[go: up one dir, main page]
More Web Proxy on the site http://driver.im/

東平府とは? わかりやすく解説

東平府

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 01:24 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

東平府(とうへいふ)は、中国にかつて存在した宋代から初にかけて、現在の山東省南西部に設置された。

概要

1119年宣和元年)、北宋により鄆州が東平府に昇格した。東平府は京東西路に属し、須城東阿陽穀中都寿張平陰の6県と東平監を管轄した[1]

のとき、東平府は山東西路に属し、須城・東阿・陽穀・汶上・寿張・平陰の6県と景徳・木仁・関山・銅城・陽劉・楽安・定水・柴城・竹口・但歓・安寧・寧郷・翔鸞・固留・滑口・広里・石横・澄空・傅家岸の19鎮を管轄した[2]

1272年至元9年)、により東平府は東平路総管府と改められた。東平路は中書省に属し、録事司と須城・東阿・陽穀・汶上・寿張・平陰の6県を管轄した[3]1367年朱元璋により東平路は東平府と改められた。

1374年洪武7年)、により東平府は東平州に降格し、済寧府に属した。須城県は廃止され、東平州に編入された。1385年(洪武18年)、東平州は兗州府に転属した。東平州は東阿・陽穀・汶上・寿張・平陰の5県を管轄した[4]

のとき、東平州は泰安府に属し、属県を持たない散州となった[5]

1912年中華民国により東平州は廃止され、東平県と改められた。

脚注

  1. ^ 宋史』地理志一
  2. ^ 金史』地理志中
  3. ^ 元史』地理志一
  4. ^ 明史』地理志二
  5. ^ 清史稿』地理志八

東平府

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 15:19 UTC 版)

渤海 (国)」の記事における「東平府」の解説

拂涅の故地設けられ伊州蒙州、沱州、黒州、比州が設けられていた。

※この「東平府」の解説は、「渤海 (国)」の解説の一部です。
「東平府」を含む「渤海 (国)」の記事については、「渤海 (国)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「東平府」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

「東平府」の関連用語

東平府のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東平府のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの東平府 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの渤海 (国) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS