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- 2022/12/16 掲載
カギは「ウェットラボ」との深い関係?モデルナがボストン地区で生まれた必然理由 篠﨑教授のインフォメーション・エコノミー(第153回)
ハイテク産業2大拠点「シリコンバレー」と「ルート128」
モデルナ社を生んだボストン地区のエコシステムには、どのような特徴があるのだろうか。現地調査から浮かび上がったのは、幅広い産業領域が群生するこの地域には、多種多様なスタートアップの土壌があることだ。これは、ネット関連に特化したイノベーションで傑出するシリコンバレー地区との対比で浮かび上がる地域特性でもある。そこには、ボストン地区の地理的、歴史的、文化的背景が影響しているようだ。
ルート128号線とは、ボストンを囲むような郊外の環状道(state highway)だ。他方、シリコンバレーは、サンフランシスコ郊外の渓谷盆地(Valley)に集積した半導体メーカーの代表的な製造素材であるシリコン(Silicon)に由来する呼称だ。
この2つの産業拠点は「大学の研究と戦後の積極的な軍事支出に支えられてスタートしたという共通点」があり、「活発な技術開発と起業家精神で桁はずれの経済成長」を続けた(Saxenian [1994])。
そのため、20世紀後半の「エレクトロニクス革命で世界のトップを走る地域として国際的な脚光」を浴びていたのだ。
1990年代に明暗が分かれた両者
1960年代から1970年代にかけて、ハイテク産業で隆盛を誇ったシリコンバレーとルート128だが、1980年代に入ると、世界を揺るがした2度のオイルショックで米国経済がスタグフレーションに襲われて、ともに苦境に陥った。シリコンバレーの半導体メーカーは、ジャパン・アズ・ナンバーワンの勢いに乗る日本企業との競争に敗れ、片やルート128の隆盛をけん引したコンピューター企業は、新しく登場したPCにシェアを奪われて、それぞれ斜陽化したのだ。
ところが、その後、シリコンバレーとルート128の足取りは明暗を分けることになった。ルート128が停滞を続ける中で、シリコンバレーは1990年代に復活し、ニュー・エコノミーの波に乗って、今日につながる発展の階段を一気に駆け上がった。
この違いは一体どこから生まれたのだろうか?Saxenian(1994)は、シリコンバレーもルート128も、出発点と技術は似通っているが、その歩みの中で根本的に異質の産業システムを築いてきたからだと分析している。
東部の保守的な気質が災いし没落の危機に
当時の分析によると、開放的な気質のシリコンバレーでは、対等な関係による自律分散型の産業システムが形成され、技術を相互に公開するオープン・イノベーションが惹起された。こうした環境の中で、インターネットとPCに象徴されるIT革命の波に乗り、見事な復活を遂げたわけだ。一方、ルート128には、東部エスタブリッシュを象徴するような保守的で堅実な大企業が多く、技術の自前主義的な抱え込みと、強い政治力に頼ったワシントンへの傾斜が進み、次第に活力を失い衰退の道をたどったという。
1990年代のシリコンバレーとルート128の明暗は、まるで日米経済の明暗とうり二つだが、その後の展開は異なる。日本は、今日まで続く「失われた30年」を余儀なくされているのに対して、ボストン地区は、mRNAワクチンで世界の脚光を浴びるモデルナ社のようなスタートアップ企業の躍動が随所でみられるのだ。
【次ページ】ルート128の強み「ウェットラボ」とは何か
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