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「自分自身との戦い」JENNIE、ソロアルバム制作について語る
By Lyndsey Havens / Billboard.com掲載(2025年1月9日)
JENNIEのやることリストは刻々と増えている。この1年、このポップスターは自身のレーベルの立ち上げと、待望のソロ・デビュー・アルバムのリリース、さらには所属する世界的K-POPグループ、BLACKPINKの再結成が目前に迫っていることで頭がいっぱいで、理想のリリース・ナイトパーティーを思い描く余裕などなかった。彼女にそんな時間があれば、の話だが。
「私はパーティーの計画を立てるのが好きです。アルバムを作るのも好き。楽しいけれど、時には大変なこともあります。私はただ、確実にすべてを完璧にしたいだけです」とJENNIEは話す。
10月下旬の午後、ソウル市江南区にあるフォトスタジオで撮影を終え、小さな控え室の居心地のいいソファに座るJENNIEには、まるで『ゴシップガール』の主人公のママ、リリー・ヴァンダーウッドセンが特に疲れた一日を過ごした後を彷彿とさせる疲労の色がうかがえる。何時間もカメラを見つめて過ごしたセッションを終え、お揃いの黒のパンツとジップアップパーカーに着替えた彼女は、GENTLE MONSTERの濃いレンズのサングラスをかけ、目元、そして自分自身を少し休ませる(彼女は2024年4月にアイウェア・ブランドのGENTLE MONSTERと提携し、コラボレーション・ライン「ジェントルサロン」を発表している)。
28歳の彼女は、周囲の混沌とした状況にもかかわらず落ち着きを見せている。また、驚くほど自己認識力に優れており、それは自身にとって解放的であると同時に消耗するようでもある。完璧を追求することは疲れるし、終わりがないということを知っているが、それでも彼女はそれ以下では満足しない。最近ではこのことが次のアルバムをめぐる秘密主義にあらわれているが、自称“ワーカホリック”の彼女にとって、これは演出されたマーケティング上の神秘性とは程遠い。むしろそれは、長い間夢見てきたプロジェクトが完璧に近づくまで、リリースへのプレッシャーが高まる中、時間を稼ぐための手段なのかもしれない。
2024年初頭に制作を開始した、まだ世間にはほとんど明らかにされていないアルバムについて彼女は、「いつも『ごめんなさい、何も言えません』というような人間でいるのは感じが悪いですよね。もう少しで完成すると言いたいところです」と言う。その過程で得た最大の収穫のひとつは? 「『私は時間にはうまく対応できない』とだけ言っておきます」と彼女は笑いながら述べた。
Photo: Songyi Yoon
14歳でYGエンターテインメントの研修生となり、20歳でBLACKPINKのメンバーとなったJENNIEだが、それ以来、彼女のキャリアは明確に定義され、慎重に扱われてきた。その綿密なアプローチが歴史的な成果と世界的な名声をもたらした。2019年には、BLACKPINKは【コーチェラ】でパフォーマンスを行った初のK-POPガールズグループとなり、それからわずか4年後には、同フェスティバルのヘッドライナーを務めた初のアジア人アーティストとなった。JENNIEの他にLISA、ROSÉ、JISOOからなるこのグループは、2022年に発表した2枚目のアルバム『BORN PINK』で米ビルボード・アルバム・チャート“Billboard 200”の首位に輝いた初の韓国発ガールズグループとして歴史的な偉業を成し遂げた。
しかし、そのスターダムへと続いた確かな道は、JENNIEが自身の創造的な声を見つける時間をほとんど与えなかった。BLACKPINKの2016年のデビューから2023年までの間、彼女はグループのレーベルであるYGから2曲のソロシングルをリリースしただけだった。ストレートに「Solo」と題された2018年の韓国語と英語の楽曲と、米ビルボードの“Global Excl. U.S.”チャートで1位を獲得した2023年のダンスポップ・ナンバー「You & Me」だ。その間、JENNIEは“夢に見たパズル”と呼ぶソロアルバムを完成させたいという思いを募らせていた。そして2023年、BLACKPINKがYGと再契約し、メンバーがキャリア初のフリーエージェントとしてソロ活動を行うことになったとき、彼女はそのチャンスに飛びついた。
