ルトガー・ブレグマン氏
写真: 今村拓馬
高齢社会の社会保障制度や所得格差をどう解消するのか。これは日本だけでなく先進国に共通する課題だ。ヨーロッパ諸国ではこの問題を解決するために早くから議論を重ねている。
その中でいま最も注目を集める政策が「ベーシックインカム」の導入だ(ベーシックインカムとは何か? なぜ、いま議論が盛り上がっているのか?)。
ベーシックインカム支持者として知られるのが、歴史家であり、「デ・コレスポンデント」の記者でジャーナリストでもあるオランダ人のルトガー・ブレグマン氏(29)(TEDで絶賛! ベーシックインカムの導入を求めるスピーチ)。
彼の著書「隷属なき道ーAIとの競争に勝つ ベーシックインカムと3時間労働」は全世界で20カ国語に翻訳され、日本でも発売される。今回、日本語版発売を機に来日したブレグマン氏に、Business Insider Japanは取材した。
約4割は仕事にやりがいを感じていない
「隷属なき道ーAIとの競争に勝つ ベーシックインカムと3時間労働」は5月25日発売。
提供: 文藝春秋
「日本はテクノロジーに関しては先進的ですが、社会問題に対する解決策を実行するという点においては遅れていると感じます。ラディカルな問題にはラディカルな解決策が必要だということに気づくべきです」
まず日本に対する印象を聞くと、こう返ってきた。毎日満員電車に乗って通勤し、やりたくもない仕事をやらされているという今日の日本は、旧ソビエト連邦が人を管理して労働させていた社会にも似ていると語る。
「これは日本だけに限った話ではありません。最近の調査では、イギリスの労働者の37%が自分の仕事にはなんの価値もないと感じながら働いていることがわかりました。しかもそれは、銀行員、コンサルタント、マーケター、病院・大学・官庁の管理部門など、多くの中間労働者に当てはまることがわかったのです」
過剰消費社会で増えた、価値を生まない仕事
私たちが「仕事」というものの見方を根底から覆すために必要なのが、ベーシックインカムだとブレグマン氏はいう。
「もし人が明日の生活に不安を感じていたとしたら、人はリスクを取れない。イノベーションには不可欠な、新しいことへの挑戦 —— 新しい都市に引っ越したり、新しい仕事を探したり —— もできません」
では、氏がいう意味ある仕事、価値ある仕事とはなんだろうか。
「1930年代、多くの人々は『テクノロジーの進化によって人間がやるべき仕事は減る』と信じていました。実際に戦後には、スペースシャトル、洗濯機、テレビ、冷蔵庫といった多くのイノベーションが生まれました。
ところが1970年代から、人々が働く時間は逆に増えました。これは過剰な消費主義社会、資本主義社会によって、新しい価値を生まない、くだらない仕事が増えたからです。これを揶揄してシリコンバレーの起業家ピーター・ティールが『空飛ぶ車が欲しかったのに、得たのは(Twitterの)140文字だ』と言ったように」
研究者や発明家になるべき優秀な頭脳が金融業界に吸い取られている?
