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月刊グラン 2025年1月号(12月12日発売)


価格700円


■Man of the Month :ランゲラック「FOREVER NO.1」
■ベストショットN.G.E.:ランゲラック7年間の軌跡
■国生千代のWE ARE FAMILY!: 徳元悠平
■THE DAYS 椎橋慧也編 Chapter2

THE MATCH 2024明治安田J1リーグ第36~37節
 RE:PLAY 中山克広
 ホーム最終戦セレモニー写真グラフ
◆アカデミー通信 PICK UP PLAYER:U-18 MF 八色真人・野村勇仁
◆大住良之の「ボールは世界をめぐって…」 小倉隆史さんとオランダのロッテルダム
◆豊スタ天国
◆チアマス日記(ダイアリー)
◆東海サッカーダイジェスト
◆月刊オーシャンズ

■Man of the Month :ランゲラック「FOREVER NO.1」

「カップを掲げる姿をファミリーに見てもらいたいんだ」。ルヴァンカップ決勝の前に力強く宣言していたランゲラック。自分が掲げたいのではなく、掲げる姿を見てもらいたいというところに、ファンを大切にする誠実な人柄がよく伝わる。ルヴァンカップ優勝というタイトルを置き土産に母国オーストラリアへ帰る「令和のレジェンド」にラストメッセージをもらった。
この優勝をずっと記憶に
2018年から7シーズンに渡り、グランパスのゴールを守り続けたミッチェル・ランゲラック。今季はクラブ初の外国籍選手キャプテンとして3年ぶり2度目のルヴァンカップ制覇を成し遂げた。来日当初は勝ちに恵まれずJ1残留争いに巻き込まれたこともあったが、ラストシーズンで見事に有終の美を飾った。
――名古屋グランパスで過ごした7年間を振り返ってください。
自分の人生が変わった7年間でした。大きな希望を持って日本にやってきましたが、正直、最初は1年か2年ぐらいかなと思っていました。でもこうやって7年間ずっと日本で暮らして子どもも3人授かりましたし、名古屋グランパスというチームで本当にいろいろな経験をすることができました。
――グランパスで成し遂げることができたと感じていることは何でしょう。
たくさんありますね。まず、自分は子どもの頃から背番号1を背負って、スタメンのGKとしてできるだけ多くの試合に出たいと思っていました。この7年間で出られなかった試合は、おそらく3試合か4試合だったと思います。そしてトロフィーを掲げることも一つの目標でしたし、それも達成することができました。自分が大事にしていた夢が、日本でたくさん達成できたと思っています。
――楢﨑正剛さん(現アシスタントGKコーチ)から背番号1を託された時はうれしそうでしたね。
すごくうれしかったですね。他のクラブはだいたい1年とか2年で背番号1の選手が変わっていきますけど、このチームでは本当に長い期間でナラさんが1番を付けていて、そのナラさんから引き継ぐことができたのは本当に誇りに思っています。ナラさんほどの成功をつかめたとは思っていませんが、それでも長く1番を着ることができたのは、本当に良かったなと思っています。
(詳細は2025年1月号で)

