鉄馬完という小作人の子が、成長しつつ名を成していくという話。この種の根性ものの物語は、登場人物がだれであっても達成されていく過程の爽快感である。苦しみに耐え、更なる苦しみにも耐えていきつつ、事が成就されていくという、現実にはできない行動に読
者の空想感を満足させてくれるのだろう。反面、読む者の年代により、暴行が相手の生命の限界を超えるような場面でも、それが空想であるとは考えず、人間として当然に耐え得る範囲だと思うところに心配もある。ともあれ、この本を読みながら「個性を伸ばせ」、「自主性を高めよ」と一時よく言われた言葉を思い出した。それによって、何のためにそうするかも教えないまま、ただ自己中心的な人間育成をしてきていたことも、である。「思想信条の自由」ということであるために「個性も自主性も社会に還元していくためである」と踏み込めないでいる大人の責任は重い。鉄馬の獄中立候補が、勇介のために戦ってくれという高子の願いをいれて、小作人のために戦うという動機のややこしさの中に、自己中心的な影がある。
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