「この前のBLACKPINKのツアー中に(2023年に終了)、私は先々のことを考えずにはいられませんでした。そういう人間なんです。人生で実現したいことをリストアップして、次に何をすべきか、何を優先すべきかを具体的に考え始めました。そしてすぐに、『ソロアルバムをリリースするという夢をまだ叶えていない』ということに気づいたんです。その目標を達成することで自分自身を満足させたいと思いました」と彼女は言う。
滑走路を確保したJENNIEはそれを実行に移した。2023年12月に彼女は自身の独立レーベルOddAtelier(通称OA)を発表した。2024年の初めには米ロサンゼルスで“アルバムの旅”を始め、まだタイトルが発表されていないプロジェクトの“99%”をそこで取り組んだと語っている。9月にはコロンビア・レコードとの提携を発表し、10月にはアルバムからのリードシングル「Mantra」をリリースした。この楽曲は米国のデータを除いたグローバル・チャートである“Global Excl. U.S.”で2位、米国が含まれている“Global 200”では3位を記録した。
OAのグローバル・ビジネス部門の責任者であり、JENNIEが自身の“右腕”と呼ぶアリソン・チャンは、「長いプロセスとなりました。なぜならアメリカ人アーティストは通常、1枚のアルバムを制作するのに数年を要しますが、今年は(JENNIEが)再びBLACKPINKの活動に戻らなければならないため、時間的な制約があったからです」と述べ、「彼女は今回のアルバムで自身の芸術性を表現したかったのですが、当初我々は彼女にあまり合わないプロデューサーやソングライターと会っていました。このプロセスを通じて彼女のサウンドを見つけるのはかなり難しかったと思いますし、『Mantra』にたどり着くまでには非常に長い時間がかかりました。彼女のソロキャリアの始まりを世界に知らせる最初の完璧なシングルを見つけるだけでも大変でした」と説明している。
そして研修生として過ごした年月は、JENNIEをスターダムのあらゆる側面に対して備えさせたが、真の責任を担うことによるプレッシャーに彼女を慣れさせるものは何もなかった。JENNIEは、「実は研修生だった当時から、私は他の人たちが認めるものに納得したことは一度もなかったんです。『他の選択肢も見ていいですか?』とあらゆるチームに確認していました。だからプロセスには慣れていますが、どちらかというと精神的なものなんです。『もう一人前なんだから、正しい決断をしなさい』という考え方。そしてそれが一番怖いと感じることもあります。目を覚ましたときに、『こんなに圧倒的な支配力なんていらない』と思うこともあります」と振り返る。
「Mantra」のリリースから数日後、彼女は再びロサンゼルスに戻ってきた。『ジミー・キンメル・ライブ!』でこのプレイフルなポップヒットを披露するためだった。これはJENNIEのソロ・アーティストとしての全米TVデビューで、久しぶりに彼女は、出演のために大勢集まったファンを目にした。コロンビアのA&R担当副社長、ニコル・キムは、「Mantra」について、「人々が今でもJENNIEに期待していることを示した曲なので、彼女にとってよいスタートとなりました。彼女は踊り、歌いながらラップもしています」と語る。
その夜遅く、今度はJENNIEがファンになる番だった。チャーリーxcxとトロイ・シヴァンの【Sweat Tour】に参加し、チャーリー、トロイ、そして友人で『THE IDOL/ジ・アイドル』の共演者であるリリー=ローズ・デップと一緒に写真を撮った。ポップスター志望の女性(デップ)とプロデューサー(ザ・ウィークエンド)との物議を醸した関係を描いたこの衝撃的な2023年のドラマで、JENNIEはTVドラマデビューを果たした。JENNIEとリリー、ザ・ウィークエンドとのコラボレーション・シングル「One Of The Girls」は、彼女自身の名前で米ビルボード・ソング・チャート“Hot 100"に初登場した楽曲となった。
