2022年秋に開催されたWIRED Conference 2022の初日のキーノートにオンライン登壇した“天才”経済学者グレン・ワイルは、「民主主義と資本主義を再構築するWeb3の可能性」と題したそのセッションで、デジタル時代における民主主義の新しい形態をラディカルに提案しながら、あの「政治的イデオロギーの3分類」を説明してくれた。そのことが強く印象に残っているのは、いまだに自分自身が、あるいは『WIRED』が、いや、社会そのものが、この3つの世界の間を否応なく揺れ動いているからだ。
21世紀において、わたしたちの未来の方向性を決めるその3つの主要なイデオロギーとは、「コーポレート・リバタリアニズム」「シンセティック・テクノクラシー」、そして「デジタル・デモクラシー」だ。
「コーポレート・リバタリアニズム」を代表するのは、『ネットワーク国家』を書いたバラジ・スリニヴァサンやピーター・ティール、それにアンドリーセン・ホロウィッツ(a16z)など。個人の自由と主権を最優先し、デジタル技術を利用して政府やほかの集団からの独立を図る方向性だ。暗号(クリプト)技術やブロックチェーンを重視し、政治よりも市場を通じた解決を好む。
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「シンセティック・テクノクラシー」を代表するのはサム・アルトマンやレイ・カーツワイルなど。人工知能(AI)やその他の先端テクノロジーがもたらす経済的豊かさと効率の極大化を目指し、その先にはシンギュラリティや汎用人工知能(AGI)の実現を見据えている。このイデオロギーは、科学技術が社会の問題解決手段として最も有効であると考え、技術的解決に重点を置いているのが特徴だ。
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そして、「デジタル・デモクラシー」だ。グレン・ワイルやイーサリアムのヴィタリック・ブテリン、台湾のデジタル担当政務委員オードリー・タンなどが牽引するこのイデオロギーは、デジタル技術によって多様で分散化された社会のコラボレーションと共存を促すことに重点を置く。ほかのふたつのイデオロギーが唱えるような「テクノロジーと民主主義の対立」を超克し、デジタルテクノロジーを通じて直接的で民主的な参加を拡大することで、多元的な政治プロセスを可能にするデジタル民主主義の実現を目指している。
はたして、デジタル・デモクラシーを実際にはどのように実現するのか? いま、ワイルがタンらと共に推進しているのが「Plurality」というグローバルな社会運動だ。例えば台湾のシビックテック運動を参照しつつ、テクノロジーと民主主義が協力しあうことで公衆衛生から福祉、政府の透明性まで、社会全体にいかに恩恵もたらすかを示してきたこのプロジェクトでは、テクノロジーが個人ではなく社会全体の利益に貢献する可能性を探り、多様な意見と技術的可能性を結集させることで、より公平で持続可能な未来を築くための基盤を形成しようとしている。
今年1月に来日したワイルは、Plurality Tokyoの主催によって、日本の地では初となる講演とディスカッションを行なった。正月三が日の東京・恵比寿にはたしてどれだけの人が集まるのか、という心配は杞憂に終わり、「Plurality」のプロジェクトに関わる、あるいは関心を寄せる、特に若者たちの姿で会場が熱気に包まれていたのが印象的だった。主催した高木俊輔のリードのもと、前半ではワイルが「Plurality」プロジェクトについてキーノートを行ない、テクノロジーと民主主義の融合によって異なる文化や背景をもつ人々のコラボレーションが実現することで、社会の美しさ、進歩、成長が促進されるのだと聴衆を鼓舞した。そして後半のトークセッション・パートでは、ワイルに加えてNext Commons Labの林篤志、渋谷区の田坂克郎、そしてモデレーターとして『WIRED』日本版編集長の松島倫明が登壇し、日本での都心と地方都市の文脈を加えながらさらに議論を深めていった。以下でそのパートを紹介しよう(対話は長さと明確さを考慮して編集されている)。
松島:Pluralityという言葉は日本語では馴染みがありません。そして、「多元性」と訳されますが、しばしばdiversity(多様性)と同じようなニュアンスで理解されます。そこで、pluralityとdiversityの違いについて改めてうかがいたいのですが、先ほどのキーノートを聞くと、pluralityとは多様性を生み出すための一種のツールのようなもの、と理解するといいでしょうか?
