電気の力で味を増幅、「エレキソルト スプーン」が味覚の“常識”を変える

微弱な電流によって味を増幅する「エレキソルト スプーン」が5月20日に発売された。減塩食の塩分の量が控えめのままおいしく食べられるという、このスプーン。電気で増幅された味とはいかなるものか、さっそく体験してみた。
電気の力で味を増幅、「エレキソルト スプーン」が味覚の“常識”を変える
Photograph: KIRIN HOLDINGS COMPANY, LTD.

まさか電気を“調味料”のような感覚で使う日が来るとは思いもよらなかった。2024年5月20日にキリンホールディングスが発売した「エレキソルト スプーン」は、意外性に満ちている。一見すると普通のスプーンのようだが、これで料理をすくって食べると微弱な電流によって味が増幅されるのだ。例えば、減塩食のもの足りない味を増幅すれば、塩分の量が控えめのままでもおいしく食べられる。

いったい、どのようなメカニズムなのか。渡された実物を見ると、白い持ち手とラベンダー色の先端パーツは両方ともプラスチック製だが、それぞれに細長い金属部分がある。これが電極だ。持ち手の部分には電池が入っており、電極に電気が流れるようになっている。

つまり、食べ物をすくって口に入れるときに、先端の電極が食品を介して口内と間接的に接触するので、持ち手にある電極を通して電流が人体を巡って“電気回路”ができあがるわけだ。

「エレキソルト スプーン」は白い持ち手とラベンダー色の先端パーツからなる。それぞれに金属製の電極が埋め込まれており、持ち手の電池から電気が流れるようになっている。

「エレキソルト スプーン」は白い持ち手とラベンダー色の先端パーツからなる。それぞれに金属製の電極が埋め込まれており、持ち手の電池から電気が流れるようになっている。

Photograph: KIRIN HOLDINGS COMPANY, LTD.

食べ物を口に入れた時点では先端側はマイナス極になっており、ナトリウムイオンなどの味に影響するプラスイオンを「エレキソルト スプーン」に引き寄せる。続いて先端側の電極がプラス極に切り替わることで、これに反発したプラスイオンが舌のほうに近づいていく。

通常の食事ではプラスイオンは口内に分散してしまうので、舌で感じられる味覚はごく一部にすぎない。それが「エレキソルト スプーン」を使うことで食べ物のプラスイオンが舌に押し寄せるので、味が増幅されたように、つまり“濃く”なったように感じるわけだ。

電気を流すと聞くと、刺激が強くてビリビリするのではないかと思うかもしれないが、安心してほしい。電源は3Vのリチウム電池で、電流は人体に害がないとされる範囲に抑えられている。ただし、ペースメーカーなどの医療用電気機器のユーザーや妊娠中の女性、歯科治療中の人などは利用できない場合があるという。

電流で増幅された味は、いかなるものか?

それでは「エレキソルト スプーン」によって、本当に味は“濃く”なるのか。その実力を試してみた。

「エレキソルト スプーン」の本体重量は電池抜きでも約60gで、普通のスプーンと比べれば重い。ところがプラスチック製だからなのか、実物を手に取ると金属製のスプーンよりも軽く感じた。持ち手の表面は微妙にざらざらしており、手元が滑りにくいので安心感がある。

電流をオンにするためのスイッチは、持ち手の根元付近にある。これを2秒長押しすれば電気が流れ始める仕組みだ。さらにボタンを押すごとに4段階で電流の強さが変化し、味の“濃さ”も変わる。

「エレキソルト スプーン」が効果を発揮するには、持ち手の裏側に埋め込まれた電極に指で触れる(写真左)と同時に、先端パーツの電極に食べ物が載っている必要がある(写真右)。電極上の食品が少量でも効果は得られるという。

「エレキソルト スプーン」が効果を発揮するには、持ち手の裏側に埋め込まれた電極に指で触れる(写真左)と同時に、先端パーツの電極に食べ物が載っている必要がある(写真右)。電極上の食品が少量でも効果は得られるという。

Photograph: KIRIN HOLDINGS COMPANY, LTD.

味の増幅効果を体験するために試食したのは、一般的なレシピの70%程度まで塩分を抑えた減塩カレーだ。まず、普通のプラスチックのスプーンで減塩カレーを食べてみると、トマトの酸味と旨味が利いており、そのままでもおいしいと感じた。とはいえ、横浜家系ラーメンを週に1度食べる30代男性の舌には、ちょっともの足りなく思える。

そこで、出力を最大にした「エレキソルト スプーン」で減塩カレーを食べてみると──味の強度を示すLEDの青色が効果の開始を知らせる白色に変わり、塩味のみならず味全体が増強された印象を受けた。「エレキソルト スプーン」をキリンホールディングスと共同開発してきた明治大学総合数理学部教授の宮下芳明によると、「ナトリウムイオン以外のイオンも舌に引き寄せるので、塩味だけが強くなるというよりも味わいが濃厚になったように感じるはず」だという。

「エレキソルト スプーン」で生じる電気刺激の感じ方は、食品ごとに変わるだけでなく、個人差も大きい。スプーンを口に運ぶときの姿勢も電気刺激の強さに影響するという。このため「エレキソルト スプーン」が実力を発揮するには多少の練習が必要だが、宮下は「ピアノを弾くような練習は不要です。日々の使用で自分に最適なコツをすぐにつかめます」と語る。

増幅効果の秘密は電流の波形にあり

「エレキソルト スプーン」の基になった技術の研究開発は、キリンホールディングスと明治大学の宮下の研究室が共同で進めてきた。これまでのところ、特に塩味の増幅効果に関する検証が進んでいる。22年に減塩生活の経験者31名を対象に試作品で実験したところ、「エレキソルト スプーン」の使用により塩味が約1.5倍に高まる可能性が示されたという。

こうした味の増幅効果は、実はイオンの移動だけでなく、さまざまなメカニズムの合わせ技だ。

すでに説明したように、口に入れた直後の先端パーツは味に影響するプラスイオンを引き寄せるためにマイナス極になるが、実はこの電気刺激は塩味を抑制する効果をもつ。一方で、プラス極による電気刺激を舌に加えることでも「より味があるように感じられます」と、宮下は説明する。

これに加えて、味覚に対する電気刺激の効果が抑制から増幅へと移り変わるギャップが生じることで、さらに味を感じやすくなっているかもしれないという。「聴覚について考えてください。いったん無音の状態に置かれたあとは、音をより鋭敏に感じます。同じような現象が味覚にも起きている可能性はあると思います」

このように電気刺激がマイナス極からプラス極に反転する仕組みは、宮下らが工夫を重ねたポイントだ。電流の強さをグラフ化すると、独特の波形が現れるという。

まず、スプーンが口内に触れると0.3秒かけてマイナス極による刺激が最大になり、その後は0.5秒にわたってピークが維持される。そして電極の反転が始まり、0.4秒かけてプラス極の刺激が最大になる。

「最初はフェードインするように電流を強めているのは、口内に入れた際の刺激を弱めることが目的です。そして、マイナス極の刺激を維持してから一気にプラス極に反転させることで、刺激を強めました」

電気刺激による味覚の変化は、さまざまな研究者が模索している。しかし、宮下によると、複雑な電流の波形をコントロールする方式の研究事例は珍しいという。

このために宮下の研究室が開発したのが、味覚を刺激するための刺激波形デザインシステム「TasteSynth」だ。このシステムは、コンピューター上で編集した波形を電流として出力できるうえで、人体を経由した電流の波形が想定通りであるのかを検証することも可能だ。設定を記憶させておくこともできるので、先行研究に基づいた波形を簡単に呼び出すこともできる。

この「TasteSynth」を、宮下は「エレキソルト スプーン」を開発する際にも活用した。「楽器のシンセサイザーのごとく、味覚をつくり出すことができます。実は、わたしが修士号を取得したときの研究テーマは音楽教育でした。エフェクターやイコライザーなどの聴覚にかかわる概念を、メタファーとして味覚の研究に生かしています」と、宮下は語る。

「エレキソルト スプーン」のさまざまな実験機。味の増幅効果だけでなく、カトラリーとして使い勝手のいいものを目指したという。

「エレキソルト スプーン」のさまざまな実験機。味の増幅効果だけでなく、カトラリーとして使い勝手のいいものを目指したという。

Photograph: KIRIN HOLDINGS COMPANY, LTD.

味覚への電気刺激が未来を変える?

日本人が1日に摂取するナトリウムの量を食塩に換算すると、その中央値は約10.1g。これはWHOの推奨量の2倍を超える数値だ。それに日本人の約5割が高血圧の問題を抱えているので、塩分の摂取を抑える必要に迫られている人は多いはずだ。一方で、キリンホールディングスによると、減塩食をとっている人(または日常的に選ぶ意思のある人)の約6割が、食事に対して不満を感じているという。

この技術の開発をキリンホールディングスで主導したエレキソルト事業責任者の佐藤愛は、「大学病院で研究に携わっていたとき、減塩食を継続することの難しさについて医師や患者の方々から聞いていました」と語る。現場で感じた強いニーズが、「エレキソルト スプーン」の開発を進めるうえでの後押しになったのだ。

これに対して宮下は、新しい味を“創造”できる可能性ついても期待しているという。

「インクを混ぜるように化合物を調合して、味をつくり出すデバイスも開発しました。これに『エレキソルト スプーン』を組み合わせれば、味を動的に操作することも可能です。人類史上に存在しない味を発見できると思います」と、宮下は意気込む。つまり、化合物の調合に味覚の制御を合わせることで、味をつくり出すための表現の幅が広がったというわけだ。

「エレキソルト スプーン」の価格は19,800円。公式サイトで200台限定の予約・抽選によって販売されているほか、24年6月中旬からはハンズの新宿店、梅田店、博多店で数量限定販売が予定されている。また、6月1日と2日に先行体験会が実施される見込みだ。

まずは限定販売からスタートすることになるが、果たして消費者の舌になじむのか。こうしたデバイスが浸透していけば、近い将来、味覚の常識が変わることもありうるかもしれない。

(Edited by Daisuke Takimoto)

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