1995年1月17日午前5時46分、淡路島北部を震源とする巨大地震が発生した。
報道カメラマンの工藤輝樹は、被災地でカメラを回し続けていた。消防車の来ない中、大きな火災現場での消火活動を撮影していると、衝撃的な「ある言葉」を浴びせられた。記者の榛葉健は、発災当日以降、ヘリコプターからの中継を続けていたが、長田の大規模火災現場で、右往左往する被災者たちの姿を見下ろしている自分に耐えられず、「地上記者」になりたいと要望を出す。
アナウンサーの馬野雅行は、地震直後からカメラの前に座り続けた。伝え手が慌てては聴者も慌ててしまうと、紙に「ゆっくり落ち着いて」と大書して目の前に置いたと明かす。現社長の虫明洋一は、大阪の本社でライフライン情報を伝えるヘッドを務めながら「3食保証されたあたたかい場所で仕事していていいのか」と、後ろめたさを覚えた。
当時の報道の様子がわかる実際の映像などと合わせて、取材するメディアに対する厳しい目、被災者に寄り添えなかったのでは…という後悔、被災地の放送局として「伝え続ける」意義が語られる。
※敬称略