ワイル:Pluralityは英語でも一般的な言葉ではありません。少し新しく、少しテクノロジーで、少し社会哲学的です。それが捉えようとしている精神は、多様性を機能させるテクノロジーがあるということです。皆さんが日本語や漢字でこの「plurality」をうまく捉える言葉を見つけもらえたらうれしいですね。
松島:このpluralityを日本社会にいかに実装するか、今日ここにいる日本のリーディングプレイヤーたちと話し合っていきたいと思います。まず少し自己紹介をしてもらえますか?
田坂:わたしは渋谷区役所で働いています。ちなみに、渋谷区には「ちがいを ちからに 変える街」というスローガンがあります。つまり多様性が都市をエンパワーする、ということです。
ワイル:まさにそうですね、準備している本[編注:『Plurality: 協働可能な多様性と民主主義のためのテクノロジー』(オードリー・タンとの共著)]の日本語版のタイトルにピッタリです。
田坂:ありがとうございます。渋谷は文化の中心地として知られています。しかし90年前には何もありませんでした。ただの東京の郊外都市のひとつだったんです。いまでは国外からの多くの人々が集まり、さまざまな年齢の人々が混ざり合って多様な文化を生み出し、それが渋谷という街の形成につながりました。そのなかで、わたしはグローバル拠点都市推進室室長として、いわばイノベーション部門を担当しています。これまで4年間、イノベーションのためのプラットフォームづくりに努めてきました。例えば、国外の起業家を呼び込むためのスタートアップビザを始めました。ぜひグレンさんも利用してください。
ワイル:実は台湾で就業ゴールドカードを取得するんです。2週間後に台湾でその式典があります。
田坂:いわばデジタルノマドビザですね。わたしは以前は大企業や中央政府で働いていたのですが、いまは渋谷というひとつの街で働いています。そこではダイレクトに政策を実装することになり、だからこそ、わたしたちが抱える問題を直接実感できます。
ワイル:渋谷にはどのくらいの人が住んでいますか?
田坂:20万人ちょっとです。
ワイル:完璧です。今度の本『Plurality: 協働可能な多様性と民主主義のためのテクノロジー』では、多元的イノベーションに適した都市のスケールについて議論しています。一方で、そのためには内部の多様性が必要です。内部に多様性がなければ、イノベーションを駆動することができません。イノベーションの多様性を得るためには、それを超える多様性が必要になります。つまり最適なスケールとは、わたしたちが「平方根スケール」と呼ぶものです。つまり、都市の中にいる人数が、その外の世界にいる人々の平方根であるべき、ということです。世界に約100億人いるとすると、その平方根は10万です。だから、都市は多元的なイノベーションにとって非常に適したスケールといえます。渋谷はまさに、素晴らしくフィットしていますね。
松島:続けて、都心から地方都市へと行きましょう。林さん、よろしくお願いします。
林:わたしたちは現在、地方自治体を一から始めるLocal Coopプロジェクトに取り組んでいます。ご存知の通り、2040年までに日本の地方自治体の半分が消滅すると言われています。人口減少により、高齢化と税収が減少しています。また、社会保障費も増加し続けるでしょう。そのため、現状のままでは地方自治体自身が公共サービスとシステムを提供し続けるのは難しいことが明らかです。確かに大都市の場合、渋谷のように、従来のアプローチが効果的だと思います。ただ、1,700以上の地方自治体の半数以上が非常に小さく、30,000人以下で、主に高齢者で、いわゆる過疎地域です。わたしの意見では、そこで既存の自治体そのものを改革していく意味はあまりないでしょう。むしろ、新しい地方自治体を一からつくる、あるいは第二の政府のようなものをつくる方がいいでしょう。
そこでわたしたちはブロックチェーンや暗号資産といったテクノロジーを使い、一から地方自治体をつくっています。奈良県の月ヶ瀬は小さな村が山奥にあり、最大のエリアでも1,200人しか住んでいません。もうひとつのプロジェクトエリアは三重県尾鷲市の美しい漁村で、わずか300人、65歳以上の高齢者が人口の60%を占め、100軒以上の空き家があります。これが日本の地方地域で起こっていることです。