JENNIEは、生まれ故郷のソウルと比較して、ロサンゼルスでは“より自由”を感じていると語り、「外出して食べたいときに食べたい場所で食べられる」と述べたが、2つの都市の最大の違いは、彼女を取り巻く人々であると付け加えた。「ロサンゼルスでは人々から多くのことを学んでいます。特に音楽関係者にとっては、インスピレーションを与えてくれる人々と出会える素晴らしい環境です」と彼女は述べている。(彼女は11月にタイラー・ザ・クリエイターの【キャンプ・フロッグ・ノー・カーニバル】に参加するために戻っており、マット・チャンピオンのセット中にサプライズ出演して2024年のコラボ曲「Slow Motion」を披露し、Doechiiとバックステージで一緒にポーズを決めた。今年4月にも、【コーチェラ】でのソロデビューを果たすためにカリフォルニアに戻る予定だ。)
だからこそ、JENNIEはアルバムのほとんどをロサンゼルスでレコーディングしたことは「とても意図的に行ったこと」だと言い、「私はただ、その環境に身を投じて経験してみたかっただけなんです。ソウルでは昔から作り上げてきた楽な環境にとても安心してしまい楽しめませんでした。私は、『いや、これがあなたのキャリアで、これがあなたの人生なら、探求して学ばなきゃ』って思ったんです。自分にそう言い聞かせ続けました」と語っている。
Photo: Songyi Yoon
JENNIEはデビュー・アルバムをリリースする前は、K-POP界の大御所として名高いプロデューサー、パク・テディとだけ仕事をしてきた。そのため、新しい街で新しいクリエイティブなネットワークを構築する時期が来た際、そのプロセスは“大変だった”という。
「最初は本当に苦労しました」と彼女は認め、「数か月間は、新しい人たちでいっぱいの部屋に自分から飛び込んでいくような状態でした。とにかく『これかな? これかな?』とドアを叩き続けて、最終的には音的にも友人としても意気投合できる素晴らしい人たちと出会うことができました」と振り返った。(「Mantra」は、ビリー・ウォルシュ、ジャンパ、クラウディア・ヴァレンティーナなど、マネジメント、レコーディング、出版会社であるElectric Feelに所属するソングライターたちとの共同制作であり、主にロザリアやカミラ・カベロなど、一風変わったポップガールたちとの仕事で知られるエル・ギンチョがプロデュースした。)
JENNIEはYGの研修生として6年間過ごし、BLACKPINKに配属されるまで、メンバーの中で最も長い期間を要した。ソロアルバムの制作に取り組む中で、彼女は初期の頃、特に自身の嗜好についてじっくり考えた。当時の彼女には“本当にたくさんの音楽”を聴く時間があったと振り返る。「このアルバムの制作初期に、それがどれほど役立ったか、うまく説明できません。(BLACKPINKの成功の過程で)自分自身を振り返る機会がなかったので、このプロセスは、『当時、私は何に興味を持っていたんだっけ?』と考える時間でした。その時期は、スタートを切る上で大きな役割を果たしました」と彼女は語っている。
彼女の幼少期も同様だった。韓国でジェニー・キムとして生まれた彼女は、当時韓国に住む人々にとっては珍しい90年代のポップミュージックを母親がよくかけていたと振り返る。JENNIEは、「母は西洋文化にも大きな情熱を持っていました。ノラ・ジョーンズやバックストリート・ボーイズを流していました。自然に私はR&Bに惹きつけられましたし、もちろん、韓国はK-POP文化で知られていますので、それもとても身近に感じていました。私は常に音楽というものに夢中でした」と話す。(今でも母親とは“とても近くに住んで”いて、頻繁に会うことができると彼女は話している。)
Photo: Songyi Yoon
