写真:モノホシ ダン
地図を見る和歌の浦に鎮座する玉津島神社の創立は「上古」といわれ、文献記録をたどれる限りでは最も古い時代です。
ご祭神は、天照大神の妹神という稚日女尊(わかひるめのみこと)、神話に登場する神功皇后、和歌の神で絶世の美女といわれる衣通姫尊(そとおりひめのみこと)の3柱の女神で、ほかに明光浦霊(あかのうらのみたま)を配祀します。
写真:モノホシ ダン
地図を見る和歌の浦が、古く和歌に名を残す絶景の地となったのは、奈良時代の724年(神亀元年)、聖武天皇の和歌の浦行幸がきっかけです。聖武天皇は、干潟につらなる玉津島山の眺めに感動し、この景観を守るように命じました。
その際に同行した宮廷歌人・山部赤人(やまべのあかひと)が詠んだ名歌が『万葉集』にも収録されている「若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺を指して 鶴鳴き渡る」です。以降、和歌の浦は聖地として歌人のあこがれの的となり、多くの和歌に歌われるようになりました。
写真は、玉津島神社の拝殿です。拝殿の左右にある石燈籠は、紀州藩祖・徳川頼宣(とくがわよりのぶ)によって寄進されたものです。
写真:モノホシ ダン
地図を見る境内には、山部赤人が、聖武天皇行幸の際に玉津島神社を詠んだ万葉歌碑があります。揮毫者は、『万葉集』の研究で名高い日本文学者の犬養孝先生で、日本全国の万葉故事に揮毫された万葉歌碑141基のうち、98・99基目のものです。石は、紀州の青石で、犬養先生が自ら選ばれたものです。
<玉津島神社の基本情報>
住所: 和歌山県和歌山市和歌浦中3-4-26
電話番号: 073-444-0472
アクセス:JR和歌山駅または南海和歌山市駅より、和歌山バス新和歌浦行き乗車、玉津島神社前または不老橋バス停下車すぐ 車利用の場合は、阪和自動車道和歌山ICより和歌浦方面へ約25分 専用駐車場利用
写真:モノホシ ダン
地図を見る玉津島神社の背後にある小高い岩山は、「奠供(てんぐ)山」と呼ばれています。聖武天皇は、和歌の浦行幸の際にここに登られ、山頂からの景色に感動し、この自然を守るように命じたと伝えられています。
なお一帯は、「弱浜(わかのはま)」と呼ばれていましたが、聖武天皇が陽が射した景観の美しさから「明光浦(あかのうら)」と改めさせ、玉津島神社に明光浦霊が合祀されることになりました。
ほかに山頂に建つ、「望海楼遺址碑」(写真)は、もとは奠供山麓の南浜にあったものを、1900年(明治33年)、明治天皇が連合艦隊を率いて和歌浦湾に来泊された際に、お召艦の上から望見できるように現在地に移したものといわれています。
写真:モノホシ ダン
地図を見る奠供山からの眺めは絶景で、片男波海水浴場のある片男波公園の約2.5kmにおよぶ雄大な砂嘴は、日本三景「天橋立」を彷彿とさせます。なお、片男波の名は山部赤人の歌にある「潟を無み(かたをなみ)」が由来といわれています。
写真:モノホシ ダン
地図を見る標高約34mの奠供山にはかつて、日本初となる屋外展望エレベーターが設置されていました。1910年(明治43年)、旅館「望海楼」が建設したもので、文豪・夏目漱石も1911年(明治44年)に、和歌の浦に観光に訪れた際にこのエレベーターに乗り、「浅草にもまだない新しさ」と絶賛しています。
しかし、乗降客減少のため、わずか6年後の1916年(大正5年)に、あえなく解体の憂き目に。奠供山で、かつての賑わいに思いを馳せながら絶景を愛でてください。
<奠供山の基本情報>
アクセス:玉津島神社本殿の横から徒歩約5分
写真:モノホシ ダン
地図を見る奠供山からの景観を楽しんだら、玉津島山のひとつ、鏡山のふもとにある「鹽竈(しおがま)神社」に行ってみましょう。主祭神の鹽槌翁尊(しおづちのみこと)は、安産・子授けを司る神様として親しまれています。
写真:モノホシ ダン
地図を見る鹽竈神社のある「輿の窟(こしのいわや)」は、波によって浸食された洞窟です。名の由来は、かつて紀の川が蛇行して、和歌の浦に河口があったころ、上流の丹生都比売(にうつひめ)神社から玉津島まで、浜降り神事で渡った神輿が置かれたことによります。
