コラム
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近代化のねじれ その2:伝統なき修復
- 2019年06月25日2019:06:25:05:29:51
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- 林憲吾
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- 東京大学生産技術研究所 准教授
前回のコラムでは、オマーンの伝統家屋にみられる近代化のねじれを取り上げた。
オマーン・ルネサンスと呼ばれる1970年にはじまる近代化政策により、人々は石や土を用いた伝統家屋を離れ、近代材料の新たな家屋に移住した。旧集落には徐々に空き家となった伝統家屋が残り、風化しやすい土の建築は床や屋根の崩落が進んでいる。
しかし、近年、伝統家屋の歴史的、文化的価値が少しずつ見直され、伝統家屋の保全を要望する声も徐々に出てきている。ただし、そうはいっても建物は、すでに大きな傷を負ってしまっており、資金が限られた中でそれをどのように保全すればいいのか。その得策が見つからない。そんなやや皮肉な事態が生じている。
今回のコラムもまた、オマーンの歴史的建造物の保全を取り上げたい。今回はオマーンの地域性に着目しながら、保全にまつわる少し奇妙な事態を紹介する。
◆ドファール地方:乾燥とモンスーンの界面
オマーンの主要な市街地は、大きく2つの地域に分布している。国土の約8割を占める巨大な砂漠を中心に北と南に分かれる。
ペルシャ湾に面する北側は、沿岸部の首都マスカトや、内陸に入ったニズワやルスタクといった古都が有名である。一方、南はアラビア海に面する。ドファール地方と呼ばれるこの地区には中心都市サラーラがある。
これら北側と南側は、単に砂漠を介して隔たっているだけではない。実は自然環境に大きな違いがある。もちろんどちらも乾燥地であることに変わりはないのだが、ドファール地方はアジアモンスーンの影響をわずかに受けて、北に比べて夏は湿潤である。
マダガスカルから南アジア、東南アジア、そして日本に至る地域には、インド洋とユーラシア大陸との熱的コントラストで発生する巨大な季節風(通称アジアモンスーン)が往還している。
この季節風は夏にインド洋の湿った空気を大陸に運び、多量の降雨を各地にもたらす。前回、東南アジアを「木の世界」と表現したが、それはこの季節風による湿潤な気候のおかげでもある。
この季節風がドファール地方の沿岸部をかすめていく。オマーンは基本的にアジアモンスーンの通り道とは別世界の、降雨の少ない「土の世界」である。そうではあるが、ドファール地方だけ、季節風の影響を受け、夏にやや降雨があり、湿潤に振れるのだ。
そのためドファール地方の夏は、北側と違い、山肌が草木に覆われる。その過ごしやすさから避暑地として有名で、アラブ諸国からの観光客も多い。
私が中心都市サラーラに足を踏み入れたのは夏季ではなかったため緑一面の光景ではなかったが、それでも北側との違いはヤシの種類から明らかだった。オマーンをはじめアラビア半島は、乾燥に強いナツメヤシの世界である。しかしサラーラでは東南アジアで見られるように湿潤向きのココヤシが広がる。
ココヤシの並ぶ光景を見ていると、どことなく東南アジアにいるかのような錯覚すら覚える。いわばここは乾燥地域とモンスーン地域との界面である。
【ココヤシとバナナ農園の風景】
◆ドファールの伝統家屋
では、ドファール地方の伝統家屋はどのような形態なのかというと、そこはやはり乾燥地、木造ではなく組積造。基本的な構法は前回紹介した北側の家屋と同じである。
ただし、建材には地域性が表れる。床を支える根太をはじめ、他地域ではナツメヤシが利用される部位は、当然ながらココヤシで代用される。
さらに、躯体の建材は、日干しレンガではなく主に石灰岩である。これは、ドファール地方沿岸部の地質が、たやすく加工できる石灰岩から成るからで、この地質であればどこであれ石灰岩が選択されたであろうが、結果的に日干しレンガよりは降雨に強い、モンスーンに有利な建物になっている。
石やレンガなどの組積材とともに、それを積むための目地材、さらには壁面に塗る仕上材が組積造では重要である。
前回、ナツメヤシの幹を燃料に枯れ川の土を焼成してつくるサルージュ(Sarooj)を仕上材として紹介したが、サラーラでは、周辺で採取した土をココヤシの幹で焼成した白色のノラ(nurah)を仕上げに用いる。製法や成分はサルージュと基本的なところで共通しているが、ノラは石灰の純度が高い日本の漆喰に近いと考えられる。
こうした建材の利用法は、十分な性能と供給量が確保できるのであれば、身の回りで取得できる材料を用いるという、伝統的な建築の原則がわかりやすく表れている。
【奥に見えるのがサラーラに建つ伝統家屋。ノラと呼ばれる仕上材が表面に塗られる。】
北の材料/南の修復
ここドファール地方でも、上述した材料を用いた家屋や城塞などの伝統建築は損傷が進み、保全問題が発生している。特にこの地域はモンスーンの影響もあって、しばしばサイクロンが発生する。それが、建物に甚大な被害を及ぼし、加えて空き家になったりメンテナンスが疎かになると、もはや利用できる状態ではなくなる。
しかし、そんな伝統建築を政府が資金を出して修復し、文化財として保全する動きはある。とりわけかつての城塞や支配階層の邸宅などが、いち早くその対象になってきた。社寺仏閣やお城など、公共性が高かったり、規模が大きく荘厳であったりする建物の保全が優先され、一般の家屋が後に回るのは、日本であれどこであれ世の常である。
サラーラから西へ70㎞ほどに行ったミルバートに建つ城館も、そのように修復された伝統建築のひとつである。
この城館は18世紀の建設とされ、1970年代に発生したコミュニストの内戦であるドファール戦争の拠点になったこともあり、90年代には建物の半分以上が倒壊していたという。94年に観光施設として利用が始まったようだが、2011年に建物内外が本格的に修復された。
【ミルバートの城館。2011年に修復された。】
しかし、ドファール地方の建物を見て回った後にこの建物を訪れて少し不思議な感覚がした。なんとなくオマーン北側でみた伝統建築の雰囲気がしたのである。
その原因はおそらく建物の表層にあったと思われる。訊くと仕上げに使われているのは、この地域で使われているハトリではなく、サルージュだという。北側のニズワから運んで使ったようだ。他にも、床を支える木材など、北側の修復でよく目にする材料だ。
現在、オマーンの伝統建築の修復は遺産文化省が中心となって進めているようで、サルージュの工場をつくるなど、修復のための建材の生産や調達も行っている。そしてここからは推測でまだよくわからないが、古都が多く、伝統建築の保全が進んでいる北側の保全技法が、トップダウン的に各地に及んだ結果、ミルバートの城館のような修復がなされたのではないだろうか。
地方の建築を保全するための知見がまだ蓄積されていないこと、さらには、流通が容易になった現代という時代。それらが重なりあって、南における北の修復という事態が生じたのであろう。修復ではあるが、その場所の伝統からは切り離されてしまっている。
何をもって私たちは保全というのか、その深く根源的な問いをこの城館は投げかけている。
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林憲吾(東京大学生産技術研究所 講師)