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忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

問題を騒ぎ立てることの意味と無意味

 

 先日投稿した記事、『問題を考える人』と『解決方法を考える人』は昨今の情報社会についての私的な見解を一般化したものとなります。

 

 今回はもう少し率直に、昨今の言論空間に対して苦言を述べていきます。

 

問題を騒ぎ立てることの無意味

 個人であれば問題と共存したり温存したり依存したりしても自由です。それがある意味で人生の質を高めることもあるでしょうし、たとえそれが自らを傷つけることになろうとも、私は多少なりとも自由主義者ですので自己決定権を尊重します。

 ただ、集団や社会では別です。問題が存在することでの影響の範囲を考慮すれば、問題は速やかに解決されることが是と考えます。

 

 その点からして、『問題を考える人』は問題解決の初期段階においては貴重な存在ですが、いざ問題解決を図る段階においては不要どころか阻害要因だとすら思っています

 大変に辛辣で申し訳ないものの、すでに周知された問題を騒ぎ立てることは無意味であり、問題解決のための建設的な模索の邪魔です。

 粗野な言い回しをしますが、例えば昨今の国際情勢に関して、トランプ米大統領が破天荒であることを今騒ぎ立てたって意味がない、そんなことは周知の事実であり、そんなことを繰り返し語っている暇があるならば「どう対峙すべきか」を識者もメディアも民衆も皆で思索すべきだ、問題をあげつらって気持ち良くなる内輪の場を作るのではなく問題を解決するための議論の場を作って語るべきだ、そういった気持ちです。

 それこそ職場で何らかのトラブルが起きての緊急会議で「ああ、このトラブルはこれだけ問題だ」「誰が悪いんだ、どう責任を取るんだ」など騒ぎ立てて会議を空転させるタイプの人は邪魔で、そんなことは後でいいからまずはとにかくトラブルをどう処置して鎮火すべきかを議論するタイミングだろうとなることは良くあります。解決方法を考えるのではなく問題を考える人はまさにそういった人です。

 災害や事故の現場でどこから物資をかき集めてどうやって送り込んで如何にして人命救助をするかを考える初動期に「なんでインフラ投資がちゃんと行われていなかったんだ」「どうして備蓄がこんなに少ないんだ」「誰が責任者だ」などと騒ぎ立てる人は邪魔です。そういった根本原因は後で追求すればよく、まずやるべきこと考えるべきことは別にあります。

 

 この優先順位については過去にも記事を作成したことがあります。記事内で紹介している『ABCDEアプローチ』が良い参考となるでしょう。

 

 厳しいことを言いますが、やるべきことを建設的に議論すべきタイミングにおいて、『問題を考える人』は議論の場から押し退けなければなりません。

 

結言

 先の記事でも述べた通り、『問題を考える人』が無意味だとは言いません。問題を発見して人々に周知させる機能には大きな価値があります。

 ただ、それは周知であり解決には繋がりません。問題を解決するためには『解決方法を考える人』に任せる必要があります。そうせずにただ周知を繰り返して問題それ自体を語っていても無意味です。

 

 槍玉にあげて申し訳ないですが、例えばメディアは毎日のように「トランプがこんな発言をした!これは問題だ!」とした報道をしています。

 しかしそれはもうどうでもいいことです。トランプ大統領が過去に類を見ない発言をする問題はもう周知の事実であり、それを度々報道して皆で囲んで揶揄していてもただの問題の娯楽化に過ぎず、何も進みません。

 今必要なのはこの問題に対して日本や国際社会はどう対処すべきかであり、マスメディアが「社会の木鐸」などと大言壮語を吐くのであれば、報道官や政府高官の失言を拾って速報記事を出すよりもシンクタンクや識者の見解をかき集めて我々が進むべき道を指し示す報道をするべきだと思っています。

 そしてもちろんメディアに限らず、識者や専門家、果ては民衆に至るまで同様です。問題を騒ぎ立てるだけではなく解決方法を模索することが私たちには必要です。