<鹽竈神社の基本情報>
住所:和歌山県和歌山市和歌浦中3-4-26
電話番号:073-444-0472
アクセス:和歌山バス 不老橋バス停下車すぐ
写真:モノホシ ダン
地図を見る鹽竈神社の前にあるアーチ橋が「不老橋(ふろうばし)」です。紀州藩10代藩主・徳川治宝(とくがわはるとみ)が、徳川家康をまつる紀州東照宮の例大祭「和歌祭」のときに、徳川家や紀州東照宮の人々が通る御成道(おなりみち)として、1851年(嘉永4年)に完成させました。
橋のアーチ部分は、肥後熊本の石工集団が造り、雲の浮き彫りがある手摺り部分は、紀州湯浅の石工・石屋忠兵衛が造ったと伝えられています。
江戸時代のアーチ型石橋で、九州地方以外で見かけるのは大変珍しいといえます。なお、写真の背後に見える山は、奠供山です。
<不老橋の基本情報>
住所:和歌山県和歌山市鷹匠町7-4-2
アクセス:和歌山バス 不老橋バス停下車すぐ
写真:モノホシ ダン
地図を見る鹽竈神社の背後にある玉津島山のひとつ「鏡山」は、荒れた木理(もくり)のような岩肌を呈し、香木「伽羅(きゃら)」に似ていることから「伽羅岩」とも呼ばれています。玉津島神社の正面にある階段を登ると、鏡山の山頂から和歌の浦を一望できます。
写真:モノホシ ダン
地図を見る鏡山は標高約19mと、そんなに高い山ではありませんが、視界を遮るものがありませんので、奠供山に勝るとも劣らない眺望を楽しむことがてきます。
写真は、片男波公園方面の眺め。見えている2つの橋は、不老橋とあしべ橋(左)。「あしべ橋」は、片男波海水浴場へのアクセス道の一部として架橋されました。
写真:モノホシ ダン
地図を見るさらに鏡山からは、海を隔てて、標高約228mの名草山と、その中腹にある紀三井寺の眺めが良好です。紀三井寺は、西国三十三所第二番札所で、観桜の名所としても知られています。鏡山からさらなる絶景を満喫してください。
<鏡山の基本情報>
アクセス:玉津島神社前から徒歩約3分
写真:モノホシ ダン
地図を見る玉津島山の6つの岩山の先頭である「妹背山(いもせやま)」は、和歌の浦にあった6つの岩山のうち、陸地化を免れ、唯一海上に残っている小島です。
妹背山には、紀州藩初代藩主・徳川頼宣の母である養珠院(お万の方)が、徳川家康の33回忌に、供養と天下静謐を願って小石に経文を記した経石が埋納されています。
この浄業には、御水尾上皇から庶民にいたるまで、貴賤の上下なく大勢の人々が参画し、集められた経石は約15万個にもなりました。
写真:モノホシ ダン
地図を見るその後、埋納された経石の上には、徳川頼宣が母の養珠院を偲んで、1655年(明暦元年)に海禅院多宝塔を建立しました。
写真:モノホシ ダン
地図を見るさらに頼宣は、参詣人や庶民が、自由に和歌の浦の干潟の景色を楽しめるようにと、三断橋と観海閣を設けて、妹背山を整備しました。
観海閣は、妹背山の東にあり、水辺に張り出すように建てられた水上楼閣です。もとは木造瓦葺きの建物でしたが、度重なる台風と高波の被害により、現在の建物は、鉄筋コンクリート造りで再建されたものです。
なお撮影には、妹背山北側にある堤防沿いの道からがおすすめです。高津子山をバックに観海閣と多宝塔が一直線に綺麗に並んだ構図を撮影できます。
<妹背山の基本情報>
住所:和歌山県和歌山市和歌浦中3-4-28
アクセス:和歌山バス 玉津島神社前または不老橋バス停下車すぐ 車利用の場合は、玉津島神社駐車場または片男波公園有料駐車場利用
いかがでしたか。和歌山の名勝「和歌の浦」は、古くは東大寺の大仏を建立した聖武天皇から宮廷歌人の山部赤人、さらに明治の文豪・夏目漱石にいたるまで、多くの歌人や文人・墨客に愛された景勝地です。
芸術と文化を育んだ絶景の地で、情緒あふれる感動を体験をしてみてはいかがでしょうか。
2020年4月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2025/1/5更新)
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