追放ものと呼ばれる作品の評価が上がりにくいのは、ひとえに追放する側の理由が全く理解できないものであったり、思慮の足りない理屈であったりするからというのが大きいわけだが(要するに追放側の頭が足りない)、追放する側から物語を描く場合、この問題を
納得できる理由で描き出さないと読者の共感なり理解なりは得られない。それの証明例。
あの状況で仲間を放り出したらヒロイン達の知らぬところで命を落とす可能性が高いということに考えが及ばない(事実覚醒直前には死にかけている)、バフやアイテムによる補助及び雑用の重要さをまるで理解できていない評価(バフ・補助なくなって戦闘がボロボロ、荷物持ちを結局主人公に押し付け)、仲間を追放した後の状況(男1女2)になってやっとやる気を出そうかと思考する主人公(後に魔法使いも手を抜いていたことが発覚)など、結局追放する側がいつもと変わらずに頭が足りなくてクズであるため、追放側から物語を描く意味が全く感じられないスタート。そのため興味がわかず、読み進めるだけの魅力を感じない。
その後も追放した側のメンバーがことごとく頭の悪い行動やクズムーブを繰り返すため、いったい何を見せられているのかという感情になる。これなら設定まるきり同じで通常通りに追放された側から描いた方が面白いまである。だって結局追放した側に全面的な非があり、ざまぁされるに値するクズだという話なのだから。
追放する側から物語を描く話ならば、某何度でも追放する作品の方が確実に面白い。
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