河岸神殿
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カフラーの河岸神殿はナイル川近く、スフィンクス神殿のすぐ隣に立っていたとされる。入口の道からはハトホルとブバスティスに言及する碑文が見つかっている。また、カフラーのホルス名(ウセルイブ)を伴う碑文の残骸の一部が発見されている。マリエットは1860年にカフラー像を発見した。いくつかの物は井戸の底から見つかっており頭が無かった。しかし完全な状態の像も見つかっている。
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河岸神殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 03:19 UTC 版)
河岸神殿はナイル川の川岸に建てられた神殿である。大ピラミッドの河岸神殿は東約740m行ったギザ台地の麓から玄武岩の床が発見されたが、現在は埋め戻されており全容もつかめていない。第4王朝はミイラ作りに革命が起きた時期で、遺体から脳や内臓を取り出すようになる。こうしたミイラ作りはイブウ・エン・ワアブ(清めの天幕)という仮設の構造物で行われたが、これは河岸神殿に設置されたと考えられている。処置を終えた遺体はワアベト(清めの場所)に運ばれて安置されたが、このワアベトも河岸神殿内にあったと考えられている。このワアベトへの移動ではナイル川を渡ったが、河岸神殿で作られたミイラは疑似的に運河などを渡って再び河岸神殿に運び入れられたと考えられる。また、この儀式で用いられた船がクフ王の船と考えられる。クフの娘メレスアンクはワアベトに273日間安置されたと碑文に記されており、クフも同じであったと考えられる。
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