水江
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 23:53 UTC 版)
市域北部の高梁川下流東岸にある。もとは窪屋郡水江村だった。 『備中誌』には元和4年(1618年)に開墾されたとあり、江戸時代にこの地を領有した備前岡山藩主・池田忠雄が東高梁川の川筋を固定させ、東西の高梁川の間に出来た葦原を開発し、水江村として窪屋郡に所属させたとされる。 明治から大正に掛けて長期間行われた高梁川の改修工事により、新川筋で水江は東西に分断される形となる。小字「古水江」の多くが新川筋の中・河川敷となった。それにより古水江は、新川筋(現在の川筋)の両岸にわずかに名を残すのみとなる。 また、東西に分断された地を渡す渡船「水江の渡し」(後述)が設置された。 昭和2年には倉敷絹織(現クラレ)の工場が東高梁川の廃川地に造成され、翌年4月に創業を開始する。 元々砂地で排水良好な土地が多く、商業地である倉敷に近いことから近郊型園芸地帯として野菜(レンコンなど)栽培や切り花などの生産が多かったが、近年になると宅地への転換が増加した。 その後同地には昭和中期から平成にかけ、大型の主要幹線道路が造成され、ロードサイド店舗や住宅地が多く立地。特に現在はイオンモール倉敷が立地することで知られる。ほかに廃川地には中洲小学校・幼稚園なども立地している。
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