ワイル:それを聞いてジョン・デューイを思い出しました。彼の著書『公衆とその諸問題』はわたしのお気に入りの一冊です。デューイは『Plurality』の本でも実質的な守護聖人のひとりなんです。彼は、台湾でなぜpluralityが成功したのかを知る上で非常に重要な人物です。実は、デューイは革命中に中国を訪れています。彼の学生のひとりである胡適は、中央研究院の院長を務め、孫文の重要な知的アドバイザーのひとりでした。彼は国民党が台湾に来たとき、台湾の教育システム全体をデューイの原則を基に構築したのです。デューイは米国の偉大な教育者として、また偉大な政治哲学者としても知られています。
『公衆とその諸問題』では、新しいテクノロジーによって人々が新しいかたちで相互依存するようになると述べています。石炭は炭鉱地帯と工場を結びつけ、ラジオはそれまで話さなかった人々を会話させます。すべての新しいテクノロジーは新しい相互依存を生み出します。そして、デューイは、民主主義とは昔からの選挙制度をもつ国家を意味するのではなく、何かに影響される人々が、その何かを自分でコントロールできることを意味するのだと述べました。つまり自己統治という意味です。そして彼は、テクノロジーのために民主主義は死にかけているとも言っています。新しい相互依存のかたちを、それによって影響を受ける人々によって統治する新しい方法を見つけない限り、テクノロジーは常に民主主義を殺します。それが、いま起こっていることなんです。
林:そうですね。ここの人々は以前は自己統治をしていましたが、約120年前に地方自治体が一体化されてから、地方自治を地方政府にアウトソーシングしはじめました。そのために、住人たちは自分たちの土地をどのように管理し、コミュニティを維持するかを忘れてしまったんです。これが日本で起こっていることです。
ワイル:このデューイの考えは1927年のもので、とても古い問題です。でも、今日においても非常に関連性がある、つまり誰もこの問題を解決していません。なぜなら、いまだに国家という古い管轄が存在していて、テクノロジーはそれよりもずっと速く進化しているからです。人口動態の変化も同様です。地域を管轄する主体がこのペースに追いつける方法を見つける必要があります。そうしないと、民主主義は終わります。民主主義は守られるべきものではなく、毎日新たに創造されるべきものです。そうでなければ、民主主義は自然に死んでしまいます。常に更新が必要なのです。
林:国をウェブサービスのように選べるなら、わたしは日本を選ばないでしょう。台湾の方がよさそうです。一方で、ヨーロッパの協同組合運動の歴史、例えばスペインのモンドラゴン協同組合などは魅力的です。最近、国会のメンバーとLocal Coopについて話し合ったとき、その人物はこう言ったんです。「これを中央でやればクーデターだが、地方であればそれはイノベーションになる。ぜひやってくれ」と。それで、状況はかなり変わってきています。急激な人口減少と高齢化のなか、手探りの地方行政システムを利用して、日本の地方で新しい種類の自治体をつくることができる大きなチャンスがある、それがわたしの考えです。
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ワイル:それは完全にその通りですね。オードリーはしばしば自分自身を「保守的な無政府主義者」と呼んでいます。矛盾しているように聞こえますが、オードリーや、道教の『道徳経』の伝統からわたしが本当に学んだことは、複雑な世界では、しばしば矛盾のなかに真実があるということです。何かを単純に表現することは、ほとんどの場合間違っています。一方で、複雑な方法で表現することは、ほとんどの場合理解不能です。だから、矛盾のなかに常に疑問をもち続けるしかありません。保守的な無政府主義について彼女が正しかった矛盾とは、わたしたちが人々だけでなく社会集団も価値あるものとして考えるならば、そして多元性を信じるならば、わたしたちは同時にイノベーティブでなければなりません。地域の豊かな伝統や本来の知恵を盛り上げ、官僚主義によって覆い隠されないようにしなければなりません。イノベーションによってその方法を見つける必要があるのです。
松島:地方のイノベーションということで訊いてみたいのですが、2年前の『WIRED』への寄稿で、「Web3における分散化の議論はなぜすれ違うのか」という指摘をしています。これはいわゆるWeb3の技術とpluralityが必ずしも同じではない、という意味で比較して論じたものですが、地域自治という文脈でこのふたつはどのように異なるのでしょうか?
