1490年代
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1490年代(せんよんひゃくきゅうじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1490年から1499年までの10年間を指す十年紀。
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1490年代
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詳細は「1490年代」を参照 1490年足利義材が室町幕府第10代将軍となる。 ハンガリー王マーチャーシュ1世急死、ハプスブルク家のフリードリヒ3世がウィーンを奪還。 1491年コンゴ王ンジンガ・ンクウがポルトガルの宣教師から洗礼を受け、洗礼名ジョアン1世を名乗る。 フランス国王シャルル8世がアンヌ・ド・ブルターニュと結婚。 ドイツのマインツでヤコブ・メイデンバッハが自然史百科事典『ホルトゥス・サニタティス(英語版)(健康の庭)』を出版する。 1492年スペインがナスル朝を滅ぼし、レコンキスタが完了。 クリストファー・コロンブスが大西洋を横断し、カリブ海の島々に到達(いわゆる新大陸の発見)。 スペインからのユダヤ教徒追放令(アルハンブラ勅令)。 ロレンツォ・デ・メディチ死去、息子のピエロ・デ・メディチが後継者となる。 スコットランドでパースからエディンバラに都が遷され、この地に議会が創設される。 1493年明応の政変により足利義材が将軍職から追放される(日本の戦国時代の幕開けとされる)。 教皇アレクサンデル6世の回勅「インテル・カエテラ」により教皇子午線(植民地分界線)が決定される。 サンリスの和約により、ブルゴーニュ公遺領の正式分割が決定。 インカ皇帝トゥパック・インカ・ユパンキが死去し、ワイナ・カパックが即位。この時期までにペルー北部のチムー王国(中心はチャン・チャン遺跡)を滅ぼし、インカ帝国は最盛期を迎える。 1494年スペインとポルトガルがトルデシリャス条約を締結。 フランス王シャルル8世のイタリア遠征(イタリア戦争の始まり)。その途上、フィレンツェでメディチ家が追放される。フィレンツェでサヴォナローラの神権政治が成立。 フランス軍の侵攻を受けたナポリでヨーロッパ最初の梅毒の大流行が起こる( - 1495年)。 足利義澄が室町幕府第11代将軍となる。 1495年神聖ローマ帝国のヴォルムス帝国議会。皇帝マクシミリアン1世による「帝国改造」として「永久ラント平和令」が布告され、帝国最高法院が設置される。 北条早雲(伊勢盛時)が足利茶々丸を追放し堀越公方を滅ぼす。 1496年ローマ教皇アレクサンデル6世により、スペイン国王夫妻フェルナンドとイサベルが「カトリック両王」の称号を授けられる。 1497年モスクワ大公イヴァン3世が「1497年法典(スヂェブニク)」を制定する。農民(農奴)の移動は「聖ユーリーの日」の前後それぞれ一週間のみが許される。 ジョン・カボットがニューファンドランドやラブラドル半島を発見。 1498年コロンブスが南アメリカ大陸を発見しベネズエラに上陸。 ヴァスコ・ダ・ガマがインド洋を経てカリカット(コーリコード)に到着。 フィレンツェでサヴォナローラが処刑される。 明応地震で、かつて淡水湖であった浜名湖が津波により太平洋とつながる。 1499年シュヴァーベン戦争での勝利によりスイスは神聖ローマ帝国からの事実上の独立を勝ち取る。
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