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月性とは? わかりやすく解説

げっしょう〔ゲツシヤウ〕【月性】

読み方:げっしょう

1817〜1858]江戸末期浄土真宗の僧。周防(すおう)妙円寺住職。字(あざな)は知円。号は清狂。諸国巡り志士交遊尊王攘夷海防論唱えた。「男子志を立てて郷関を出(い)ず」の詩は有名。


げっしょう 【月性】

幕末浄土真宗本願寺派僧。字は知円、号は清狂。周防山口県妙円寺住職諸国遊学し詩文をよくし、吉田松陰らに交わって勤皇僧として知られ、またキリスト教攻撃した二七歳の時に詠んだ男児立志出郷関」の詩は有名。病没。(一八一七五八

月性

読み方げっしょう

幕末の僧・志士。字は知円、清狂と号する15才の時、学問志して各地巡り詩文仏教学んだ吉田松陰らと尊王攘夷運動尽くした安政5年(1858)寂、42才。

月性

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/17 13:28 UTC 版)

月性の像

月性(げっしょう、文化14年9月27日1817年11月6日) - 安政5年5月11日1858年6月21日))は、江戸時代末期(幕末期)の尊皇攘夷派の周防国大島郡遠崎村(現在の山口県柳井市遠崎)、妙円寺(本願寺派)の住職。諱は実相。字は知円。号は清狂・烟渓・梧堂。贈正四位

経歴

15歳のとき豊前国肥前国安芸国漢詩文仏教を学び、また京阪江戸北越を遊学し名士と交流した。長門国では益田親施福原元僴浦元襄などに認められ、吉田松陰久坂玄瑞らとも親しかった。松蔭との付き合いは、松蔭が黒船への乗り込みに失敗し、萩の野山獄にいた頃からという。嘉永元(1848)年、月性が32歳の時に開いた私塾「清狂草堂(せいきょうそうどう)」は、「西の松下村塾、東の清狂草堂」と並び称され、多くの門人を輩出している。久坂玄瑞も一時期、ここで学んだ。月性は松陰より13歳年上になる。

安政3年(1856年)、西本願寺に招かれて上洛、梁川星巌梅田雲浜などと交流し攘夷論を唱え、紀州藩へ赴き海防の説得にあたるなど、常に外寇を憂えて人心を鼓舞し、国防の急を叫んでいたので世人は海防僧と呼んでいた。長州の藩論を攘夷に向かわせるのに努めた熱血漢で、詩をよくした。「・・・人間[1]到る処青山有り・・・」という言葉で有名な漢詩「将東遊題壁」(男児立志出郷関 学若無成死不還 埋骨豈期墳墓地 人間到処有青山)の作者としても名高い。

安政5年(1858年)5月、42歳で病死した。

関連施設

  • 月性展示館・清狂草堂 - 妙円寺境内にある展示館と月性が開いた私塾跡[2]。同館に近い遠崎学習等供用会館(柳井市遠崎318番地1)[3]の前には月性の像が建つ。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 「じんかん」と読み、「人の世」の意。
  2. ^ 月性展示館・清狂草堂(柳井市商工観光課)
  3. ^ 学習等共用会館 - 柳井市

参考文献等

関連項目

外部リンク




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