石田美栄
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石田 美栄(いしだ みえ、1937年〈昭和12年〉8月11日 - )は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。元衆議院議員(1期)。
石田 美栄 いしだ みえ | |
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生年月日 | 1937年8月11日(85歳) |
出身校 | 津田塾大学英文科 |
所属政党 |
(無所属→) (民社党→) (新進党→) (新党友愛→) 民主党 |
選挙区 | 岡山県選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1995年7月23日 - 2001年7月22日 |
選挙区 | 旧岡山2区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1993年7月18日 - 1995年5月 |
人物
津田塾大学英文科を卒業、その後中国短期大学教授となった。1993年の第40回衆議院議員総選挙で民社党幹部林保夫の後継として岡山2区から出馬し江田五月社民連代表の支援も有り初当選した(無所属)。
1995年5月、衆議院議員を辞職し、参院選に転出、7月の第17回参議院議員通常選挙岡山県選挙区(当時定数2)で新進党公認で初当選した。
1996年9月に明日の内閣厚生大臣、11月に明日の内閣文部科学技術大臣となった。
1998年、新党友愛の結成に参加し、その後民主党へ合流。1999年7月、参院本会議で国旗及び国歌に関する法律に賛成票を投じた。
2001年、参議院一人区となった第19回参議院議員通常選挙で片山虎之助に敗れ落選した。
2022年7月18日、「故江田五月さんを偲ぶ会」が開催され、同じ岡山県選出の元国会議員である石田もこれに参加した[1][2][3]。
政策
- 選択的夫婦別姓制度導入に賛成。2000年には、石田ら超党派女性国会議員50名が、夫婦別姓選択制を求めて当時の森総理に申し入れを行った。申し入れでは、「とくに若い世代では、夫婦別姓選択制を望む声が高まっています。政府には、世論を喚起するなど、夫婦別姓選択制を導入するための努力を望む」としている[4]。
元秘書
脚注
- ^ “岡山市で元参議院議長の江田五月さんをしのぶ会”. 日本放送協会 (2022年7月18日). 2022年7月19日閲覧。
- ^ “江田氏の功績たたえ別れ惜しむ 岡山でしのぶ会”. 山陽新聞 (2022年7月18日). 2022年7月19日閲覧。
- ^ “故 #江田五月 さんを偲ぶ会に日帰りで出席。岡山県の内外から所縁のある人たちが多数参加して執り行われ、私の師事した #石田みえ 元参議院議員も来賓挨拶。私もすっかり秘書時代に戻って色々とお世話役をさせていただきましたが、岡山に関った8年間は濃密だったと改めて思いました。#くまがい裕人”. くまがい裕人@参議院議員(りっけん・埼玉県選挙区) (2022年7月18日). 2022年7月19日閲覧。
- ^ 夫婦別姓選択性導入などを盛りこんだ民法改正案推進を求める申し入れ 2000年9月29日
議会 | ||
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先代 新設 |
1998年 |
次代 竹村泰子 |
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