例えば、ヨーロッパの学校に行けば、遮音のためにヘッドフォンをしている子の姿を見ることは珍しくありません。また、隣の席との間にパーテーションを立てて、気が散らないようにしている子がいたりもします。バランスボールやバランスボードを使って学習している教室もあります。
また、私が見学したある学校では、授業中、基本的には同じ課題を与えられている状況の中で、廊下でラグを敷いて寝転びながら勉強している子、パソコンを使って打ち込みをしている子、グループディスカッションをしている子たちなど、様々な方法・スタイルで学ぶ子どもたちの姿が見られました。
(武田緑『読んで旅する、日本と世界の色とりどりの教育』教育開発研究所、2021)
こんばんは。なぜ日本の学校では、ヨーロッパの学校のような《様々な方法・スタイルで学ぶ子どもたちの姿》が見られないのかといえば、それは日本の学校が態度主義だからでしょう。
朝会のときに下を向いていたら注意されます。たとえ話を聞いていたとしても注意されます。態度主義だからです。授業のときに机に突っ伏していたら注意されます。たとえ発達性協調運動症(DCD)でも注意されます。態度主義だからです。テストが全て満点でも、授業中の態度が悪ければ成績(主体的に学習に取り組む態度)は「B」にされます。態度主義だからです。
「ああ、日本は態度主義なんだな」
学校DE&Iコンサルタント・Demo代表の武田緑さんが、デンマークの学校を観に行ったときにそう思ったそうです。武田さんが対談相手として登場する、勅使川原真衣さん編著『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』にそう書かれています。デンマークの学校の授業風景が、ちょうど冒頭の引用のような感じだったんですよね。武田さん曰く《学校が態度主義だから、社会は態度主義のままです》云々。先生は子どもを態度で評価し、管理職も働く人を態度で評価する。だからヒラメが増えていく。結果、イエスマンばかりが出世していって、社会が壊れていく。諸悪の根源は、
学校の態度主義にあり。
まぁ、武田さんはそこまで言っていませんが、日本の学校の態度主義に問題があるのは間違いないでしょう。授業を観に来た管理職が、授業後、開口一番「なぜ、授業の最初と最後にあいさつがないんだ」なんてどうでもいいことを偉そうに口にしてしまうくらい、日本の学校は態度主義に冒されていますから。そこですか(?)みたいな。授業の最初に「気を付け。これから1時間目の国語の授業を始めます。よろしくお願いします」なんて言わされ続ける教育と、冒頭の引用にある《廊下でラグを敷いて寝転びながら勉強している子》が普通に存在する教育との間には千里の径庭があるといっても過言ではないでしょう。では、その千里の径庭を埋めるためにはどうすればいいのか。
千里の道も1ページから。
読んで旅すればいい。
武田緑さんの『読んで旅する、日本と世界の色とりどりの教育』を読みました。勅使川原真衣さんが編著者を務めている『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』を読んでいる最中に「この人はわかっている!」と思ってポチッとしました。何がわかっているのかといえば、それは「多比の効用」です。旅、すなわち多比。
目次は以下。
はじめに ―― 旅立ちの前に
1章 EDUTRIPが生まれるまで
2章 日本の中の、多様な学校
3章 EDUTRIP 、世界へ
4章 民主的な教育が、民主的な社会をつくる
5章 これからの展望、未来の学校
あとがき
EDUTRIPというのは、18歳のときにピースボートに乗って「世界一周」をした武田さんが、価値観の異なるさまざまな人たちと対話するのはおもしろい(!)& 多様な教育現場を訪ねたい(!)& 教員を志している人たちや教職に就いている人たちにいろいろな教育を知ってほしい(!)という願いから始まった、羊ではなく「教育現場をめぐる冒険」のことです。この本を「読んで旅する」と、武田さんの冒険をパーシャルに追体験することができて、思い込みの相対化が図れます。
思い込みの相対化。
それが、風邪ではなく「多比の効用」です。例えば、きのくに子どもの村学園(和歌山)を読んで旅すれば、忙しすぎて「自治ごっこ」に陥りがちな日本の公立小学校とは違って、本物の「自治」とはこういうことだということがよくわかるし、スウェーデンの教育現場を読んで旅すれば、《就労時間が短いこともあって、多くの人が何かしらのグループに属してい》るということがわかって、日本の教員の長時間労働が民主主義をいかにダメにしているのかということに気付けます。
国内では、きのくに子どもの村学園(和歌山)以外に、自由の森学園(埼玉)、TDU・雫穿大学(東京)、沖縄の多様な学校、デモクラティックスクール(サドベリーモデルの学校)、暮らしづくりネットワーク北芝(大阪)、北星学園余市高校(北海道)、教育魅力化の取り組み(島根)を読んで旅することができます(2章)。国外では、デンマーク、韓国、スウェーデン、タイ、シンガポール、フィンランドの教育現場を読んで旅することができます(3章)。まさに色とりどり。ちなみにスウェーデンについては、ヨーラン・スバネリッドの『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』も、
お勧め。
私のピースボートでの経験もそうですが、異なる考えに触れて、さらに自分の意見や価値観を問い返し、深めていったり、広げていったりするということは、一人ではできないことです。他者がそばにいることの豊かさを享受できるような学びの機会が増えることは、多様な人が共に生きていける社会を築くことにもつながっていくはずです。
4章「民主的な教育が、民主的な社会をつくる」より。他者がそばにいることの豊かさを享受できるような学びの機会を学校の先生に届けるためにはどうすればいいのか。そういったことを、今日、授業でコラボしている大学の先生と立喰い鮨とカフェを梯子して話してきました。ただ届けるだけだと研修と変わらないし続かないし深まらないので、東浩紀さんいうところの郵便的誤配のようなかたちで届けるためにはどうすればいいのか。
難しい。
大学の先生に石田光規さんの『友人の社会史』を勧められました。すぐにポチッとしました。勧められたら、読む。武田さんの『読んで旅する、日本と世界の色とりどりの教育』に限らず、読むことと旅することは、どんな本であろうとほとんど同義です。2025年もたくさんの本を読んで、多比して、思い込みを相対化することができるよう、長時間労働に抗っていきたいと思います。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。