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シリーズ監督論「教え、教えられ」 NTT東日本・北道貢さん 社会人野球NOW vol.59

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都市対抗野球大会2度の優勝を誇るNTT東日本を今シーズンから北道貢・新監督(43)が率います。強打の外野手として39歳まで17年間、現役を務め、3年間社業に専念した後、昨シーズンからヘッドコーチとしてチームに戻っていました。若き指揮官が名門再建に向け、どう取り組んでいくのか。社会人野球の指導者に聞くシリーズ監督論「教え、教えられ」。練習拠点の千葉県船橋市を訪ね、意気込みを伺いました。【聞き手 毎日新聞社野球委員会・藤野智成】

=チーム作りへの抱負を口にする北道さん

「日本一になる資格」

 ――シーズン幕開けが近づいています。今の心境を教えてください。

 ◆北道監督 目標はもちろん、2大大会で日本一になることです。NTTのユニホームを着ている限り、その目標がぶれることはありません。年が明けて、選手を集めて、改めてチームの歴史、伝統を説明し、「このユニホームを着るってことは甘いことじゃない、プライドを持ってほしい」と伝えました。もちろん勝ち負けは、相手がある話で、コントロールできないところもあります。ただそこまでにどういった準備をするか。選手にいつも言っているのは、「日本一になる資格がないと、日本一にはなれない」ということです。

  ――資格ですか。

 ◆はい。あいさつ、返事に始まり、報告、連絡、相談ができているか。社会人としてのマナーやチーム内のルールもあります。ルールの中では自由にしていい、と伝えていますが、ルールはきちんと守られなければなりません。日本一になるには、もちろん技術は大切ですが、野球以外のところにも、きっちり目を向けていかなければならないと思います。

  ――2023年シーズンは2大大会出場を逃すという悔しい結果となりました。平野宏・前監督のもと、建て直しを図り、昨年は2大大会出場をかなえました。ただ、東京都の第1代表となり、優勝候補と目された都市対抗は、1回戦で札幌市・北海道ガスに敗れました。日本選手権では1回戦でマツゲン箕島硬式野球部に勝ちましたが、優勝したトヨタ自動車に2回戦で敗れました。ヘッドコーチとして、チームの戦い方、どのように感じていましたか。

 ◆2023年の悔しさもあり、昨年はシーズンのスタートから全力で臨みました。4月のJABA静岡大会で優勝することができましたが、勝って、勝って、自信をつけていこうと取り組んでいました。ただ振り返れば、どこかで疲れが出ていたと思いますし、精神的なきつさもあり、そこのコントロールがうまくいかなかったのかな、と思います。一昨年、2大大会を逃したことで、昨年はレギュラーメンバーの中に都市対抗の出場が初めてだった選手が何人もいました。彼らがどう動くかなと思っていましたが、やはり、経験が足りなかったと思います。経験が大事だとつくづく思いました。言葉で伝えていても、いざ本番になると、プレッシャーがかかると感じました。本番は、完全に押されて、受けてしまいました。本物の力があれば、受けてからでも押し返すことができますが、まだその力はなかった。本物の力じゃなかったということだと思います。

  ――今年は一昨年、昨年の分まで、とさらに力が入りそうです。

 ◆選手は2年間の重みを背負っていると思います。その悔しさは持っていてほしいですが、重荷になってほしくないので、そこはうまく調整しながら臨みたいと思います。

 

=2015年日本選手権で適時打を放つ北道さん

「大人の集団」であるために

 ――39歳まで17年間、現役を務めたチームで、監督として再出発となります。改めてNTT東日本入社のきっかけと、チームに刻み込まれた伝統を教えてください。

 ◆私が駒大に入学した2000年は、シドニーオリンピックの年でした。野球はプロアマ合同チームで、代表チームの事前合宿がENEOS(当時日石三菱)のグラウンドでありました。私は球拾いの手伝いに行かせてもらい、練習の様子を見ていました。プロの選手たちに交じって練習する中で、やたらと目立っている選手がいました。ショートの沖原佳典さん(後に阪神、楽天)と、センターの飯塚智広さん。NTT東日本所属のお二人でした。プロの選手に比べれば、それほど体は大きくないのに、とにかく目立つんです。格好いいなと思いました。それからNTT東日本に興味を持ち、入社がかないました。やるときはやる、遊ぶときは遊ぶ。私は大人の集団である、このチームの伝統が大好きですし、大事にしていきたいと思っています。

