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コラム

    • 近代化のねじれ:オマーンの伝統的家屋の行方

    • 2019年04月02日2019:04:02:05:00:00
      • 林憲吾
        • 東京大学生産技術研究所 准教授

◆土の世界

 

最近、土の世界に足を踏み入れている。というのも、縁あって昨年からアラビア半島のオマーンに通っているからだ。
 
アラビア半島は乾燥帯に属する。たとえばオマーンの首都マスカトでも年間わずか100mmほどしか雨が降らない。内陸には砂漠が広がり、国土の約8割は砂漠である。大きな街は、地下水に恵まれた内陸のオアシスや、比較的湿潤な沿岸部に集中する。
 
ただし、街でも樹木はきわめて乏しい。オアシス周辺にナツメヤシ農園がまとまってある以外は、疎らに木々が生えている程度で、目に映る山々は岩肌を露出させている。
 
写真1.岩が露出する山々。手前の緑がナツメヤシ農園。
 
インドネシアを中心に東南アジアを見てきた者からすると、この光景には驚かされるばかりである。日本もそうだが、湿潤な東南アジアでは、土の表面は大抵草木が覆っている。山といって眺めているのは木々であり、緑が優越する木の世界である。
 
対してオマーンは土の世界と言っていい。目に飛び込んでくるのは地面そのものである。木が優位か土が優位か。自然景観のこの対比は建築にも共通する。
 
 

◆土の建築

 

東南アジアの伝統的家屋は大抵が木造である。柱や梁に木材を利用するのはもちろんのこと、前回のコラムで紹介したスンバの家屋のように、壁や屋根に草木を使う事例も少なくない。
 
他方、木材資源が限られるオマーンでは伝統的家屋の建材は石や土が主である。
 
手頃な大きさの石や、加工しやすい石が入手できる地域では、壁には石が積まれるが、そうでなければ、土を固めてレンガにして積む。オマーンは燃料となる木材が乏しいため、焼成レンガは発達せず、いきおいそれは日干しレンガとなる。
 
たとえば古都ルスタクが位置するオマーン北東部は、石をほとんど使わず、日干しレンガを使う。日干しレンガをモルタルで積み、最後にサルージュと呼ばれる仕上げ材で塗り固める。
 
写真2.復元された日干しレンガの建物
 
このサルージュの原材料も土である。ワディと呼ばれる枯れ川の土に水を混ぜて、手でこねて塩抜きし、形を整え乾燥させる。その後、ナツメヤシの幹で組んだ台の上に並べ、ナツメヤシに火を付け焼成する。
 
写真3.サルージュの製作現場
 
できあがったサルージュは、粉末にした後、水などと配合して外壁に塗られる。漆喰やプラスター同様、おそらくサルージュに含まれている石灰成分が硬化することにより外壁の耐久性を高めるものと思われる。
 
土の建築とは言っても、当然ながら木材も利用する。壁に関しては、開口部のまぐさなど、ごく一部に限定されるけれど、床や屋根を支える構造体には木材が欠かせない。
 
オマーンでは木材は希少なだけでなく、樹種も限られている。そのため、容易に手に入るナツメヤシがことさら利用される。
 
ナツメヤシの果実は、古代よりこの地域の重要なカロリー源となってきた。他方、その幹や葉は建材として利用される。たとえば床は、ナツメヤシの幹を根太にして、その上に葉軸を敷き詰め、土をかぶせて作られる。
 
写真4.床を支えるナツメヤシの根太
 
このようなナツメヤシの利用は、東南アジアから見るととても興味深い。たとえばインドネシアではヤシ系の樹木はたくさんあるが、建材に利用されるのは、もっぱら葉の部分だけで、幹は利用されないからだ。
 
どうやらヤシの幹は乾燥すると内部がスカスカになるらしい。すぐに脆くなるため建材にはあまり向かないようだ。したがって、樹種が豊富なインドネシアでは、強度があって加工しやすい他の樹種が好まれる。
 
