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心の成長モデル
(年運通変便法)

四柱推命:「財」に関するエッセイ風考察
心の螺旋回帰的進化モデル
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・・・ スパイラル構造:それ故に便法としての有用性が浮かび上がる ・・・

「比劫」→「食傷」→「財」→「官殺」→「印」→「比劫」といった通変の循環律を考える上で、ここでは特に「財」に焦点を当てて論じてみましょう。

 「財」は比劫による「制」によって顕現するものです。象意としての「財」は、たぶんにこの世的なものにその多くを見いだし得るもので、よく取り上げられる事象は金銭・不動産・父祖・相続財産や役割もしくは生業、異性などです。
 世話やくべき対象であり、奉仕精神の赴く先であり、あなたの尽力による適切なコントロ-ルを待っている事象群である、と包括することが出来ましょう。
 自己エネルギ-(比劫)を転化して表現されたもの(食傷)が、世の中や人の役に立ち、さらに転じてこの世的な成果として形をなすのが「財」です。

 一般に行運で「財」が巡ると忙しく活躍しなければならない状況に囲まれるようになり、それに対して怠らずエネルギ-を投入し、持てる能力を発揮していけば成果が上がる、すなわち金銭や不動産や目指す異性の獲得につながる、といわれます。

 この世的な面での事象の動態が目に見え、それがためわかりやすい「盛運期」として説明されやすい時期です。
 しかしその一方で、精神的深化に取り組むゆとりが 得にくい時期でもあるでしょう。

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 振り子に喩えるなら、位置エネルギ-が最小となり、 その分が運動エネルギ-に転化している状態、すなわち運動エネルギ-が最大となっている状態をイメージしてみましょう。
 位置エネルギ-を精神的ポテンシャル、運動エネルギ-をこの世的な事象の動きの激しさ、に当てはめると理解しやすくなります。

 振り子が振り切れた目いっぱいの状態「比劫」の時期に力を込めて周囲に働きかけた結果、あれよあれよと物事が動き出すのが「食傷(食神・傷官)」の巡りの象意です。  
人はえてして自分が思っている以上に周囲に影響を及ぼしていたりします。自分ではいったん整え終えたつもりの新環境に周囲が反応し始めます。

 特に「傷官」で説明されることですが、「比劫」が巡る時期の言動結果に対し、時には自分の想定を超えたリアクションが引き出され、思わぬ急激な事態進行を目の当たりにした眩暈と戸惑いの中で、焦りや性急さによる不適切な対処言動が事態を悪くすることに事前警告を発する内容となっています。陰陽が同じ「食神」では、当面に成すべきことを成し終えたつもりの油断が引き起こす落とし穴的な想定外事態勃発ケースが論じられます。
 滑り台の上から穏やかに滑り下り始めたつもりが、急に降下速度が増して自分自身で驚く、といったイメージでも良いかと思います。

 「食傷」が表現の星(マ-ク)とも呼ばれるのは、振り子の位置エネルギ-満タン状態から運動エネルギ-へと移行するエネルギ-転換(五行の洩)の様相を表したものだからです。周囲の反応が想定外に思えたとしても、その源は自分にあります。
 「食傷」の巡りにおける便法としては、思わぬ事態と感じられるが故の(顕在意識が受ける)衝撃と、それに対して如何に対処出来るかが問われる環境設定・制御能力が 論点になっていると見做してよい、と思われます。

 新たな対処方法(処世術)を必要に迫られつつ編み出しながら、やがてそれらが軌道に乗り、実効を奏するにつれて自信もつき、顕在意識を安定させた状態で事象のコントロ-ルを行えるようになっていきます。
 そして、それを成し得たぶんが成果となって蓄積していく・・・それが次なる行運の「財(偏財・正財)」として説明されます。

