「じいちゃん、置いてくぞ」 100メートル先に津波、迫られた判断

写真ルポ 能登半島地震

小玉重隆
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 「じいちゃん、悪いけど置いて行くぞ。津波がそこまで来ているから」

 地震発生から10日が過ぎた11日。横場松男さん(60)は、石川県珠洲市宝立町鵜島(うしま)の自宅から荷物を取り出していた。津波が迫るなか、倒壊した自宅に取り残されて亡くなった父の政則さん(85)にかけた最後の言葉を振り返った。

 横場さんの自宅は、築30年の2階建てだった。元日のあの日、家にいたのは父と母、妻と息子2人の合計6人。父は、トンネル工事に従事していたため、じん肺を患っていた。酸素吸入を受け、ほぼ寝たきりの状態だったという。

 「ピー! ピー!」

 最初の揺れで停電が起きた直後、酸素吸入器の電源が落ち、警告音が家中に鳴り響いた。「あっ」と思った瞬間に、激震が襲った。地面の下から2度3度、激しく突き上げられる。地割れが起き、ねじれるようにして家族全員のいる1階部分がつぶれた。

 幸い、居間にいた家族は隙間からはい出ることができた。だが、寝室の父に呼びかけても返事がない。近所の人も集まってくる。

 そして家から100メートルほど離れた海を見たときだった。

 「津波が来る!」

 岸壁から津波があふれてくるのが見えた。波は、徐々に家に迫ってくる。

 「このままじゃ、自分も周りの人も死ぬかもしれない」

 とっさに判断した横場さんは、1階に閉じ込められた父を置いていくしかなかった。

 父を自宅から救出できたのは、地震発生2日後の3日だった。津波は自宅まで到達し、家の中にあった冷蔵庫も波をかぶっていた。地元消防団が天井とベッドの間に挟まれた父を、5人がかりで出してくれた。

 父は、天井が落ちてくるのを凝視していたのだろう。目は見開き、両手を突き上げた状態で亡くなっていた。「あの状況では、どうすることもできなかった」と横場さんは話す。

 「こういう時は、救急隊や自衛隊などもなかなか当てにできない。やっぱり地元の絆が一番大切だ」

 救出から1週間過ぎて、ようやく父を荼毘(だび)に付すことができた。「あの時、地元の仲間たちが助け出してくれなかったら、まだ弔うことすらできなかっただろう」

 横場さんの暮らす地区も高齢化が進んでいる。地域の担い手になるはずの若者は、ほとんどが金沢などの都市部へ仕事を求めて出て行った。2人の息子も、1人は地元に残ったが、もう1人は愛知県内で働いている。

 「これから復旧、復興していくためにも、たくさんの人手がいる。でも周りを見渡すと若い人が見当たらない」

 だから、横場さんは全国の人に訴える。「若者が減った中で災害が起きたらどうなるのか。みんな考えてほしい」

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この記事を書いた人
小玉重隆
映像報道部
専門・関心分野
ビジュアルコミュニケーション、民主主義
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    明石順平
    (弁護士・ブラック企業被害対策弁護団)
    2024年1月12日22時27分 投稿
    【解説】

    「若者が減った中で災害が起きたらどうなるのか。みんな考えてほしい」 これは重要な指摘である。 国立社会保障・人口問題研究所の推計(出生中位、死亡中位)によると、65歳以上人口は2043年に3952万9000人でピークを迎える。 今

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