China Stringer Network / Reuters
アリババグループ傘下の金融会社、アント・グループ(螞蟻集団)が8月25日、香港、上海の両取引所に株式上場を申請した。
早ければ10月に上場し、現地メディアによると最大で300億ドル(約3兆2000億円)の調達を目指している。2019年12月に上場したサウジアラビア国営石油会社サウジアラムコを超えて史上最大のIPOとなる可能性が高い。本連載では、アントグループの歴史や事業内容、上場に伴う影響を2回に分けて紹介する。
話題尽くしの香港・上海同時上場
アントの上場は「史上最大級のIPO」以外にもいくつものトピックがある。
まず、アントの事業や利益の詳細が、今回の上場申請で提出された目論見書によって初めて明らかにされたことだ。同グループの評価額は1500億ドル(約16兆円、直近で資金調達した2018年6月時点)。評価額1000億ドル(約10兆円)にして「世界最大のユニコーン」と言われるバイトダンス(中国)を大きく上回っているのだが、非上場企業であったため、セグメント別の利益などは公開されていなかった。
米中の対立が激化する中で、アントがアメリカではなく香港と上海を上場先に選んだことも注目点だ。
2014年にニューヨークで上場したアリババグループは、当初は香港でのIPOを計画していたが、経営陣に多くの議決権を割り当てる「種類株」を発行していることが香港証券取引所から問題視され、上場先を変更した経緯がある。香港証取はその後、種類株を発行する企業の上場を認め、2019年にはアリババグループが「里帰り」上場を果たした。
香港証取がルールを改正したのは、アリババだけでなくアントの上場誘致に向けた布石とも見られており、香港での上場は予想通りだが、2019年に開設された上海の新興企業向け市場「科創板」への同時上場を選択したことは、コロナ禍で中国本土市場の力を高めたい同国政府の意向を反映していると推測できる。ちなみに、香港・科創板の同時上場はアントが初めてのケースとなる。
アントの上場によって、同社の幹部や社員から多数の億万長者が出ることも中国では話題になっている。アントが上場申請した25日には、アリババに出資するソフトバンクグループ(SBG)の株価も上昇した。
金融企業からテクノロジー企業へ
アント・グループは2020年6月、社名から「金融」を意味する「フィナンシャル」を外した。
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史上最大級、そしてSBGも絡むIPOとあって日本でも大注目されているアントだが、事業領域が中国内に集中しているため、事業内容を知っている人は多くないだろう。メディアでも「アリババの金融子会社」、あるいは「モバイル決済『アリペイ(支付宝)』の運営会社」と一言で説明されることが多い。
実際にはアントは、決済、融資、保険など金融のあらゆる分野を手がける金融総合企業だ。2020年6月には、社名を「アント・フィナンシャル」から「アント・グループ」に刷新し、金融よりもテクノロジーを全面に押し出す方針を表明した。社名変更は6年ぶりで、その前は通称「アリペイ」(正式名称:小微金融服務)と呼ばれていた。
アリペイは設立時の事業もあり、現時点でもアントが手掛ける中で世界的に最も知られている事業だ。2010年代後半に、中国ではキャッシュレス化が一気に進んだが、その立役者となったのは、アリペイとWeChat Pay(微信支付)という2つのQRコード決済サービスだった。
ではなぜそのサービスが生まれたのだろうか。
成り立ちが違うアリペイとWeChat Pay
アリペイはアリババの大株主であるソフトバンクの同意を得ることなく分離され、一時期問題になった。写真は2011年、「アリペイの分離問題は近く解決する」と語った孫正義氏。
REUTERS/Jo Yong-Hak
中国のモバイル決済として、ワンセットで語られるアリペイとWeChat Payだが、実はローンチの時期もDNAも大きく異なる。アリペイが生まれたのは2003年(正式リリースと会社設立は2004年)、対してアリババのライバル、テンセント(騰訊)がWeChat Payのサービスを開始したのは2014年と10年の開きがある。
アリペイは元々、アリババのECサイトの支払い手段として開発された。
1999年に創業したアリババは同年、企業間の取引プラットフォーム「アリババドットコム」を開設、2003年には個人間の取引プラットフォーム「タオバオ(淘宝)」をローンチした。
