墓・霊廟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 13:48 UTC 版)
墓は不詳。『日本書紀』では、神八井耳命は「畝傍山北」に葬られたと記されている。畝傍山の北に所在する八幡神社(奈良県橿原市山本町152)社伝では、同社は神八井耳命の墓の所在地であるといい、古くは「八井神社」と称されたとする。 また、多氏の氏神社である多坐弥志理都比古神社(奈良県磯城郡田原本町)、その末裔の皇別の志貴県主の総社で式内社である志貴県主神社(大阪府藤井寺市)を始めとする諸社で、命の霊が祀られている。
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墓・霊廟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:41 UTC 版)
墓は、宮内庁により岡山県岡山市北区吉備津にある大吉備津彦命墓(おおきびつひこのみことのはか、位置)に治定されている。宮内庁上の形式は前方後円。遺跡名は「中山茶臼山古墳」で、吉備の中山の山上に位置する墳丘長108メートルの前方後円墳である。 また、吉備の中山の麓の吉備津神社(岡山県岡山市、備中国一宮、位置)は、国史にも見える吉備津彦命の霊廟として知られる。同社の国史での初見は『続日本後紀』承和14年(847年)10月22日条で、「吉備津彦命神」に対して従四位下の神階が授けられたというが、のちに神階は位階(○位)から品位(○品)へと変わり、貞観元年(859年)1月27日に二品まで昇っている。品位(一般には親王に対する位)を神階に使用する例は少なく、全国でも吉備津彦命のほか八幡神・八幡比咩神(大分県宇佐市の宇佐神宮)、伊佐奈岐命(兵庫県淡路市の伊弉諾神宮)の4神のみで、吉備津彦命と一般諸神との神格の違いが指摘される。この吉備津神社社伝では、吉備津彦命は吉備の中山の麓に茅葺宮を建てて住み、281歳で亡くなり山頂に葬られたという。 以上の吉備津神社の存在から、吉備津彦命が古くは「吉備政権」構成諸部族から始祖に位置づけられたとする説もある。また吉備の中山の北東麓では、同じく吉備津彦命を祀る吉備津彦神社(岡山県岡山市、備前国一宮)が知られる。
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墓・霊廟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 03:45 UTC 版)
死後は那保山(なほやま)に葬られ、奈良市法蓮佐保山3丁目の「那富山墓」と呼ばれる塚が陵墓と伝わる。 また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに皇太子の霊が祀られている。
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