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ワイル:少し技術的になるかもしれませんが、具体的に説明しましょう。ブロックチェーンの概念は、誰もが利用できるグローバルな公開台帳として考えられています。そして、個人のプライバシーを守るために、人々はプライバシー技術をこれに重ねています。つまり、公共(パブリック)/私(プライベート)という概念です。しかし、これは情報統治について考えるには間違った方法だと思います。
『アメリカのデモクラシー』を書いたアレクシ・ド・トクヴィルは、人々がお互いを憎む限り、暴君は人々が利己的であることを喜ぶと述べています。大切なのは個人のプライバシーではなく、多様な社会集団です。公共的なものや私的なものではなく、多くの異なる公共が必要なんです。それぞれの公共は、他者による干渉から保護される必要があります。そうでなければ、その完全性を失うからです。わたしたちにはプライバシーも必要ですが、それと同時に、集団内で共有される理解も必要です。ブロックチェーンの問題は、多様な社会コミュニティの創造について考えるべきなのに、それを公私というバイナリーで考えてしまうことです。こうしたコミュニティは、自らを保護し、協働して行動するために権限を与えられる必要があります。民主主義の本質とは、個人に拠るのではなく、共通の目標を達成するために国家の外で集団的に行動できる権限をもつ人々に拠っているのです。
田坂:渋谷の場合を考えてみました。わたしたちの都市は人口統計学的に非常にユニークです。日本のほとんどの都市は超高齢化社会ですが、渋谷は20代から50代が最大の人口層です。これは多くのアクティブな労働者がいることを意味していますが、その声はとても小さいのです。一般的に日本では、高齢者はより強力で保護されたグループを形成しています。そうした人々の声は、政治家に届きやすい。テクノロジーを使用することで、この状況を変えることができるかもしれません。もしわたしたちが高齢者だけに耳を傾けていたら、将来の世代に何も残すことはできないでしょう。これをどうやって回避できるでしょうか? 決定プロセスを変えるべきですか、それとも何らかの方法で高齢者の利益を守るべきでしょうか? あるいはグレンさんが言うように、高齢者をより尊重しながら、いまのギャップを埋めるような方法があるでしょうか?
ワイル:昨日、お台場の日本科学未来館を家族で訪れたんです。そこは多元性を考えるための素晴らしい物理的空間でした。常設展示のひとつに、人々に高齢者の身体感覚を追体験させるという「老いパーク」というものがあります。こうしたテクノロジーは、世代グループ間の分断をつくらない手助けとなります。例えば、より多くの違った立場の人々がある何かに貢献すれば、それだけ公的な支援が得られるような「クアドラティック・ファンディング」という仕組みがあります。もしかすると、高齢者と若者の両方にとってのいい解決策を見つけるなら、それが正しい方法になるかもしれません。それに、例えば18歳になった若者や、日本に来たばかりの移民が、月日と共に投票権をより多く得る仕組みはどうでしょう? 異なる社会集団を考慮するクアドラティック・ボーティングのようなものがあったらどうでしょう? 投票をスマートに設計することで、高齢者と若者が戦うのではなく、一緒に協力し、全員にとってうまく機能するものをつくり出すことができるはずです。
松島:最後に、いま言及したようなツールを効果的に使用して、日本の地方で新しい種類のガバナンスを創造するという可能性についてどう思いますか?
ワイル:先ほどはあまり深入りしなかったのですが、実際には先ほど言ったようにとても自然なやり方があります。ここでの問題は、若者対高齢者というだけではなく、異なる地方自治体間でも断片化されているということです。だとしたら、クアドラティック・ファンディングによって新しいオーソリティをつくるのはどうでしょう? 例えばいくつかの地方政府が一緒になって共通のプロジェクトにお金を投じ、国家政府がこれにマッチングファンドを提供するのです。そうすることで、既存の権限から新しい権限が、国家レベルのサポートを受けて生まれます。英国のウェストミッドランズ結合行政機構のようなものを聞いたことがあるかもしれません。でもこれをもっと非中央集権化された方法で、かつ国家レベルのサポートを受けて行うこともできるんです。
林:それはクールですね。誰か、国の行政の人はここにいませんか?(笑)
SPECIAL THANKS TO SHUNSUKE TAKAGI, SHINYA MORI
雑誌『WIRED』日本版 VOL.52
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ファッションとはつまり、服のことである。布が何からつくられるのかを知ることであり、拾ったペットボトルを糸にできる現実と、古着を繊維にする困難さについて考えることでもある。次の世代がいかに育まれるべきか、彼ら/彼女らに投げかけるべき言葉を真剣に語り合うことであり、クラフツマンシップを受け継ぐこと、モードと楽観性について洞察すること、そしてとびきりのクリエイティビティのもち主の言葉に耳を傾けることである。あるいは当然、テクノロジーが拡張する可能性を想像することでもあり、自らミシンを踏むことでもある──。およそ10年ぶりとなる『WIRED』のファッション特集。詳細はこちら。