また、幼い頃からJENNIEは自立を強く望んでいた。10歳の時にニュージーランドのオークランドに母親と休暇で訪れて以来、JENNIEは5年間をそこで過ごし、韓国人家庭にホームステイしながら学校に通った。英語を覚えたのは主にこの時で、新しい友人たちが皆持っていたようなミドルネームへの憧れから、分身のルビー=ジェーンを思い描いた。「自分の中にさまざまなキャラクターを創造するのが得意だと思っています。自分のそういうところが好きです」と彼女は言う。
これらのキャラクターは、彼女のデビュー・アルバムで活躍するようだ(まだあまり詳しく話したくないという、いくつかの特徴もある)。JENNIEは、「私はジェニー・ルビー=ジェーンとして、ある意味で一人の人間として完成するつもりです」と明かし、「アルバムがリリースされれば、私が言っていることをきっと理解してもらえるでしょう。でも、私はさまざまなジャンルや要素を取り入れているので――ここではラップし、歌い、ハーモニーを奏で、語りかける……全体的なサウンドは、私がすべての曲を気に入っていることを確かめる作業でした。アルバムに無理やり曲を入れるようなことはしたくなかったので、そのために本当に戦いました。そして幸運にも、私を信じてサポートしてくれる人たちがいたので、私たちは『ワオ、準備ができたみたい』というレベルに到達することができました」と述べている。
JENNIEは新しいレーベルを立ち上げるとき、名前に何を求めるかわかっていた。見た目も響きもきれいで、自分自身とチームを象徴するようなものでありつつ、具体的すぎて自分たちを縛り付けないもの。「何でもできるオープンなレーベルであることを示す名前にしたかったんです。私たちが何なのか、誰にもレッテルを貼られたくなかった」と言う彼女は、フランス語で共同工房やアトリエを意味する言葉を使ったOddAtelierという名前を「まさに理にかなっていました。アトリエとは、芸術を創造する場所です」と説明した。
それでも、2023年の終わりに立ち上げようと決めた直後、JENNIEは鏡に映る自分自身を見つめ、「自分が下した選択を理解しているか?」と考えた。彼女は、「本当にオール・オア・ナッシングの状況でした。ある日突然、自分のためにレーベルを作りたいと思ったわけではないんです。私にとって、一緒に仕事をしてきた人たちも多かったので、自然とチームとの関係を築き、一緒に夢を描くようになりました。だから(メンバーが)それぞれの道を進むチャンスが訪れたとき、それは6年後くらいのことだと思っていました。こんなに早く実現するとは思ってもみませんでした。だから人生での自立に踏み切る勇気を出したんですが、その道のりはすべて私にとって学びのプロセスでした。まったく新しい世界を学んでいます。1年経った今、このレーベルを立ち上げる勇気を出してよかったと思っています。これ以上ないほど誇りに思っています」と語っている。
彼女がOAで他のアーティストと契約を結ぶ予定があるかについては、この瞬間がいかに圧倒的なものであるかを示す回答が返ってきた。「この質問をあちこちで受けているのですが、私の答えは、『お願いだから、私はこのアルバムでとても忙しいので、そんなことを考えるのは今はやめておきましょう』です」と、彼女は丁寧にため息をつきつつ笑いながら言った。
OAのグローバル・ビジネス部門の責任者であるアリソン・チャンは、YGエンターテインメントUSAでBLACKPINKなどのライセンス、マーチャンダイジング、知的財産を担当していた2019年にJENNIEと出会った。二人は「すぐに意気投合しました」とアリソンは振り返り、「私たちは絆を育み、それから毎日顔を合わせるようになり、私はBLACKPINKの仕事と並行して彼女のマネジメントも行うようになりました。一緒にツアーに出かけ、そして(2023年に)彼女が、『ねえ、OAを立ち上げたいの』と言ったんです」と語っている。
