Xより、
高校時代「こころ」の感想で、Kのメンタル弱すぎ、宗教・哲学を学んだ意義は?寺の息子で孤独に弱いってなに?教えから何も学べていないのでは?中途半端でだめすぎる、って内容を書いて、呼び出し食らった現職国語講師がここにいる。試験以外で書く感想文なんだしいいだろ、って正直今でも思ってる。
— 住吉那巳枝 (@kotonohasya) 2025年2月21日
-
作者はどう考えるか
あれは出題者が読んだ勝手な感想です。ですから回答者は会ったことも、見たこともない主題者がどう感じたかを推理して回答を探す問題になります。だから苦手とする人は多いと思っています。
ついでに言えば作者も「こう思って欲しい」「こう考えて欲しい」の意図を込めて書いてはいます。ですが作者の意図通りに受け取られなくても間違いとはしない人も多いはずです。どちらかと言えば意図通りに伝わらなかった点に力不足を感じるぐらいでしょうか。
作者と読者の感じ方が異なるのは生じて当然と考えています。とくに読者は生まれも育ちも、それこそ千差万別だからです。そんな読者に一律で同じ解釈をさせるのは至難の業の気がします。
これは文学、文芸作品についてはそうなるものだと考えていますが、そうであって欲しくない文章があります。わかりやすいのならマニュアルとか、教科書とか、論文とか、学生のレポートとかの実用文です。
論旨を可能な限り明快にし、それを誤解なく読み手に伝えることが求められるからです。そのためには無味乾燥な文章になるのさえ問題とされません。これは広義の文学、教義の純文学の定義になりますがwikipediaより、
-
学問のための文章でなく美的形成に重点を置いた文学作品
文学とは実用文のように必ずしも作者の意図したものが読者に伝わる必要はないと私は受け取っています。その文章を読んで様々な感想を読み手が抱けるからこそ読書感想文なるジャンルが成立しているはずです。
さらに言えば読書感想文も実用文ではないと存じます。大きなジャンルとしては文学に属すはずです。
と粋がってみても、現国は学問として教科にあり、一律の試験で評価されるものです。もうそういう試験と棺桶に入るまで無縁の人物の妄言を学生の方々は冷笑してください。それこそ百害あって一利なしです。