現代都市
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現代都市(げんだいとし)(英語:current city)とは、
本項では後者について記述する。
概要
現代都市は近代都市に対し、時間の流れ上その後継となる都市を指す。近代都市の定義には複数あるが、現代という言葉の解釈から現代都市は概ね1945年の第二次世界大戦後に造られた都市が対象となる。これは高層ビルなどの現代建築が多く存在する都市という意味にも置き換えられ、戦後に登場した新素材や技術(設計・機械工学)、意匠・デザインを多く用いた都市ともとれる。さらに21世紀になってから整備された都市という視点に加え、スマートグリッドのようなITやIoTなどのインターネットインフラを中核に据えたスマートシティなどは現代都市の象徴といえる。また、創造産業のような新産業を基軸とする創造都市も現代都市に含まれる。理論の一つとしては、近代都市を批判し、理想的な都市を模索したル・コルビュジエの「輝く都市」が現代都市の先駆けといえる。
一方で現代都市は素材の性質や実利一辺倒の都市計画から無機質に、また前衛・斬新な外観から奇抜・陳腐なものに陥りやすい。そのためハードとソフトの融合(Orgware)を促し、現代思想の人間中心主義・ヒューマニズムに基づき人間生態系と都市生態系とが両立する環境に配慮したエコシティのような形態も現代都市の要素となる。
ただし、現代都市は無の状態から新たに造られた都市より、近代都市あるいはさらに古い歴史がある街の一部が再開発され構築された結果、現代都市と呼ばれるようになったものの方が多く、首都の大半は近代化と国際化により古い都市が現代都市へと変貌を遂げている。そのため歴史的景観に対する景観破壊がしばしば俎上にのる。
無の状態から形成された現代都市の例 |
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ブラジリア( |
前近代・近代都市から発展した現代都市の例 |
東京( |
なお、マルティン・ハイデッガーの『存在と時間』における「時の流れの概念・観念」によれば、近代都市・近代建築を造った当時の人々からするとその時が現代であり、現時点の我々は未来の存在になり、百年後に現時点の我々は近代に編入され、SFで描かれる近未来都市が実現すればそれがその時代の現代都市になる。現代都市・現代建築という名称は暫定的なものと捉えられる。
全文参照引用
関連項目
現代都市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 05:51 UTC 版)
ハニアの新市街では、多くの地元住民が生活し働いている。旧市街より伝統的な印象は薄れるが、いまも歴史的関心を引く美しい地区である。新市街の最古の地区は、18世紀初頭につくられたネア・ホラ(ニュー・タウンの意味)である。これは旧市街の西端の先である。現在も成長する地区だが、非常に美しい地区でもあり、狭い古い路地が小さな漁港へとつながっている。同時期に、ハレパ地区は市の東部へ伸び始め、地元貴族のための住宅地となった。地区の一部の歴史的建造物(外国がハニアにおいた旧大使館も含む)は20世紀に破壊されたか打ち捨てられたままだった。最近、残った建造物に対し修繕を施そうという関心が見られている。 地区にあるその他の歴史的建造物は、エレフテリオス・ヴェニゼロス邸(1876年-1880年建設)、旧フランス人学校(現在クレタ技術大学が所有)、アギア・マグダリニ教会(1901年-1903年)、クレタ総督宮殿(1882年建設。クレタ総督ゲオルギオス王子が暮らした)、エヴァンゲリストリア教会(1908年-1923年)である。ハレパのマリーナ地区の一部がタバカリアと呼ばれ、古い製革業者のユニークな建築複合物がある。コウム・カピ(最初ヴェネツィア人たちは『砂の門』を意味するサッビオナーラと呼んだ。ギリシャ語で訳すとコウム・カピとなる)は旧市街の東部にある市壁の先にある。これは、市壁の外に定住した初めての場所である。最初、ここはオスマン帝国領時代の終わりに実際移り住んだ北アフリカ出身のベドウィン集団、ハリコテス(Halikoutes)の住居だった。現在、この場所には多くの流行に乗ったカフェ、バー、レストランが絵になる砂浜を前に並び、成長著しい場所である。 町の現代部分の古い地区であると以前は名前が挙げられていた場所を離れれば、20世紀の間に数カ所の新たな住宅地、アギオス・イオアニス、コウムベス、レンタリアナなどが成長した。市の中心部の一部(最大ではない)は、色彩豊かな中程度の高さの建物が占め、1950年代から1970年代の典型的なギリシャの都市化時代の様相である。しかし、美しい新古典主義建築の建物が一部、ハニアの東地区、中心部を取り巻く近郊にあり、絵のように美しい。中心地区の設計は非常に優れ、良質の公園とスポーツのグラウンド、ヴェニゼロス・スタジアム、水泳プールがある。屋内市場アゴラはマルセイユの市場を元にした大規模な建物で、旧市街の一角を占め、地元住民と観光客に人気がある。新興の都市区域は裁判所(Dikastiria、19世紀後半完成)、市立の庭園(Kipos、1870年)、庭園の時計塔(Roloi、1924年-1927年建設)、主教邸宅(Despotiko、19世紀初頭建設)、マノウソス・コウンドウロスの家(1909年建設)、文化センター(Pnevmatiko Kentro)がある。ハニア中心部最大の広場は、市場広場(Agora)、裁判所広場、1866年広場である。 最近20年間で、ハニア住民が郊外へ出る傾向、同様に主としてアクロティリ半島など発展途上の場所へ流出する動きがみられた。 ディモクラティアス通りの時計塔 主教邸宅 アギア・マグダリニ教会 マノウソス・コウンドウロスの家
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