/どんな事業にも寿命がある。ただ、それは人間の働き盛りより、わずかに長い。一般に35年と言われている。だから、40才で会社を立ち上げ、いま70才で、後継者に事業承継するとしても、その会社の寿命は残りたった5年だ。/
戦後の団塊世代が一旗揚げて成功した会社や工場、店舗に継承者がいない、それで、それを売却して事業承継してほしい、と言う。地元の自治体や金融機関まで、これを斡旋する。だが、止めておけ、そんな賞味期限切れの商売を買っても、大損するだけだ。
どんな事業にも寿命がある。ただ、それは人間の働き盛りより、わずかに長い。一般に35年と言われている。だから、40才で会社を立ち上げ、いま70才で、後継者に事業承継するとしても、その会社の寿命は残りたった5年だ。
具体的に考えて見よう。たとえば、かつての新興住宅地の商店街のソバ屋。できた当時は造成地の戸建てが億近い価格で、かつては高給取りのビジネスマンが家族で訪れ、いまは悠々自適の年金生活の老夫婦が店に来て、繁盛している。とはいえ、店主も七十になって、ソバ打ちもしんどくなってきた。かといって、息子も娘も街中のマンション住まいの会社勤めで、店を継ぐ気なんかない。それで、だれかに店を売って、それを退職金代わりに、自分も老後を優雅に過ごしたい、なんて考えている。
が、考えて見ろ。そんな僻地の住宅地、通学する青年も、通勤する大人もおらず、もうバス路線も廃止だ。実際、亡くなったのか、老人ホームでも入ったのか、空き家だらけで、安価な公団団地ほどにも転入者がいない。小学校や中学校も統廃合。商店街も名ばかりで、年来、過半の店のシャッターが下りたまま。そんなところのソバ屋がこの後、いったい何年持つと思うのか。
会社や工場にしても、同じようなもの。たとえば、自動車関連。いまはまだうまくいっていないが、やがてEVシフトすれば、エンジンが無くなり、部品点数が劇的に減少する。そのメンテナンスも、修理点検ではなく、ごっそりパーツ丸ごとの新規交換になる。つまり、自動車関係の会社や工場なんて、それまでのつなぎの下請に過ぎない。
とくに日本は人口が激減する。それは、もはや数十年後までの完全確定事項であり、それ以降も複利の逆数で悪化することが予想されている。だから、いくらいま軌道に乗って儲かっている、としても、それは最後の徒花で、これで打ち止め。それは、まだ走るというだけの中古車より、タチが悪い。今後、事業の寿命が尽きても、それをたたむのにも莫大なカネがかかる。店舗や工場を撤去する費用も、建築以上に爆上がり。そのうえ、以前の連中が隠し埋めた汚染物質の処分処理や、その被害者たちへの裁判賠償まで、自分が引き受けなければならない。ようやくきれいに更地にしたところで、どのみち衰退地方の半端な不動産なんか、売れもしない。永遠に税金を負担させられるだけのババ抜き。つまり、事業始末の殿軍(しんがり)なんて、絶対に儲からない、それどころか、不幸を背負い込むだけ。
経営
2023.10.22
2023.12.07
2024.02.20
2024.05.18
2024.08.03
2024.10.09
2024.10.28
2024.11.07
2025.01.04
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。