おはようございます。
梅つま子です。
大好きな三浦しをんさんのエッセイを読みました。
地元の図書館で出会えました!
新刊はチェックしていたつもりなのに、これはノーマーク!
普段ならチェックしていてしかるべきものを、
ノーマークで、いきなり開架の本棚で出会えた幸せ。
こういうことが1年に1回くらいあります。
しをんさんのエッセイは、特に妊娠中に何度も読み返しました。
時に、仕事に行くのがつらくてつらくてしんどい日は、
電車の中でも抱腹絶倒のエッセイを読んで、元気をもらったんでした。
相変わらずの鋭さと、義侠心、生きるものへの愛が、
ユーモアの中にあふれているところが、
ああ~~~しをんさん~~~~
と、懐かしくてたまらない。
エッセイでも小説でも、しをんさんの世界は無条件に好きで、
何も考えずに信頼して身をゆだねられる。
たくさん好きな箇所はあったけど、特に気に入った部分を太字強調で紹介します。
読書を好きな理由はなんですか、とたまに聞かれることがあり、「好きに理由はいらん」と思っているのだが、あえて考察してみると、「自分以外の人の人生や感情を知り、想像することができるからかな」という答えに行き着く。
もちろん映画を見たって、日常でだれかと接することを通じてだって、自分以外の人の人生や感情を知り、想像することはできるのだが、なかでも読書は私にとって、とても性に合う「外界に開かれた窓」なのだ。
『のっけから失礼します』(58から59ページ )
性に合う、ってところが大事なんでしょうね。
実際、いろんな「外界に開かれた窓」はあるんでしょうけど、
私にとって量子物理学は「外界に開かれた窓」になりえないんだけど、
量子物理学が「外界に開かれた窓」なんです!って人もいるんだろうなあ。
自然にそういうものを持つ人もいるんだろうけど、
無条件に好きで、それさえあればいろんな世界とつながれる、
これが「私の窓」っていえるものを理解してもっているといいんでしょうな、と思いました。
私にとってはブログであり英会話であり。
読書もかつて好きだったけど、今は少し距離があるような気がする。
もっとたくさん本を読んでもいいなと思うので、
これからはもう少し読書好きの血を解放していこうかなあ。
お次は、しをんさんが間違い電話で、20代の好青年とおぼしき人物につながった話。
携帯が普及して以来、まちがい電話は激減したと思うが、「まちがい」って実はそんなに悪いことばかりじゃないのかもしれない。
予期せぬ相手、顔も名前も知らない誰かと、偶然にもつながり、言葉を交わす。
それを「まちがい」の一言で片づけてしまったら、あらゆる出会いがまちがいになってしまう。
『のっけから失礼します』(186ページ)
私がしをんさんの大好きなところはこの真っ直ぐなところで、
この文章にもそれが表れてて、泣きそうになりました。
われわれは、間違いながら生きている…!
予期せぬ相手と出会いながら、その、最初は知らなかった人たちと、
関係性を紡いで、毎日生きてる。
だからいいんだよなあ。
私はもっとたくさん、もっと派手に間違いたいよ!
と思いました。
今私が大事にしているものも人も、
言ってしまえば、うっかり出会っちゃったものです。
月経カップも、空手も、英語の先生も。
狙いつくして、それがやりたくて出会ったというよりは、
偶然、たまたまだったし、
むしろ私が、
「忙しいです、時間を無駄にしません!キリッ!」という顔をしていたのではなくて、
マヌケな顔してをふらふら歩いてたから出会えたもののような気がします。
うむ…!
このエッセイを読んで、これからもマヌケな顔して生きていこうと決めました。
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こんな自分でいいのかなあ、ダメかなあ?と思っている部分を、
しをんさんの本はいつも、「それで!それでいいんだよお!」と、
もっと強烈な力を加えながら後押ししてくれるような気がします。
しをんさんの本も、私にとって大事な「窓」です
今日もいい一日になりますように!