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1990-1999とは? わかりやすく解説

1990-1999

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:50 UTC 版)

南京事件論争史」の記事における「1990-1999」の解説

1990年石原慎太郎議員南京事件発言南京受難連合告発11月華僑団結目的とする中国海外交流協会China Overseas Exchanges Association)が北京設立1991年8月南京受難連合ジョン・マギーフィルム発見9月18日満州事変60周年。「九・一八事変記念館」が建設中国歴史教育強化宣言、この日を「国恥記念日」と定めた、さらに「勿忘国恥(国の恥辱忘れるな),強我国防」をスローガンとした。 11月中国中央テレビドラマ荒原の砦七三一」を放映森村誠一悪魔の飽食原作日本日本軍国主義非難する大阪国際平和センターピースおおさか)が開館1992年天皇訪中南京受難連合抗議 4月洞富雄藤原彰本多勝一編『南京大虐殺研究5月2日カリフォルニア州クバチーノで抗日戦争史実維護会Alliance for Preserving the Truth of Sino-Japanese War)と世界抗日戦争史実維護連合会結成 5月12日江沢民総書記国防教育強化宣言1993年8月中国シンクタンク中国外務省に、日本常任理事国入りするなど政治大国化を望んでいるので中国アジア諸国日本謝罪求めるのに適切な時期報告10月20日家永教科書裁判第三次訴訟東京高裁南京大虐殺記述に関する検定違法判決東史郎裁判開始1994年天皇訪米南京受難連合反対6月10日、「南京大虐殺事実か?真相解明謝罪外交糾弾国民集会」。村尾次郎阿羅健一渡部昇一講演永野法相が「南京大虐殺でっちあげ」と発言したため羽田首相更迭したことを糾弾終戦50周年の「不戦決議阻止運動始めた12月南京大虐殺五十七周年世界記念会議Global Memorial Conference of the 57th Anniversary of the “Rape of Nanjing"/全球紀念『南京大屠殺57周年紀念会)。中国共産党台湾対日戦賠償放棄非難日本謝罪賠償要求する宣言1995年8月15日村山談話謝罪中国政府謝罪肯定自民党歴史検討委員会は『大東亜戦争総括刊行9月18日抗日戦争50周年記念大会。「不忘国恥キャンペーン運動最高潮迎え九・一八歴史博物館抗日戦争博物館拡大宣言され、「愛国主義教育基地」とされた。 訪韓した江沢民国家主席党総書記)は金泳三大統領と、日本軍国主義中韓にとって脅威表明。また日本国内海外では慰安婦問題キャンペーン活動活発化ていった1996年4月日米安保共同宣言中国は、日本軍国主義化非難5月10日、米下院議会で元米兵捕虜南京事件韓国人慰安婦等の犠牲者対す基金要求する法案(ドーナン法案)が提出12月スタンフォード大学ホロコースト博物館ボストン大学日本軍残虐行為についてのシンポジウム12月12日南京受難連合アイリス・チャンジョン・ラーベ日記公開1997年新しい歴史教科書を作る会結成 日本の前途歴史教育考え若手議員の会結成 中国政府は米義勇軍フライングタイガース記念館を建設する計画発表米国人元隊員たちを英雄として讃えた。 8月29日家永教科書裁判第三次訴訟最高裁南京大虐殺記述に関する検定違法判決10月26日江沢民国家主席党総書記)はハワイ真珠湾で、米中日本戦った同盟国語った11月親中派ルパート・マードック系列のベーシック・ブックス社から、アイリス・チャンザ・レイプ・オブ・南京』が発刊プリンストン大学で「南京一三七国際会議」。 12月南京事件調査研究会、中国帰還者連絡会ノーモア南京の会、歴史教育協議会日本の戦争責任資料センターが「南京大虐殺六十東京国シンポジウム」。台北国立政治大学でも反李登輝勢力によってシンポジウム開催。 ウィリアム・ビル・リピンスキー民主党議員が、南京大虐殺731部隊朝鮮人慰安婦バターン死の行進犠牲者のための謝罪賠償請求法案提出1998年スタンフォード大学デビッド・M・ケネディ南京虐殺ユダヤ人ホロコースト同一視できない批判東史郎裁判東京高裁東側敗訴中国メディア中国政府反発4月秦郁彦笠原十九司南京事件III章の扉写真1938年中国国民政府軍事委員政治部『日寇暴行実録』に掲載)が『アサヒグラフ昭和12年11月10日号に掲載され住民保護する日本軍写真であると発見8月東中野修道は『「南京虐殺」の徹底検証』を発表吉田裕戦時国際法論争1999年7月15日カリフォルニア州戦時強制労働補償請求時効延長法ヘイデン法)が採択抗日戦争史実維護会などの団体米国の元捕虜団体連携した結果だった。 8月南京大虐殺従軍慰安婦について日本謝罪賠償求め決議マイク・ホンダ下院議員提案カリフォルニア州議会採択板倉由明本当はこうだった南京事件』を刊行

※この「1990-1999」の解説は、「南京事件論争史」の解説の一部です。
「1990-1999」を含む「南京事件論争史」の記事については、「南京事件論争史」の概要を参照ください。

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