並在2022年3月完全取代205系500番台。本車使用半自動門。
已隱藏部分未翻譯內容,歡迎參與翻譯

現在の使用車両

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E131系500番台國府津車両センター配置)
4両編成12本(計48両)製造[2]。2021年11月18日運行開始[3]。相模線としては2022年3月以降この車両のみが使用されている[4]半自動ドアを採用し、相模線內では半自動ドアで運用されている。

過去の主な使用車両

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気動車

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電化前に使用されていたキハ35系(1988年頃、橋本駅)

相模線は國鉄分割民営化當時、JR東日本の東京近郊區間內では、八高線とともに気動車が運転される數少ない線區であった。1991年に相模線が電化されたことにより、神奈川縣は日本で初めて氣動車による定期旅客列車が存在しない(貨物専用線を除く縣內すべての鐵道旅客路線が電化されており、なおかつ他線區から乗り入れる氣動車列車が全くない)縣となった[注釈 1]

また、橫浜市金沢區東急車輛製造(現・総合車両製作所橫浜事業所)で落成した全國各地向け氣動車の公式試運転路線としても有名であった。北海道向けから九州向けまでの車輛を見ることもできたことは、夏季に見られた房総線(現在の內房外房成田線にあたる)の臨時快速で全國から駆り出された(あるいは試運転前提で投入された)各地域仕様氣動車が見られた千葉地區に次ぐものである。

過去には以下の車輛を使用していた。

  • キハ04形・キサハ04形200番台
    • 1963年2月9日にキサハ04 202が廃車となり、當線から本系列は消滅した。
  • キハ10形・キハ16形・キハ17形・キハユニ16形[5]
    • 氣動車の首都圏色(朱色5號一色)は、1976年に當線で運用されていたキハ10 61に施されたのが初めてである[6]。首都圏色はその後日本全國に波及した。
    • キハ16形は5・6・24・64の4兩のみ配屬。キハ17形は30・357の2兩のみ配屬。キハユニ16形は2・6の2兩のみ配屬。
    • キハ10 23-26の4兩は當線新製配屬車輛である。
    • 1980年3月17日にキハ10 42が廃車となり、當線から本系列は消滅した。
  • キハ20形
    • 1958年にキハ20 206-211の6兩が新製配屬されるも、209・210を殘して早期に転出。1976年にはキハ20 281が転入するも1981年前半に一旦當線においては形式消滅。その後キハ20 56が1981年後半に転入し、1982年まで運用された。
  • キハ30形・キハ35形・キハ36形
    • 氣動車において地域別のカラーリングを採用したのは、1986年に當線で運用されていたキハ30 25に対して、クリーム1號地に青20號の帯というデザインが施されたものが初めてである[7](このカラーリングは、茅ケ崎驛の乗り換え専用跨線橋の內裝デザインにも使われている)。1991年の電化完成で運用を終了した。寒冷地仕様の500番台車(車號は下記參照)、及びステンレス車のキハ35 904が1991年まで運用されていた。
    • キハ36形は2・3・37の3兩のみ配屬。
    • キハ30 41・42・67・77・97の5兩は當線新製配屬車輛である。また、キハ30 26は福井機關區配屬時代に正面左側に氣笛増設工事が行われ、外見は氣笛のシャッターが殘されていた。
    • 寒冷地仕様の500番台車で當線に転入した車を以下に示す。
      キハ30 505・506、キハ35 513-520・524・531
    • 1991年まで運用されていた車輛のうち、キハ30 62はいすみ鉄道國吉駅に保存され、キハ30 100は水島臨海鉄道に譲渡されて運用されている。この2兩は當線電化後に久留里線へ転屬し、2012年の車輛置き換えまで運用されていたものである。
  • キハ26形400番台
    • キハ26 428の1兩のみ配屬。

電車

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  • 205系500番台國府津車両センター配置)
    4兩編成。車體の帶は水色濃淡2色()である。1991年製の車輛で、新造編成としては205系の最終形態である[注釈 2]
    相模線では電化以前(少なくとも1976年以降)よりドアの開閉を12月から3月まで半自動ドアで行っていた(一部35系の半自動裝置非裝備車を除く)が、電化以後のこの車輛では、當時としては最新型のボタン式半自動ドアを採用し、通年で使用していた。ただし直通先の橫浜線內では車掌の一括操作によりすべてのドアを開閉していた。橋本驛では八王子行も含めて相模線ホームに發着のため半自動扱いとなっていた(2020年4月8日より、新型コロナウイルス感染症対策として、始發驛と終着驛を除き、すべての區間でドアが自動開閉するようになっていた[8]が、2021年12月1日より全區間で半自動扱いに戻った)。2022年2月25日をもって定期運用を終了した[4][9]

相模鉄道時代の車両

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車輛數の變遷[10]
年度 蒸氣機關車 內燃動車 客車 貨車
有蓋 無蓋
1921 2 2 11
1922 2 2 14
1923 2 2 20
1924-1925 4 2 20
1926 6 6 2 154
1927 9 6 2 166
1928-1930 9 6 2 166
1931 9 6 2 156
1932 7 4 6 2 156
1933-1934 5 4 6 2 154
1935-1937 5 8 6 2 154

未來的計劃

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為了使本線有營運優等列車(如晨間快速等),增加車輛編組數,並有車站的增設計劃。南橋本 - 上溝間增設作之口車站,下溝 - 相武台下間增設磯部車站,入谷 - 海老名間增設上今泉車站,厚木 - 社家間增設海老名運動公園前車站,香川 - 北茅崎間增設西久保車站。(車站名全部是暫稱)

關連項目

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參考資料

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註釋
  1. ^ 神奈川県以外では奈良県東京都もこの條件を満たしている。
  2. ^ 編成単位での最終増備は同年10月武蔵野線向け0番台、増結車を含めると1994年12月の橫浜線向けサハ204形100番台がそれぞれ205系の最終形態となっている。
參考資料
  1. ^ 『停車場変遷大事典 國鉄・JR編』JTB 1998年
  2. ^ 2.0 2.1 相模線への新型車両の投入について (PDF) (新聞稿). 東日本旅客鉄道橫浜支社. 2021-06-17 [2021-06-17]. (原始內容 (PDF)存檔於2021-06-17) (日語). 
  3. ^ 3.0 3.1 引用錯誤:沒有為名為press20210917的參考文獻提供內容
  4. ^ 4.0 4.1 JR東日本205系、相模線での運行終了 - 新型車両E131系と乗り比べた. マイナビニュース. 2022-03-04 [2022-03-04]. (原始內容存檔於2022-06-18) (日語). 
  5. ^ 鉄道ピクトリアル No.637 p.7
  6. ^ 鉄道ピクトリアル』通巻637號 電気車研究會 p.22
  7. ^ 鉄道ファン』通巻302號 交友社 p.128
  8. ^ JR相模線ドア開閉「ボタン式」中止頁面存檔備份,存於互聯網檔案館)『タウンニュース』茅ヶ崎版、2020年4月17日號
  9. ^ 相模線205系が引退, [2022-03-04], (原始內容存檔於2022-03-04) (日語) 
  10. ^ 鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版

外部連結

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