■国生千代のWE ARE FAMILY!:徳元悠平

ファミリーの皆さんからの質問を交えてグランパス選手の素顔に迫る「WE ARE FAMILY!」。今月のお相手は、夏の補強でグランパスに加わったDF徳元悠平選手です。ルヴァンカップの準決勝で1試合3アシストを記録するなどタイトル獲得の原動力にもなった29歳のレフティー。出身地・沖縄の太陽を思わせる陽気なトークに、国生さんも笑顔満開でした。
俺は絶対J1に行ける
国生◉ 夏に加入したばかりですが、インパクト抜群のプレーでチームに欠かせない存在になりました。加入後のプレーをご自身でどう評価しますか。
徳元◉ できすぎかな、ってぐらいです。キャラクター的には周りを巻き込める元気印だと思っているんで、それが今年の頭からいるぐらいのなじみ感につながっているのはあると思います。知っている選手は一人もいなかったんですけど、「その中でもやれるな」というのはありました。ピッチ外では自信があった半面、ピッチ内は結構できすぎというか。ルヴァンカップで優勝もできましたし、(準決勝横浜F・マリノス戦の第1戦で)3アシストした時もやっと力になれたな、っていうのはありました。グランパスのために力を出せたのかなと思うんで、すごくホッとしてます。汚い言葉ですけど「使えねーじゃん」って、そういう世界で戦っているというのを分かっている中で、うれしい言葉をSNSや直接会った時に言われるので、すごく充実した3カ月でした。
国生◉ 夏の補強で来た選手は、結果をよりシビアに求められますもんね。
徳元◉ でも、試合に出るっていうよりは、健太さん(長谷川健太監督)のもとで守備を成長させられたらな、って感覚で(グランパスに)来ました。
国生◉ ということは、それほど気負わずに加入を決断したんですね。
徳元◉ そうですね。「なんくるないさー」みたいな感じで(笑)。それぐらいのメンタルでいるから、今充実してるのかなと思いますし、「なんくるないさー」っていう精神を、周りの選手に要所要所で引き締めてもらったりとか、そういうのもバランスよくいってるのが一番いいのかなと思います。
国生◉ 徳元選手は非常にオープンな性格に映ります。根っから明るいのか、それともピッチ内での融合も目指して、そういうふうに努めているんですか。
徳元◉ どっちもだと思います。根は明るいと思います。でも、ピッチに立ったらシンプルに勝ちたいっすね。勝ちたいからこそコミュニケーションも増えると思いますし、人に意見を言うよりも聞いて学ぶ方が自分に合っていると思っています。ましてや夏加入で、(初先発した)新潟戦まで1カ月ない中で溶け込めたのも、コミュニケーションを取ろう、より味方の選手のことを知ろうとしたからこそだったと思うので。
国生◉ J3のFC琉球からスタートして、J1のチームで主力にまでなりました。3アシストした試合の後に「この半年が今後のサッカー人生を変えると思っている。まだ何も成し遂げてない」とコメントしていたのがすごく印象的です。この半年間に懸ける思いは強かったですか。
徳元◉ J3から始まって、本当にJ1目指してやってきました。J1の選手になるために我慢してきたこともあったり、苦しい環境の中でやってきたりしたと思っています。(FC東京時代の)J1での1年半、甘さが自分にあったから試合に出られなかったと思うので。「守備で戦うところが足りない」というウィークポイントがある中での名古屋からのオファーでした。この半年で健太さんから堅い守備を学んで、自分のものにできればこれからのサッカー人生が長くなるな、というのは思っていたので、その言葉が出たのかなと思います。ルヴァンが獲れて1個成し遂げましたけど、一つでも上で終われるチャンスがあるので、リーグ戦を終えてホッとしたい、というのはあります(編集部注・取材時はリーグ戦残り3試合)。
(詳細は2025年1月号で)

■THE DAYS 椎橋慧也編Chapter2

船橋市の無名の小学校チーム、咲が丘SCで日夜サッカーに明け暮れた椎橋慧也。3年生で兄がつけていた背番号10を引き継いだ彼は、チームの大黒柱に成長。やがてその名は、近隣に広まっていく。
背番号10を兄から奪う
「この子がプロにならなかったら、いったいどんな子がプロになるんだ?」
 咲が丘SCの熱血コーチ、音川岳史さんをうならせた椎橋慧也。幼稚園児の頃から小学生に交じってゲームに出ていた彼は、咲が丘小学校に入学して正式にチームの一員になると、わずか3年ほどでチームの中心選手になってしまった。
 前号でも触れたように、椎橋が通った咲が丘小学校は生徒数が少なく、咲が丘SCではいろいろな学年の子を混ぜ合わせてチームを編成することが多かった。そんな中、椎橋は先輩たちをさしおいて、なんと3年生で背番号10をつけるようになったのだ。
 ちなみにそれまで10番をつけていたのは、3歳年上の兄。そう、彼は結果的に兄の背番号を奪ってしまったのだ。
(詳細は2025年1月号で)

■RE:PLAY 中山克広

力強いガッツポーズと、優勝決定の瞬間に泣き崩れたあの姿。3年ぶりのルヴァンカップ優勝を彩る数々のシーンの中でも、中山克広の一挙手一投足はとても印象的なものだった。しかし本人からすれば自責の念の方が強い一連の流れに、背番号27は苦笑する。それでも「自分を強くしてくれた優勝でした」と胸を張れるのは、勝者の特権だ。
夢中で右足を振った
―― 延長戦に入る際はどんな気持ちでしたか。
 正直、覚えてないんです。とにかく「やらなきゃいけない」の一心だったとは思いますね。あの瞬間は「PKだ」って僕自身が思えていたので、VARの待ち時間で、もし延長戦になったとしても、まだゴールできるチャンスや時間はある、とにかく切り替えだ、切り替えだ、って考えていた気がします。チームメートも声をかけてくれて、監督もそのまま使ってくれた。あの試合は体としてもすごく動ける感覚はあった。いろいろな要因が重なって、あのゴールが生まれたとは思います。
―― 今季のチームがずっと狙っていた形での得点でした。
 あのシーンは僕がクロスを上げたそのままの勢いで前にいましたけど、もし左から崩していたとしても、あの位置には入っていたと思います。ウイングバックからのクロスに逆のウイングバックも入っていくところは、本当に1年通して監督が言ってたこと。それが体現できてよかったです。
―― あの場面でシュートに行った判断についてはどうでしょう。
 もう“振る”ことしか考えてなかったですね。これもそんなに覚えてないけど(笑)、ただ僕も良い状態でボールが来るのを待っていられたし、(山岸)祐也君も「自分で行くか、お前を信じて落とすか迷ったよ」って言ってましたけど、自分の準備はできていた。トラップしたらDFに距離を詰められるし、もう夢中でした。
(詳細は2025年1月号で)

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