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辻本史邑とは? わかりやすく解説

辻本史邑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/06 15:20 UTC 版)

辻本 史邑(つじもと しゆう、明治28年(1895年5月3日 - 昭和32年(1957年12月22日)は、奈良県出身の書家。名は勝巳士礼といい、史邑、別号に寧楽庵主人江村がある。

業績

は各体ともによく、清朝書風に傾倒した艶麗な作品を数多く残した[1]

日本書芸院の設立に力を注ぎ、寧楽書道会を興して雑誌『書鑑』を発行、また、『昭和新撰碑法帖大観』(全36冊)を発行して古典の普及を図るなど、戦前戦後にかけて後進の指導に果たした功績は大きく、関西書壇の興隆に貢献した[2]

大阪市立東洋陶磁美術館前にある関市長顕彰碑は史邑の書による。

門弟

今井凌雪村上三島、辻本翔鶴、原田観峰、辻本九華、谷辺橘南、広津雲仙、岡本松堂、森田翠香などの人材を育成した。

略歴

吉田熊吉の二男として生まれ、のち、辻本家を継いだ。幼い頃、書を桑山兼山に学び、大正4年(1915年、20歳)奈良師範学校を卒業後、付属小学校訓導となる。3年後、文検(文部省教員検定試験)習字科に合格し、奈良師範学校、県立奈良中学校の教諭となるが、昭和3年(1928年、34歳)教職を辞め、書道研究に専念した。

近藤雪竹中村春堂、井原雲涯、丹羽海鶴山本竟山比田井天来尾上柴舟に書を学び、日展参事、日本書道連盟関西総支部長、日本書芸院会長などを歴任。昭和28年(1953年、58歳)日本芸術院賞を受賞した。

年譜

開催した主な書道展

  • 第1回〜第4回史邑一門習作展(1938年 - 1941年)
  • 寧楽書道展(1938年
  • 史邑百品展(1939年)
  • 還暦六十一作展、史邑一門展(1955年)

主な著書

  • 『小学校書方練習手本』(1932年
  • 『漢字教育の根本的革新』(1932年)
  • 『三体千字文』(1933年
  • 『国民習字教範』(1933年)
  • 『昭和新撰碑法帖大観』(全36冊、1935年 - 1939年)
  • 『求古指針』(1938年)

脚注・出典

  1. ^ 書道辞典(二玄社) p.186
  2. ^ 書道辞典(飯島) pp..525-526

参考文献

  • 「生誕100年記念 辻本史邑展」(『書道藝術』インターアート出版、1993年9月)
  • 「近代日本の書」(『 1981年10月臨時増刊』芸術新聞社
  • 二玄社編集部編 『書道辞典 増補版』(二玄社、初版2010年)ISBN 978-4-544-12008-0
  • 飯島春敬編 『書道辞典』(東京堂出版、初版1975年)

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