提供: Drew Angerer / Getty Images
「例えば、ある研究結果は、管理職が多い国ほど生産性が低いことを示しています。これは資本主義社会の問題が、優秀な人材が『なにかを生産しなくても、富を得ることができる』点にあるからです。
ハーバード大学の研究によると、レーガン政権時代の減税によって、優秀な人材が研究者や技術者ではなく、会計士や銀行員を選ぶようになったという指摘があります」
「金融業界による利益は実体経済を豊かにはしませんが、研究者はその何倍もの価値を経済に還元します。私たちは才能ある個人を『負の外部性をもつ職業から正の外部性をもつ職業に再配分する』必要があります。
1970年代、ハーバード大学の卒業生で研究の道に進む人は金融業界に進む人の2倍いましたが、20年後にその割合は逆転し、今では金融業界を選ぶ人が研究者の1.5倍となっています。私たちは優秀な頭脳が本当に有益な仕事をする(発明、研究、教育ほか)ために、税制を変える必要などがあるのです。そのために政府や教育は抜本的に変わらなければなりません」
しかし、ベーシックインカムには政府によるバラマキによって人は働かなくなってしまうのでは、という危惧がつきまとう。
「いま、仕事というものは『誰かにやらされるもの』という考えが普通です。人は生まれつき怠け者なので、誰かに強制されないと仕事をしないと考えられています。ですが、心理学の研究では、ほとんどの人は自分で自分の内的なモチベーションを高めることができるという結果が出ています。価値ある仕事をしたい、人に認められたいと思っているのです」
重要なのは適切な味方を見つけること
ヨーロッパでは世界に先駆けてベーシックインカムの議論が盛り上がり、いくつかの国では実験も始まっている。なぜこの“思想”を現実の政策レベルまで持っていけたのだろうか。
「ベーシックインカムは、つい数年前から始まった世界的なムーブメントです。スイスの例(編集部注:スイスは2016年6月、ベーシックインカム導入の国民投票を行い、反対多数で否決された)も、議論の始まりにすぎなかったと思っています。シリコンバレーの起業家たちの間でもベーシックインカムの導入に関心を持っている人が多くいます」
「共通しているのは、私たちがいま直面している問題の具体的な解決策としてベーシックインカムが浮上した、という点です。このムーブメントが左・右という従来型の政治的区分を越えて広まっているというのは非常に興味深いことです」
日本では、高齢者人口が若年層に比べて多いために、若者が投票に行っても選挙結果に反映されにくい「シルバーデモクラシー」という問題もある。
「年齢で人を分けることは得策ではありません。保守的な若者もいるし、先進的な考えの高齢者もいます。重要なのは、適切な味方を見つけることです。実際、1950年代の女性参政権運動など、歴史を変えるような出来事の多くは、少数のよく組織化されたグループによって起こりました」
今後20年で約半分の雇用が失われると言われる
提供: Alexander Koerner / Getty Images
「今後20年間で、約半分の雇用がロボットやAIに奪われると予想されています。将来、ロボットに自分の家族や大切な人のケア —— 子育てや介護、教育など —— をやってもらいたいでしょうか? ベーシックインカムがあれば、人がすべき仕事に就く人を増やすことができます」
「常識とは変わるものです。20年後どうなっているかは誰にもわかりません。政府も時代の変化に合わせ、新しいことに挑戦していくべきです。社会がこれまでにないスピードで変化している現代においては。いま必要なのは、エビデンス・ベースドな(根拠に基づいた)政策だと思います」
トランプは最も先進的なユートピアニストか?
ブレグマン氏が講演で語っていたある話が印象的だった。トランプが勝利した理由は「彼は保守的・排外主義的な政策を持っていたにもかかわらず、世界で最も先進的なユートピアニストであるように人々に思わせたから」。世界に蔓延する排外主義に対抗するため、私たちは別のユートピアを人々に見せなければならないと彼は説く。
ベーシックインカムは現代の公民権運動となるか
提供: Rowland Scherman for USIA (U.S. National Archives and Records Administration) [Public domain], via Wikimedia Commons
「歴史を振り返れば、奴隷制の廃止、女性参政権、民主主義、社会福祉国家……いずれも『ありえない、ユートピアのファンタジーだ』と思われていた考えでしたが、現実になりました。私たちの仕事は『ありえない』を『必然』にすることです」
「多くの人が将来に対して悲観的になっています。格差、差別やヘイトスピーチ、フェイクニュース。世界には悲観すべき問題がたくさんあるというのはわかりますが、悲観的になっていても始まりません。マーチン・ルーサー・キングは『私には悪夢がある』とは言いませんでしたよね?
私はこんな時代だからこそ、夢を語りたいと思っています。その夢を語るために、私はベーシックインカム、週15時間労働、国境を開く、という3点を掲げたのです」
「子どもが世界一幸せな国」と言われ、首都アムステルダムは「ミレニアル世代にとって世界一魅力的な街」であるオランダ。そんな国から来た若き歴史家の意見は、私たちにとってあまりに突拍子もないように思える。
しかし、日本社会はこの数年の間で大きな変革を迫られているという事実は変わらない。
「2025年には、団塊の世代の大半が75歳を超えている。それまでに高齢者が支えられる側から支える側へと転換するような社会を作り上げる必要がある。そこから逆算すると、この数年が勝負」
先週発表され大きな話題を呼んだ若手経産官僚によるレポート「不安な個人、立ちすくむ国家」はそんな文言で締めくくられている。