ち‐し【致仕/致▽事】
致仕
致仕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 14:45 UTC 版)
時間が遡るが、范雎は白起があまりに功績を挙げるので、恐れて白起が趙の首都邯鄲を攻めようとするのを止めさせた。その後、昭襄王に讒言して白起を誅殺させた(白起の項も参照)。 その後任として范雎をかくまってくれた恩人の鄭安平を推挙したが、その鄭安平は2万の兵と共に趙へ降ってしまった。さらに范雎を昭襄王に推挙してくれた王稽は他国と通じた罪で誅殺された。これらのことで范雎は憂えたが、昭襄王の信頼は変わらず、また推挙者が罪を犯したことによる連座も不問にされた。 この時に、遊説家の蔡沢が范雎に商鞅・呉起・文種・伍子胥などのことを例に挙げ、「貴方様がこれらの人とどれほど違いましょうか」と、自らの手腕で国を隆盛させた時の王が健在中は贔屓にされるが、王の代が変れば贔屓により鬱積していた不満が出てきたりなどで悲劇的な末路を描くだろう(月満つれば則ち虧く)、と長く権力の座にあることの危うさを説き、范蠡に倣って致仕(引退)することを勧めた。范雎はこの言を入れて致仕し、後任の宰相に蔡沢が就いた。天下に覇を唱えんとする国の臣下最高位から潔く引いたが、范雎は商鞅たちのような末路を辿らずに済んだ。そして秦はその後も、范雎が築いた方針を礎に覇業を順調に進めたのである。
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致仕
出典:『Wiktionary』 (2021/08/15 01:16 UTC 版)
名詞
語源
元は、中国の科挙に合格して官職に在る進士(官位を貰える様な高級官僚)の退官を意味。
中国古代王朝(隋)では、科挙に合格し進士となって官職に就いた者が退職する年齢を70歳と定めていたので、無事、数え年70歳を迎え、官位を返上し、俸禄を辞する事を指した。
日本では、唐王朝に習って大宝律令を定めて以降、官僚が数え年70歳以上になると,五位以上の貴族官僚は天皇に退職願いの文書を奉り,六位以下の下級官僚は太政官に申し牒を出して,太政官から奏聞して退官する規定を設け、致仕と称した。70歳に至らず退官する事は、辞官と称し区別された。
関連語
翻訳
語意1
- 英語: resignation (en)
語意2
品詞の分類
名詞およびサ変動詞(役務) | 雇役 就役 仕官 廃黜 致仕 |
名詞およびサ変動詞(進退) | 退場 却退 致仕 退勤 退歩 |
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