 ――チームでは主将時代の2011年の都市対抗で準優勝し、ベテランとして存在感を発揮していた17年の都市対抗で36年ぶりの優勝を果たされました。先ほどの「資格」の話に戻りますが、当時のチームには優勝する資格が備わっていたということでしょうか。

(三菱自動車川崎、後の三菱ふそう川崎の監督として都市対抗で3度優勝後、200913年にNTT東日本で監督を務めた)垣野多鶴さんのもとで、主将を経験させていただきましたが、垣野さんは毎日毎日、日本一を目指すために何が必要かを選手に伝えられました。それが5年間積み重なって、チームの伝統となりました。日本一という目標が明確になり、飯塚智広監督に引き継がれ、結実しました。その過程で優勝する資格のあるチームになっていったと思います。

優勝の瞬間は、不思議と覚えていません。でも周囲の反響がものすごく大きかったのは覚えています。本当に素晴らしい。何度でも味わいたい喜びです。優勝したチームはどこも感じていると思いますが、あそこ(都市対抗優勝)を目指すのは大変ですが、本当にそれだけの価値があることを実感しました。

 

=2017年都市対抗野球で36年ぶりの優勝を果たした北道さん

「僕は僕らしく」

 ――垣野さんや飯塚さんの名前が挙がりましたが、どんな指導者を目指しますか。

 ◆これまで中学、高校、大学、多くの指導者の方にお世話になり、チーム作りや心構えを教わりました。それらの教えをチームの選手たちに還元していきたいと思います。誰かをまねようとしても、続かないと思うので、僕は本当に僕らしく、格好付けず、かしこまらず、行きたいです。

 ――ヘッドコーチから監督と肩書が変わり、選手とのコミュニケーションの取り方に変化はありますか。

 ◆昨日までのコーチが、監督となっただけで、その肩書だけで、距離を取ってしまう選手は必ずいると思います。それだけにコーチ時代と変わらず、常日ごろから自分から、一人一人に話しかけていこうと思います。監督になったといっても、僕は僕なので。それにスタッフとも話しましたが、草野球チームで監督のいないチームはあっても選手のいないチームはない。やっぱり、選手がいないと野球はできません。選手がいるから、僕たちの仕事がある。やはり選手が中心だと思います。選手が「こうしたい」と言ってきたことはじっくり聞き、尊重していこうと思っています。

  ――現役引退後、3年間、社業に専念されましたが、その間、新たな学びはありましたか。

 ◆全てが勉強、日々勉強という感じでした。総務や秘書業務を担当しましたが、いろんなことをいろんな人に教えていただきました。行政やお客様のところを訪問する上司に同行する中で、お付き合いする方も増えました。あっという間に1日が終わる感じでした。

 また、職場でも訪問先でもそうですが、野球部が多くの方に支えられ、応援されていることを改めて実感しました。スタンドでみんなで肩を組んで社歌を歌ったり、その盛り上がりのまま食事に行ったり、そんな姿をグラウンドの選手にも間近で見せたいと思うほど感動しました。選手たちが同じ職場にいることに社員が喜びを感じ、その社員が家に帰って家族に野球部を自慢し、家族の友達も次は観戦に来てくれる。私たち野球部は幸せだな、って思いました。その思いを胸に抱き続け、これからも応援されるチーム、魅力あるチームを目指していきたいと思います。

 

きたみち・みつぐ 1981年生まれ、北海道森町出身。駒大岩見沢高で春夏の甲子園に出場し、駒大を経て2004年、NTT東日本に入社。10年に社会人ベストナイン、最多打点賞に輝き、広州アジア競技大会にも出場した。11年に主将として都市対抗準優勝に導き、17年にはベテラン選手として優勝に貢献した。20年シーズンを最後に引退し、社業に専念した後、24年シーズンはヘッドコーチを務めた。船橋市在住、家族は妻と娘2人。