[go: up one dir, main page]
More Web Proxy on the site http://driver.im/

レイ・クレメンスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > レイ・クレメンスの意味・解説 

レイ・クレメンス

(Ray Clemence から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/12 02:07 UTC 版)

レイ・クレメンス
名前
本名 レイモンド・ニール・クレメンス
Raymond Neal Clemence
ラテン文字 Ray CLEMENCE
基本情報
国籍 イギリス( イングランド)
生年月日 1948年8月5日
出身地 スケグネス
没年月日 (2020-11-15) 2020年11月15日(72歳没)
身長 183cm
選手情報
ポジション GK
ユース
ノッツ・カウンティ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1965-1967 スカンソープ・ユナイテッド 48 (0)
1967-1981 リヴァプールFC 470 (0)
1981-1988 トッテナム・ホットスパー 240 (0)
代表歴
イングランドU-23 4 (0)
1972-1984 イングランド 61 (0)
監督歴
1992-1993 トッテナム・ホットスパー
1994-1996 バーネットFC
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

レイ・クレメンス(Raymond Neal "Ray" Clemence MBE、1948年8月5日 - 2020年11月15日)は、イングランド出身の元サッカー選手。ポジションはGK。元イングランド代表

来歴

1967年にリヴァプールに入団、通算665試合に出場、3度のチャンピオンズカップ優勝、5度のリーグ優勝など、リヴァプールの黄金期を支え続けた[1]。リヴァプール加入以前はディヴィジョン3(4部相当のリーグ)のスカンソープ・ユナイテッドという小さなクラブでプレーしていた。名将ビル・シャンクリーに才能を見抜かれてリヴァプール加入後は、当初は当時の守護神トミー・ローレンス英語版の控えだったものの、1969-70シーズンからポジションを奪い、リヴァプールの歴史を代表する名ゴールキーパーとなっていった[1]。1978-79シーズン、当時42試合であったリーグ戦で28回のクリーンシートを達成した(許したゴールは僅か16ゴールであった。)[2]。1980-81シーズン、チャンピオンズカップ決勝のレアル・マドリード戦に出場して優勝を飾った試合を最後にリヴァプールを退団した[1]。在籍した約11年間で欠場したリーグ戦での試合は僅か6試合のみであった[1]

その後はトッテナム・ホットスパーに移籍し、1981-82シーズンのFAカップ、1983-84シーズンのUEFAカップ優勝に貢献するなど、成功を収め、1988年に現役を退いた。引退後は、トッテナム・ホットスパー、バーネットの監督を務め、その後はイングランド代表のゴールキーパーコーチを務めた。

イングランド代表としては1980年のユーロでは2試合に出場、出場機会は無かったが、1982年ワールドカップスペイン大会にも参加、通算61試合に出場した[3][4]

2020年11月15日、親族により死去が公表された[5]。72歳没。

タイトル

リヴァプールFC
トッテナム・ホットスパーFC

脚注

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

「レイ・クレメンス」の関連用語

レイ・クレメンスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



レイ・クレメンスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのレイ・クレメンス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS