書くことに意味を持たせる者が少なからず存在していることは理解している。ただ、私の場合に限り、書くことに意味など持たせようなどと思うことは間違っていると思う方だ。
とはいえ、何かを成す時に己の行為に意味を持たせ、それをモチベーションにし、成すことを為すという者は、何の為に書くのかを真剣に考えてしまう性格なのだろう。それはそれで認められるべきだと思うので、意味を持たせて書くことを間違っていると断言すべきでもないのだろう。なので、申しわけない。
書くことは楽しい、それだけで書く者もいる。自分の書くものが好き過ぎて、何度も読み返す友人もそうなのだが、誰かの為に書いてはいない私も書くことに意味も何も持たせずに書いているからな。ただ、私の場合、こんな思いを抱いているとか、こんなことを考えたとか、そういった自分の脳内で繰り広げられる思考というものを披露したいと思ってしまうこともあり、それを文章にして垂れ流しているわけだ。それは、少なからず意味のある行為でもあるかもしれないな。
私にはこの書くという行為しかない。その昔、サイト運営をしていた頃、素材屋サイトで借りてきた写真やイラストを私の紡ぎ出す言葉で飾ったことも良い思い出なのだが、私には写真やイラストだけで人々を感動させる手腕はなかった。それでも、私の紡ぐ言葉に涙してくれる人もいなかったわけではない。そんな時に、ああ、私も言葉でなら他人に感動してもらえることができるのだなと心を震わせたこともあった。
あれから随分と時が経った。
もしも私にも絵を描くことができたらと嘆いた日々も遠い過去のこと。今はもう誰も私の書くものを読んで下さらなくても書き続ける自信はある。読者は自分自身でもあり、そして、私という人間を理解してくれる人でもあるから、私はそれだけで書き続けることはできるのだ。それこそ死するその時まで、私は書き続けるだろう。