「初めて会った日から、『わあ、この子は本当に賢いな』と思いました」とアリソンは続け、「彼女は自分が何を求めているのかを理解しています。彼女は野心家です。私たちはお互いに対する基準が非常に高い。ソロ・アーティストとして、彼女はさらに大きく羽ばたき、より大きな世界的アーティストへと成長するためのクリエイティブな方向性や戦略について、より大きな権限を持つことができます」と述べている。
Photo: Songyi Yoon
JENNIEがアジアの音楽市場を代表する韓国のポップスターになることが期待されている。それは、スペイン語圏の市場でバッド・バニーがそうであるように。だが彼女と彼女のチームだけでは世界を征服することはできなかった。アリソンは、米国でさらに広く受け入れられることを目標とするのであれば、より多くのリソースと経験が必要だとわかっていた。彼女は、「それは当然のことでした。私たちは米国のレーベルと提携する必要がありました」と話す。
彼女とJENNIEは2023年の終わり頃に“数多く”のレーベルのミーティングに参加したが、最終的にはコロンビアと契約した。同社の“積極性”と、ミーティングに参加したチームが事前にどれほどJENNIEについて調査していたかがその理由だった。コロンビアに移籍する前はHYBEでBTSなどのアーティストを担当していたニコル・キムは、「JENNIEは自身のルーツや伝統を誰よりも大切にしています。そして米国市場を含め、グローバルなアーティストとしての地位を確立したいという思いがある一方で、自分のファンベースを大切に思っており、誇らしく思ってほしいとも考えています。そして私たちのチームは、彼女がそれを達成できるよう全力でサポートしていると思います」と述べている。(さらにサポートするため、ジェレミー・エルリッチがOAと共同マネージャーを務める。2010年代後半にインタースコープのビジネス開発部長として、彼はレーベルとYGの間の会話を促進し、最終的に両社のグローバルなパートナーシップとBLACKPINKのインタースコープとの契約締結につながった。)
JENNIEを取り巻くしがらみは拡大しても、彼女はしっかりとその中心に位置し、指揮を執ることに専念している。それができる理由は、“No.1のボスレディ”と呼ぶ自身の母親に起因していると言う。「私は他のどこにも目を向ける必要がありません。母は女性としてのあり方、ボスとしてのあり方、自分らしくある方法を教えてくれました。尊敬しています」と彼女は熱く語る。
BLACKPINKで経験を積む中で、JENNIEは妥協の仕方を学ばなければならなかったという。自身のアルバムでは、妥協すべき相手は自分だけだ。彼女は、「自分自身との戦いです。自分を説得するのは簡単ではありません。私と一緒に仕事をするのは簡単ではないんです」と話す。だからこそ、彼女はこの経験を切望した。それは、彼女に比喩的な鏡を覗き込むことを強いた。
「私はこれを必要としていたんです。これが欲しかった」と言う彼女の口調は自信に満ちている。「自分自身について知れば知るほど、自分を愛そうとするんです。私は人生のある時期、そうすることができませんでした。どうすればいいのか見当もつかなかった。自分が何者なのかも、何のために生きているのかも分からなかった。自分が無知だと感じていた時期です。そこから抜け出して、自分自身に専念してきたという事実を私は誇りに思っています」と彼女は語っている。
そして、「自分を見失うのは簡単です。それはそれでいいんです」と続け、「K-POPやポップミュージックなど、私が追い求めていたこれらのレッテルについて、自分が迷子になっているように感じていた時期もありました。今振り返ると、当時の自分に、『迷子になっていることを少し楽しんでみたらどう。迷子になっていることに気づく余裕さえない時期が来るだろうから』と言いたいです」と述べている。
BLACKPINKメンバーのグループチャットには、シンプルかつぴったりな絵文字が使われている。4人家族だ。JENNIEによると、メンバーはできる限り頻繁にチェックしているという。「私たちは皆それぞれに忙しい生活を送っています。当然毎日お互いに電話することはできません。お互いにあまり会えないことは分かっていても、これまでと何も変わらないと感じるのは、私たちがお互いの力になるということを確信しているからです」とJENNIEは言い、「文字どおり電話一本でつながっているんです。そしてこの時点では、私たちは互いのスペースをとても尊重しています。ですから、何か嬉しいことや祝うべきことがあれば、全員が参加するんです」と語った。