 但し、象意としてはそうであっても、このときもし比劫の制御力が不足していると、「財」の運気をコントロ-ルし切れず、逆に運動エネルギ-に振り回される結果にもなりかねません。
 これは身弱の命式などで「財」が忌神になるケ-スに該当します。かかるケ-スでは、多すぎる「財」の材料(案件)があったとしても、それらを制御する「比劫」の力が足りなければ、自分の力を及ぼしてコントロ-ル出来たぶんだけが獲得される、というような事象の現れ方をするものです。
(もし制御すべき対象(財)が多すぎ(強すぎ)て持て余すならば、逆にそれらに翻弄されて精魂尽き、時には病気という財(=変質した案件)を抱えてしまう場合もあり、もともとの命造(原局)の五行バランスがさらに崩れる場合の「財」の巡りには注意が必要…など)

 もとより具体的事象の起こり方は、陰陽五行すべての要素と相互作用をつぶさに探って考察されるべきものながら、「比劫」と「財」とを結ぶ切り口で見れば…といった話です。

 一般に「財」が巡る行運は、次に予定されている精神的深化あるいは「高さ」を獲得・実現するための材料が多量に獲得される時期であり、その時その時では必ずしもその獲得材料を深く吟味しているゆとりがなかったりします。しかしやがてはそのための好機が巡って来ます。

 運動エネルギ-のピ-クを過ぎると、それは次第に位置エネルギ-に転換されていき、ある意味の「高さ」が蓄積されるようになっていきます。対社会的活躍の成果が信用の拡大につながり、より大きな役割を果たすための信任を得て、それが社会的地位や名誉という形(高さ)にも顕現されていく時期、それが次なる「官殺(正官・偏官)」のステップでしょう。
 そうした「官殺」は、自己(「比劫」の勢力)にあらゆる形で精神的負担を強いるものでもあり、それに耐えられるか否かが次なる課題となっていきます。

 出世や栄達(高さ)は必ずプレッシャーを伴ってやってくる… 「官殺」などと、「殺」の字をつけて呼ばれるのも、「比劫」と「官殺」の2つの五行勢力の激しい葛藤ないし格闘状態が起こり得る可能性を示唆しての名称、と解釈できようかと思います。

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 そして運動エネルギーから位置エネルギ-へと、「高さ」が極まっていくにつれ、「食傷」→「財」→「官殺」の巡り約六年間の中で獲得された経験・進化材料を掻き集め、それらの集約、学び整理、新材料を加えた新たな論理ハ-モニ-構想への思索段階へと移行していきます。

 それが次なる「印」の巡りです。表層意識には当然「悩み」が生じて来ますが、その悩ましさとは、そろそろ総括のための熟慮と思案が必要な頃合い時期に達していることに、内なる自分が気づいているが故に発生する事象といえます。
 思索深化のための学び・・・将来的に必要になることを予測して何かを体系的に学び直す等の好機とも説明されます。
 それゆえ「印」が巡る時期には、運動エネルギ-のコントロ-ルよりも、位置(精神)エネルギ-の管理とコントロ-ル力がポイントとなります。
(むしろ おおいに考え悩み、学びとるべし。精神的成長の好機なのだから徒に厭世気分に浸って無為に過ごさぬように → この時期の過ごし方次第で次の「比劫」からの周回規模やレベルが決まるのだから…の便法解説が有用)

 この「印」の時期に練り上げられた思案や新たなヴィジョンと可能性は、次なる「比劫」の巡りにおいて、爽快な気分の中でテストランあるいは即実地に適用され、エネルギッシュな試行錯誤を通し、より自分のものとして消化されていきます。また、その結果、意識界から眼界への新たな顕現、見える化が進むことになります。

 それゆえ「比劫」の巡りは、頑張って行動したぶんの成果が上がりやすい、という意味の好運期として説明されます。  
 すなわち「比劫」の巡りは、それ以前のステップを踏まえた新しい自分の表出好機であり、次なる螺旋周回の始まりです。
(但し、「比劫」の時期に我を通しすぎ、やり過ぎると、その揺り戻しや反動(しっぺ返し)が次の「食傷」の巡りで起こって翻弄されるので注意が必要 → 道を荒らし草を枯らして通るなよ…の便法へ)