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田阪登紀夫とは? わかりやすく解説

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田阪登紀夫

(Tokio Tasaka から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/12 10:24 UTC 版)

田阪登紀夫
基本情報
生年月日 (1947-09-04) 1947年9月4日(76歳)
選手情報
フォア面ラバー 表ソフト
ITTFサイト ITTFプロフィール
獲得メダル
日本
男子卓球
世界卓球選手権
1969 ミュンヘン 男子シングルス
1969 ミュンヘン 男子ダブルス
1971 名古屋 男子団体
1971 名古屋 男子ダブルス
1973 サラエボ 男子団体
1977 バーミンガム 男子団体
1977 バーミンガム 混合ダブルス
■テンプレート ■プロジェクト:卓球 ■選手一覧

田阪 登紀夫(たさか ときお 1947年9月4日- )は京都府京都市出身の卓球選手、体育学者。2018年3月、退職。同志社大学スポーツ健康科学部教授[1]

経歴

東山高校で今井良春(東山高校卓球部を45年間指導して7回インターハイを制した。)の指導を受けて[2]、1965年にインターハイのシングルスで優勝、その後早稲田大学社会科学部に進学、卒業後は青卓会に所属した[3]

1968年、長谷川信彦とのペアでアジア選手権大会の男子ダブルスで優勝、翌年から世界卓球選手権の日本代表となり、1969年第30回世界卓球選手権ミュンヘン大会のシングルスで銅メダル、ダブルスで長谷川信彦とのペアで銀メダルを獲得(この大会で優勝した団体は長谷川信彦、河野満伊藤繁雄井上哲夫、笠井賢二がメンバーであった。)。1971年の第31回世界卓球選手権名古屋大会で団体銀メダル(長谷川、伊藤、河野、田阪、井上)、長谷川信彦とのペアで銅メダル、1973年の第32回世界卓球選手権サラエボ大会で団体銅メダル(長谷川、河野、田阪、今野裕二郎高島規郎)、1977年の第34回世界卓球選手権バーミンガム大会で団体銀メダル(河野、田阪、高島、井上、前原正浩)、混合ダブルスで横田幸子とのペアで銀メダルを獲得した[4]

全日本卓球選手権大会でも今野裕二郎とのペアで1973年、1974年と男子ダブルスを制した[5]

1970年に早稲田大学社会科学部を卒業し、1983年大阪体育大学体育学部体育学科を卒業した。

現役引退後は指導者として国民体育大会で3度優勝[6]同志社大学卓球部監督を務めたこともある[7]

スキー指導も行っており[8]クロスカントリースキーに関連した論文も書いている。

所属学会

脚注

出典

  1. ^ 研究者基本情報”. 同志社大学. 2011年5月13日閲覧。
  2. ^ 商品の説明「著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)」”. Amazon.co.jp. 2011年5月14日閲覧。
  3. ^ 栄光の記録 全日本選手権 男子ダブルス”. 2011年5月14日閲覧。
  4. ^ 世界選手権における日本の入賞(3位以内)記録一覧表”. 日本卓球協会. 2011年5月14日閲覧。
  5. ^ 全日本卓球選手権大会”. 日本卓球協会. 2011年5月14日閲覧。
  6. ^ PROFILE”. 同志社大学. 2011年5月14日閲覧。
  7. ^ 同志社大学体育会卓球部HP設立にあたって”. 同志社大学卓球部. 2011年5月14日閲覧。
  8. ^ クラブ紹介”. 同志社大学卓球部. 2011年5月14日閲覧。

外部リンク




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