クリスマスの精神 駐名古屋米国首席領事 アンナ・ワン
2024年12月22日 05時10分 (12月22日 05時10分更新)
クリスマスは、私が昔から大好きな季節のひとつです。クリスマスツリーやライト、デコレーション、キャロル、ジンジャーブレッドクッキー、ホットチョコレート、そしてプレゼントは欠かせないものです。アメリカの子どもたちに「クリスマスで一番楽しみなことは?」と聞けば、多くが「プレゼント!」と答えるでしょう。名古屋の街を歩くと、たくさんのクリスマスの飾り付けが目に留まり、この地域にもプレゼントを贈る習慣があるのかと興味があります。
クリスチャンにとって、クリスマスは神が人間の形、イエスという男の子としてこの世に降り立った時期を祝うものです。そして贈り物を交わすのは、「神からの赦(ゆる)し」という贈り物を、他の人と分かち合うためとも言われます。贈り物とは本来、対価や見返りを求めずに与えるものですが、私たちは何かを贈る時、つい「ありがとう」の感謝の言葉など、何かを期待してしまいがちです。本当に見返りを求めない無私の贈り物はまれですが、どの文化にもそのような行動の美しさを認める心があると感じます。
和歌山県串本町を訪れ、トルコ軍艦遭難慰霊碑を見た時、このことを改めて考えました。紀伊大島の住民たちが嵐の中で海に飛び込み、命の危険を顧みず遭難したトルコの船員を救助し、自らの食料を分け与えたその行動は、見返りを期待するものではなく純粋な善意に基づいていました。この物語が今も多くの人々の心を捉え続けているのは、与える精神の真髄(しんずい)を示しているからだと思います。
アメリカでは「クリスマスの精神」という言葉があります。これは無私の心、そして人々の共通の絆を振り返り、違いを超えて他者に親切を示す精神を指します。まさに嵐の夜に紀伊大島の村人たちが示した心そのものです。
今年のクリスマスは、私が名古屋で迎える初めてのクリスマスです。この地域で私を温かく迎え入れ、助けてくださった皆さんを思いながら、クリスマスだけでなく一年を通じて地域社会にどのように貢献し、恩返しができるかを考えたいと思います。皆さんも2025年を、「クリスマスの精神」、つまり思いやりと無私の心に満ちた一年にするために、ともに歩んでみませんか?
(駐名古屋米国首席領事 アンナ・ワン)
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