それに対してオマーンでは、樹種の制約があるため、幹まで使う。土の世界ならでは木の使い方である。
 
以上のように、日干しレンガやナツメヤシなど、身近な材料を使った家屋が伝統的に建てられてきた。だが、そんな家屋もいまではほとんど建てられることはない。身近な材料は、鉄やコンクリートなど近代材料に取って代わったからだ。
 
形態の上では伝統家屋に見えても、実際はコンクリートの建物ということも多い。世界各地で起こっている近代材料による家屋の変質は、ここオマーンでも同様である。
 
 

◆近代化のねじれ

 

だが、オマーンの近代化は、家屋の建て方を変えてしまっただけではなく、伝統的家屋の保全にも大きな打撃を与えている。
 
オマーンの本格的な近代化は1970年に始まるとされる。新たに国王に即位したカーブースによる一連の近代化事業がそれである。オマーン・ルネサンスとも呼称される。
 
1960年代後半、共産主義の反政府運動などによる社会的混乱を収拾できない前国王サイードに対し、息子カーブースが取った行動がクーデターであった。王位を父親から奪うと、ただちに国の改善に取り組んだ。
 
カーブースによる急速な近代化は、たとえば舗装道路の総延長距離に象徴される。1970年時点でわずか15kmだったその距離は、いまでは2万kmを超えるという。
 
一方、家屋に関する近代化事業には、伝統的家屋からの移住政策が挙げられる。伝統的家屋に住む人々に、近代的な材料や設備に基づく新たな家屋を提供する、というものである。
 
この政策によって市民は近代的な家屋を手にした。他方で伝統的家屋は空き家になってしまうケースが増えた。このことが伝統的家屋に深刻なダメージを与えている。
 
土の建築はメンテナンスが欠かせない。雨は少ないにしても、外壁の部分的崩落はしばしば起こる。だが、それを修復するのは比較的容易である。そのため、ちょこちょこ手を加えながら持続させていくことが肝要である。
 
しかし、空き家になるとメンテナンスの頻度は減ってしまう。そうすると、部分的崩落では済まず、屋根や床が完全に崩落した損傷のひどい状態になる。修復するにもそれなりの労力がかかるため、そのままで放置され、さらに劣化が進むという悪循環に入る。
 
一方、この状況とは裏腹に、伝統的家屋の歴史的価値を見直す動きが出てきているようだ。かなりの資金を費やして伝統的家屋の保存再生を行った事例もある。政府は観光にも力を入れているようで、伝統的家屋は文化的アイデンティティの支柱のみならず、観光資源として注目を集めつつある。
 
伝統的家屋のマイナス面が近代化政策により後景に退き、反対にプラス面が意識されるようになってきた。だが、その過程で伝統的家屋はすっかり損傷してしまった。近代化によるこのねじれをどうやって解消すればよいのか。オマーンの伝統的家屋が抱える大きな課題である。
 
写真5.ルスタクの集落。屋根が崩落した伝統的家屋が数多く残る。
 
歴史的建築物の世界では、しばしばオーセンティシティが重視される。真正性や信憑性と訳されるこの言葉は、建物が当初から変わらず持ち続けている性質として解釈される。いわばオリジナルの性質をいかにきちんと保全するか。それが重視される。
 
しかし、損傷の激しい土建築の保全に、ことさらにオーセンティシティを持ち出すのは適当ではないだろう。もっと言えば、土の建築はたえず人の手が入って維持されてきたため、そもそもオリジナルを捉えることがきわめて難しい。
 
そう考えると、おそらくもっと柔軟な保全が求められよう。定期的に人の手が加わり、常に変化し続けることが土の建築には必要かもしれない。屋根の落ちた家屋を前に、現地の人たちと新たな保全を模索しているところである。
 
 
【参考文献】
松尾昌樹編『オマーンを知るための55章』(明石書店、2018年)
Salmá Samar Damlūji The Architecture of Oman. (Garnet Publishing, 1998)
 
 
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林憲吾(東京大学生産技術研究所 講師)

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