グループの熱心なファンであるBLINKにとって、BLACKPINKの2025年の再結成(と予定されている新曲とツアー)は、ROSÉがリリースしたばかりのソロアルバム、LISAのドラマ『ホワイト・ロータス/諸事情だらけのリゾートホテル』への参加と今後リリース予定のアルバム、JISOOの今後公開予定の韓国ドラマとディオールのキャンペーンへの出演に続くものとなるため、まさにお祝い続きだ。JENNIEは、「(メンバーに)会えなくて寂しかったです。彼女たちとツアーができなくて寂しいです。みんなとふざけている瞬間も懐かしいです。みんなが何をもたらしてくれるのか楽しみ。この間、みんなそれぞれ別の道を歩んでいましたが、それをみんなと共有できるのが楽しみです。今まで見たことのない、最もパワフルな自分たちを見せられると思います」と語っている。
BLACKPINKのメンバーが成長を続ける中、アリソンは最前列でJENNIEの成長を見守ってきたことが何よりの喜びだと語る。彼女は、「あまり知られていないと思いますが、彼女はとてもシャイで内向的なんです。このプロセス全体を通して彼女を見てきて、彼女がどれほど成長したか本当に感嘆しています。全力で取り組んできたんです」と語る。JENNIEがアルバムをレコーディングしていた際には、毎日翌朝の6時、7時までスタジオにこもることもあったとキムは振り返る。「もっと長くいて、もっとたくさん作曲したいという彼女の意欲には驚かされました。本当に本当に情熱的でした。スタジオで一生懸命に働く彼女の姿は、私にとって大きな刺激でした」と彼女は話している。
Photo: Songyi Yoon
その結果、JENNIEのアルバムの大半は、「自分が経験したこと、共感したこと、人生で欲しいもの」について深く個人的な視点で書かれた歌詞が基盤となっている。「BLACKPINKのメンバーだった頃と変わったことのひとつは、自分のメッセージを自分のやり方で発信できるようになったことです」と彼女は話す。
そして、スタジオ内外でじっくり考える時間がたくさんあったことで、JENNIEの人生の一部が初めて明確になった。その中には、これが自分の人生だという気付きも含まれていた。彼女のスケジュールは変動的であるため、身体がリズムに追いつくのに苦労することが多いが、時間をかけて、自己ケアを優先する術を身につけてきた。彼女にとって理想的な休日(「滅多にない」と彼女は言う)には、朝のコーヒーまたは紅茶、ピラティス、サウナまたは入浴、友人との夕食、家の整理などが含まれる。「それが私にとっての癒しです」と彼女は語る。
当然のことながら、JENNIEは今日の米ビルボードの撮影に備えてヘアメイクをしてもらっている間にそのようなことを考えていたが、そこから思いついたことをチームにも伝えていた。彼女は、「もしこの仕事やこの世界に憧れている10代の若者たちに何か伝えられることがあるとすれば、私が経験から言えるのはただ一つ、『これはあなたの人生であり、これからずっと生きていくのだ』ということだけ、って伝えたんです。次の10年でも、次の3年でもない。夢を追いかけるのは素晴らしいけれど、生きることを忘れてはいけない」と述べた。
今のところ、JENNIEは自分のアドバイスに従っている。ソロデビューが継続的なソロキャリアの始まりなのかと尋ねられた彼女は、「私にプレッシャーをかけないでください。今は今を生き、それから次のことに徐々に慣れていきたいんです」と簡潔に答えた。彼女は今までそうしてきたことがあるのだろうか? 「いえ、まったくないです。毎日が今の私を作りあげたんです」と述べた。
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