[go: up one dir, main page]
More Web Proxy on the site http://driver.im/

現代都市とは? わかりやすく解説

現代都市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/12 01:11 UTC 版)

現代都市(げんだいとし)(英語:current city)とは、

  1. 現在つまり現時点で存在する都市、例えば古代都市であっても人の営みがあり廃墟遺跡化していないこと
  2. 年代区分として現代に括られる時間帯・時間軸において造られた経緯のある都市

本項では後者について記述する。

概要

現代都市は近代都市に対し、時間の流れ上その後継となる都市を指す。近代都市の定義には複数あるが、現代という言葉の解釈から現代都市は概ね1945年第二次世界大戦後に造られた都市が対象となる。これは高層ビルなどの現代建築が多く存在する都市という意味にも置き換えられ、戦後に登場した新素材技術設計機械工学)、意匠デザインを多く用いた都市ともとれる。さらに21世紀になってから整備された都市という視点に加え、スマートグリッドのようなITIoTなどのインターネットインフラを中核に据えたスマートシティなどは現代都市の象徴といえる。また、創造産業のような新産業を基軸とする創造都市も現代都市に含まれる。理論の一つとしては、近代都市を批判し、理想的な都市を模索したル・コルビュジエの「輝く都市」が現代都市の先駆けといえる。

一方で現代都市は素材の性質や実利一辺倒の都市計画から無機質に、また前衛・斬新な外観から奇抜・陳腐なものに陥りやすい。そのためハードとソフトの融合(Orgware)を促し、現代思想人間中心主義ヒューマニズムに基づき人間生態系英語版都市生態系とが両立する環境に配慮したエコシティのような形態も現代都市の要素となる。

ただし、現代都市は無の状態から新たに造られた都市より、近代都市あるいはさらに古い歴史がある街の一部が再開発され構築された結果、現代都市と呼ばれるようになったものの方が多く、首都の大半は近代化国際化により古い都市が現代都市へと変貌を遂げている。そのため歴史的景観に対する景観破壊がしばしば俎上にのる。

無の状態から形成された現代都市の例
ブラジリアブラジルの首都/世界遺産),マスダール・シティアラブ首長国連邦/スマートシティ、エコシティ),アカデムゴロドクロシア学術都市),ネピドーミャンマーの首都),果川市韓国行政都市)
前近代・近代都市から発展した現代都市の例
東京日本江戸から発展),京都日本/平安京以来の千年の都が現代化、世界遺産),テルアビブイスラエル旧約聖書時代からの都市がテルアビブのホワイトシティ運動により現代化、世界遺産),イスタンブールトルココンスタンチノープルから発展),ニューデリーインド、オールドデリーに隣接して展開),ニューヨークアメリカ経済の中枢として発展),メキシコシティメキシコアステカの都テノチティトランの上に建都),ローマイタリア古代ローマから連綿と続く)

なお、マルティン・ハイデッガーの『存在と時間』における「時の流れの概念・観念」によれば、近代都市・近代建築を造った当時の人々からするとその時が現代であり、現時点の我々は未来の存在になり、百年後に現時点の我々は近代に編入され、SFで描かれる近未来都市が実現すればそれがその時代の現代都市になる。現代都市・現代建築という名称は暫定的なものと捉えられる。

全文参照引用

  • 新建築』2011年10月号「現代都市のための9か条」
  • 建築雑誌』2015年5月号「現代都市の文脈としての都市計画遺産」

関連項目


現代都市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 05:51 UTC 版)

ハニア」の記事における「現代都市」の解説

ハニア新市街では、多く地元住民生活し働いている。旧市街より伝統的な印象薄れるが、いまも歴史的関心を引く美し地区である。新市街最古地区は、18世紀初頭つくられたネア・ホラ(ニュー・タウンの意味)である。これは旧市街西端の先である。現在も成長する地区だが、非常に美し地区でもあり、狭い古い路地小さな漁港へとつながっている。同時期に、ハレパ地区は市の東部伸び始め地元貴族のための住宅地となった地区一部歴史的建造物外国ハニアにおいた旧大使館も含む)は20世紀破壊されたか打ち捨てられたままだった。最近残った建造物対し修繕を施そうという関心見られている。 地区にあるその他の歴史的建造物は、エレフテリオス・ヴェニゼロス邸(1876年-1880年建設)、旧フランス人学校(現在クレタ技術大学所有)、アギア・マグダリニ教会1901年-1903年)、クレタ総督宮殿1882年建設クレタ総督ゲオルギオス王子暮らした)、エヴァンゲリストリア教会1908年-1923年)である。ハレパのマリーナ地区一部がタバカリアと呼ばれ、古い製革業者ユニークな建築複合物がある。コウム・カピ(最初ヴェネツィア人たちは『砂の門』を意味するサッビオナーラと呼んだギリシャ語で訳すとコウム・カピとなる)は旧市街東部にある市壁先にある。これは、市壁の外に定住した初めての場所である。最初、ここはオスマン帝国領時代の終わり実際移り住んだ北アフリカ出身ベドウィン集団、ハリコテス(Halikoutes)の住居だった。現在、この場所には多く流行乗ったカフェバーレストラン絵になる砂浜前に並び成長著しい場所である。 町の現代部分の古い地区であると以前は名前が挙げられていた場所を離れれば20世紀の間に数カ所の新たな住宅地、アギオス・イオアニス、コウムベス、レンタリアナなどが成長した市の中心部一部最大ではない)は、色彩豊かな中程度の高さの建物占め1950年代から1970年代典型的なギリシャ都市化時代様相である。しかし、美し新古典主義建築建物一部ハニア東地区、中心部取り巻近郊にあり、絵のように美しい。中心地区設計は非常に優れ良質公園スポーツグラウンド、ヴェニゼロス・スタジアム、水泳プールがある。屋内市場アゴラマルセイユ市場元にした大規模な建物で、旧市街一角占め地元住民観光客人気がある。新興都市区域裁判所(Dikastiria、19世紀後半完成)、市立庭園(Kipos、1870年)、庭園時計塔(Roloi、1924年-1927年建設)、主教邸宅(Despotiko、19世紀初頭建設)、マノウソス・コウンドウロスの家(1909年建設)、文化センター(Pnevmatiko Kentro)がある。ハニア中心部最大広場は、市場広場Agora)、裁判所広場1866年広場である。 最近20年間で、ハニア住民郊外へ出る傾向同様に主としてアクロティリ半島など発展途上の場所へ流出する動きがみられた。 ディモクラティアス通り時計塔 主教邸宅 アギア・マグダリニ教会 マノウソス・コウンドウロスの家

※この「現代都市」の解説は、「ハニア」の解説の一部です。
「現代都市」を含む「ハニア」の記事については、「ハニア」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「現代都市」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

「現代都市」の関連用語

現代都市のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



現代都市のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの現代都市 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのハニア (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS