仕事始め。電車は若干空いている印象もあり、もしやこの木、金に有休を取り、9日まで冬休みの人がいるだろうか。
久しぶりの神保町に着くと心が落ち着く。会社のドアを開けると、すでに浜田が出社しており、新年の挨拶。続いて、松村、小林、前田とやってきて、2023年の本の雑誌社がスタート。今年もおもしろたのしい「本の雑誌」とぐっとくる書籍を刊行していくのだ。
と意気込んでいると新年初の電話が鳴る。すわっ!長期休業明けの大量追加注文か!と浜田が興奮気味に電話に出、固唾を呑んで直納の準備を整えていると返品了解の電話であった。
「先が思いやられますね」と浜田は落ち込むものの、いやいや新年一発目の電話が返品了解というのは出版営業おみくじとしては幸運を招く吉報のひとつであり、浅草寺のおみくじの凶ように「これ以上、悪くならない」という意味なのだと説明する。
午前中、印刷会社や倉庫会社の人たちや近所の出版社の人たちが挨拶にやってくる。午後は私も新年の挨拶回りに出かける。
それにしてもだ。年末年始の休暇の間、私は初詣でお賽銭を投げる以外まったくお財布を開かなかったのだが、仕事が始まり東京に出、わが住む町にはない"本屋さん"というところを覗いたら、ぱっかり財布が開いて、またたくまにお札が旅立っていくではないか。
正直言って、休みの間の8日間、一度足りとも本を買いたいと思うことはなかった。なぜならそこに本屋がないから本を買うということが思い浮かばなかったのだ。
ならば結局、この何十年も本が売れないのは本屋さんが減ってるからじゃないのか? 出版社として本を売りたいと思うなら売れる本を作る以前に本屋さんを増やす努力をしなければならないのではなかろうか? どうしたら本屋さんが増えるかといったら本屋さんが儲かるようにすればいいんじゃないのか? としごく簡単なことに思い至る。
そんなことを考えつつ向かった千駄木の往来堂書店さんでさらに思いを強くするのであった。
かつて中村橋にある中村橋書店のT店長さんが、「まったくバカにしてんだよ、出版社は。この町に宮部みゆきを読む人なんかいないって言ってるのと一緒だろ?!」と当時ベストセラーとなっていた宮部みゆきの新刊が、いくら注文しても一冊も入荷しないことの憤りを叫んでいたことがあったのだけれど、逆にいえば本屋さんに並んでいる本というのは、この町にその本を買う人がいると本屋さんが信じ、仕入れ、並べているわけだ。
そう考えると千駄木の往来堂書店さんはやっぱり相当すごい本屋さんなのではなかろうか。たった20坪の店内に森田勝昭『クジラ捕りが津波に遭ったとき』(名古屋大学出版会)なんて本をぽそっと棚差しされているのであった。安い本ではない。3520円だ。これを往来堂書店さんは、自分のお店に来る誰かが買うのではないかと思って仕入れているわけだ。
そんなお店に新年の挨拶がてらのこのことやってきたのは私であって、棚を徘徊していたところこの本を見つけ、目が釘付けになってしまった。こんな本出てたの? 好みのどストライクな本じゃない? とおもむろに右手を伸ばし棚から抜き取ると、レジに直行するのであった。
往来堂書店さんが想像していたお客さんは私じゃなかったと思うけど、それでもその本を買う客が間違いなくお店にやってきたわけだ。
おそらくこの本、私みたいな研究者でもなく、勉強している学生でもなく、単なる雑食なノンフィクション読みにとっては、おおよその全ジャンルの棚をさっと眺められる20坪くらいの本屋さんでしか出会えなかった可能性が高いだろう。まさしく往来堂書店だから出会えたし、往来堂じゃなきゃ出会えなかった本。
やっぱり本は、本屋さんがあるからこそ売れるのだ。