恋と誤解された夕焼け
1,430円(税込)
発売日:2024/05/30
- 書籍
- 電子書籍あり
コトバの最尖端を疾走し続けてきた詩人が新たな沃野に向かう第12詩集!
《だから空がとても赤く燃えている。ぼくは愛されたい。》――今、ここにいる私たちの魂の秘密は、詩のコトバによってしか解き明かすことができない。《どこからなら、きみを連れ去る神様の手のひらがやってきても平気か、教えて。水平線か、地平線?》生命と世界の光と影をあますところなく照らし出す決定的な43篇。
初出
書誌情報
読み仮名 | コイトゴカイサレタユウヤケ |
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装幀 | 佐々木俊/ブックデザイン |
雑誌から生まれた本 | 新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 96ページ |
ISBN | 978-4-10-353813-4 |
C-CODE | 0092 |
ジャンル | 詩歌 |
定価 | 1,430円 |
電子書籍 価格 | 1,430円 |
電子書籍 配信開始日 | 2024/05/30 |
書評
心音とともに心臓が歩いている宇宙の果てへの野の径を
詩の土埃のような、白い蛾の撒いた粉末のような、……ながれ星の行跡も、それにしてもなんとも不思議だなこのてのひらはと、あらためて裏にしてみた仕草の記憶も、たしかなのに、辿り直してみると景色がちがう……。これはと、詩の鼓動の未来を開いているのだな、……読み返すたびに、最果タヒの詩篇は、杣道をかえる。五読六読のときであっただろうか、これはひそかに書くことを同伴しているらしいことにも、山道の小枝を折って道しるべにするメモをとっていて気がついていた。いや、読み手/書き手も、その都度その都度、“読む”や“書く”というよりも、“なぞる/たどる”仕方で、瞬時に仕草を変えていて、それに気がつくことが最果タヒの言葉を読むということではないのだろうか。そうか、“気がつかなかった”ことにも“気がつく”ということでもあるのであって、五読六読の折には、その折の別の戸口で気がついて、その別の戸口が開いてしまうこと、そのことの怖ろしさでもあったのだった。
たとえばわたくしは、何処でそれに気がついたのか、二行目と七行目の“日差し”が、もっともわたくしたちに近い恒星への深い挨拶であるらしいことに、おそらく、“心の奥”と“唯一の”によって、わたくしたちも咄嗟に気がついている。最果タヒの宇宙性、深淵にとどく心はおそらくここにある。
さらに、最果タヒの詩には、その根が何処にあるのかボーとするような声が這入って来ていて、ときにはそれが微妙な口調として、わたくしたちの心にいいしれない棘が傷跡を光らせるのだけれども、こうした傷口は、……ここではこんな詩篇の“ハ”にも、……とそう、誰かが気がついている。
愛してくれた人全員を大好きになれていたころ、
私の心の奥にまで日差しは届いていたけれど、
でももう届かなくてもいい、
そこに色褪せやすい押し花を飾って、
私は夜にそこで眠るから。
誰にも愛されなくてもきみを愛し続けるだろう。
私の唯一の日差し。
きみが一番幸福なときに
贈る花束になるためだけに、きみが好きだ。
窓際の詩
やさしい人はいなくて、柔らかい人だけがいて、
みんなが誰も刃物なんて持っていないと、
信じて、抱きしめ合っている。
愛し合っているのにとてもさみしい。
刃物を持っていてもいいよと
どうして言ってあげられないのだろう。
強くなれと言われたくなくて、
世界は美しいと信じたがった。
きみが最低な選択をしたとき、
ぼくはきみを愛したままでいる。約束する。
ぼくがきみの刃になる。
花束の詩
これも、咄嗟に“刃物”が最終行で“刃”に変ったことの衝撃を“ハ”としかいいえない、迷い=驚きの現場のような難路に杣道はさしかかっていたらしい。さらに、あるいはこの“ハ”は、別乾坤からの幽かな声であったのかも知れなかった。とすると、詩を書くこと、詩を読むことを敢えて難路とすることの謗を受けるのかも知れないのだが、最果タヒの詩にはそれがたしかにあって、しかし、いまから引用をする“お前は誰だよの気持ち”を、あなたはどう書き変えるのか。芥川龍之介なら“浪打ち際にしゃがんだまま、一本のマッチをともす、……”(芥川龍之介、「蜃気楼」)のだろうが、……。
爆撃機に乗って
生きていることが許されないと言われる時のお前は誰だよの気持ち、
暴力を振われる時のお前は誰だよの気持ち、
刃物を向けられる時のお前は誰だよの気持ち、お前は誰だよ、
神様がやってくることを期待していたいろんな人たちが
罰を受けて地獄に落ちていく、
そんな日は来ると教えられていた、でもお前は誰だよ、
神様でもないのにきみは許さないと、他人に言ったお前は誰だよ?
(中略)
ここに私たちはいない
とうの昔に連れ去られて
てのひらに全員分の心臓を乗せられて目隠しをされて、
膝をついて中腰のまま耳を澄ましている
簡単に人を殺せることなんて最初からわかっていました(あなたもね)
許される範囲でしかまだ人は死んでいないので無実というだけ
この世に 私を罰する神様はいない
殺し合う権利はない
小文の最後にこの詩を引いて“お前は誰だよの気持ち”とも、詩の土埃のような、白い蛾の撒いた粉末のようなものかことを、野の径で、垣間見たかったのは、“てのひら”や“心臓”ではなく、おそらく“膝をついて中腰のまま”にあったらしい。詩は変った。繊細さ、心映え、心細い難路を、……こうして、最果タヒは切り開いたのだ。
(よします・ごうぞう 詩人)
波 2024年7月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
最果タヒ
サイハテ・タヒ
詩人。1986年生まれ。2004年よりインターネット上で詩作をはじめ、翌年より「現代詩手帖」の新人作品欄に投稿をはじめる。2006年、現代詩手帖賞受賞。2007年、第一詩集『グッドモーニング』を刊行。同作で中原中也賞を受賞。以後の詩集に『空が分裂する』、『死んでしまう系のぼくらに』(現代詩花椿賞)、『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(2017年、石井裕也監督により映画化)、『愛の縫い目はここ』、『天国と、とてつもない暇』、『恋人たちはせーので光る』、『夜景座生まれ』、『さっきまでは薔薇だったぼく』、『不死身のつもりの流れ星』、『落雷はすべてキス』がある。2017年に刊行した『千年後の百人一首』(清川あさみとの共著)では100首を詩の言葉で現代語訳した。2018年、案内エッセイ『百人一首という感情』刊行。小説作品に『星か獣になる季節』、『渦森今日子は宇宙に期待しない。』、『十代に共感する奴はみんな嘘つき』など、エッセイ集に『きみの言い訳は最高の芸術』、『「好き」の因数分解』、『コンプレックス・プリズム』、『恋できみが死なない理由』など、絵本に『ここは』(及川賢治/絵)、翻訳作品に『わたしの全てのわたしたち』(サラ・クロッサン/著、金原瑞人との共訳)がある。