当時世界最大のオークションサイトだったeBayが中国に進出し、同社に市場を浸食されることを恐れたアリババ創業者のジャック・マー前会長が、SBGの孫正義会長兼社長の後押しも受け、ローンチしたのがタオバオだった。ちなみにSBGグループのヤフージャパンは、1999年にオークションサイト(現ヤフオク)を日本で始め、eBayに勝利している。アリババも中国市場でeBayを事実上撤退させ、対eBay戦でのジャック・マー氏と孫正義氏の共闘と勝利はアリババの成長史の大きな節目となっている。
初期ユーザーは覚えているだろうが、ヤフオクはサービス開始後しばらくの間、商品を落札した後の出品者・落札者のやり取りを当事者に完全に委ねていた。お互いの連絡先を交換し、口座番号を伝え、入金確認後に商品を送る。信頼の担保は取引相手のレビューだけだった。
出品者と落札者の信用補完システムとして誕生
アリババとアントはアリペイを中心に経済圏を作り上げてきた。アリババのハイテクホテルはアリペイでしか決済できない。
浦上早苗撮影
アリババのプラットフォームも同様だったが、中国は日本に比べて取引の信用が著しく低いため、アリババドットコムもローンチ後数年は、オンライン上で取引が成立した後に直接顔を合わせて商品やお金のやり取りをする手法が主流で、近場の人との取引がほとんどだった。
消費者間の取引プラットフォームは、企業間よりもさらに信用が担保しづらく、「説明や画像通りの商品を受け取れる」「お金を払ってもらえる」かに大きな不安がある。信用を高めるために開発されたのが、アリペイだった。
アリペイの仕組みはこうだ。取引が成立した後に、落札者が指定口座にお金を振り込む。アリペイは入金を確認後出品者に通知し、商品を発送してもらう。落札者が無事商品を受け取り、プラットフォームでその旨連絡すると、指定口座から出品者に代金が支払われる。
ヤフオクやメルカリが普及した今の日本では当たり前かもしれないが、アリペイが生まれた当時の中国では画期的かつ、ユーザーがイメージしにくいサービスだった。
『アント・フィナンシャルの成功法則』によるとアリペイを使った最初の取引は、2003年10月、横浜に留学していた中国人が出品した「富士フイルムのデジタルカメラ」だという。落札者はアリペイでの取引を申請した後に落札したことを後悔し、取引を撤回しようとしたが、「第1号案件」を作りたかったアリペイ社員が説得し、支払いにこぎつけた。アリペイはその後、タオバオと共に急成長していった。
テンセントとの競争で進化
テンセントとアリババは競争しながら中国のキャッシュレス社会を進めてきた。
REUTERS/Mark Blinch
アリババのECサイトの決済ツールだったアリペイは、テンセントメッセージアプリ「WeChat」が2014年にWeChat Payを開始したことで、モバイル決済アプリに戦場を移した。
WeChat Payは2014年から2015年にかけて、アプリでお年玉を送りあったり、お年玉をもらえるキャンペーンを大々的に実施し、一気にユーザーを獲得した。テンセントの社員は、「アリババが10年かけて耕してきた市場を1日で獲得した」と、当時の勢いを表現する。
アリペイも当然反撃した。スマホアプリとしての機能を拡充し、プロモーションも強化。今に至るまで毎年旧正月の時期には、両社の「お年玉大戦」が繰り広げられている。
アントが上場申請時に提出した目論見書によると、アリペイのユーザーは10億人を超え、いまやアリババ経済圏の核心となっている。アリババが本社を置く浙江省杭州市では、決済手段としてアリペイしか使えない店も少なくない。コロナ禍による外出制限の中で都市部住民の生活を支えたネットスーパー「Hema(盒馬鮮生)」もそうだし、アリババのハイテク機能を詰め込んだホテル「Fly Zoo Hotel」に至っては、アリペイで事前決済しないと予約できない。
そうして日常生活の決済ツールとして普及した結果、アリペイは膨大な消費者の取引データを手に入れ、ユーザーの取引履歴をベースに、AIが返済能力を瞬時に分析して融資を行うマイクロファイナンスや、個人の信用を数値化しその点数によってデポジットや金利を調整する「信用スコア」などの派生サービスを生み出していった。
返済が遅れたり、信用度が下がると、アリペイの使用に制限をかけられるなどのペナルティーもある。キャッシュレス社会の中国でアリペイを凍結されると生活に支障が及ぶため、アリペイ経由の融資の返済延滞率はアメリカのクレジットカードや銀行融資の返済延滞率と比べてもかなり低いという。
アントがアリペイ経済圏で得たデータをどう事業化し、利益を得ているのかについては、後編で目論見書から読み解いていきたい。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。