空気清浄機とワイヤレスヘッドフォンを一体化させたことで世界を驚かせたダイソンの「Dyson Zone」。一部の都市で深刻化する大気汚染への“解決策”のひとつとして開発された製品だが、モーターやフィルターのようなノイズを発生させる部品と、純粋に音楽を楽しむためのデバイスという相反する要素をひとつに詰め込んだことでも話題になった。
一方で、ダイソンのチーフエンジニアであるジェイク・ダイソンは、こうも感じていた。Dyson Zoneのために高度なノイズキャンセリング技術を開発したのだから、ノイズの発生源となるモーターと空気清浄機のフィルターを取り除いてしまえば、さらにアクティブノイズキャンセリング(ANC)の性能を高められるのではないか──。
そんな探究心から誕生したのが、ダイソン初のオーディオ専用デバイスであるワイヤレスヘッドフォン「Dyson OnTrac」だ。この新しい製品についてジェイクは、「ノイズキャンセリング機能が大きな強みだと考えています」と自信を見せる。
Dyson Zoneは本体に搭載した8つのマイクで周囲の音を1秒間に38万4,000回モニタリングすることで、ノイズを図書館の静けさの目安となる最大40dBまで低減すると謳っていた。これに対してOnTracは、Dyson Zoneからノイズの発生源となる空気清浄機の機構を取り除き、ノイズキャンセリングのソフトウェアをオーディオに特化するかたちで改良しているという。
こうしたノイズキャンセリングの技術は、ダイソンが長年にわたって騒音の低減に取り組んできた成果のたまものでもある。「ダイソンは約30年にわたり、製品の騒音を低減する技術開発に取り組んできました。わたしたちの技術開発における努力の20%ほどが、モーターや気流による騒音の低減に費やされていると言ってもいいでしょう」と、ジェイクは説明する。
その過程でダイソンが蓄積してきた音響に関する知見が、オーディオ機器としてのDyson ZoneとDyson OnTracの音づくりにも生かされた。中止された電気自動車(EV)のプロジェクトで使われたカーオーディオの開発設備やノウハウも、そのまま引き継がれている。「わたしたちは音響学の専門知識を有しており、大型の試験室も保有しています。だからこそ、ダイソンのエンジニアがオーディオに目を向けるのは興味深いことだと考えたのです」
その音質は、データに基づいて“最適解”を導き出すダイソンらしいアプローチを受け継いだものだ。Dyson Zoneのヘッドフォンとしての音質は「原音に忠実である」ことを科学的に突き詰めて設計されたが、Dyson OnTracも基本的には同様の手法を踏襲している。
「既存のヘッドフォンのなかには、音楽の特定のジャンルに焦点を当てている製品もあります。しかし、OnTracの音質は“自然である”と感じられることを重視しており、非常に汎用性が高くなっています」と、ジェイクは説明する。なお、音を鳴らすドライバーユニットはDyson Zoneと同じ40mmで16Ωのネオジムスピーカーを採用しているが、サウンドはリマスタリングされているという。
ユーザーが誇りに思えるデザイン
一方で、世の中に数多あるヘッドフォンと同じようなデザインでは、あえてダイソン製品を選んでもらう動機づけとしては弱い。そこでダイソンが重視したのは、個性を際立たせると同時に音質のよさも想起させるデザインだった。
「OnTracの開発に際しては、ユーザーが誇りに思えるような、オブジェとして大切にしたくなるようなオーバーイヤーヘッドフォンのデザインを目指しました」と、ジェイクは語る。「そのためのインダストリアルデザインに多くの労力を費やしています」
なかでも目を引くのは、その素材の質感とカラフルな色展開だろう。Dyson OnTracの本体カラーは4色展開で、ハウジングのアルミニウム製イヤーキャップ(カバー)は金属素材とセラミック調から選べるようになっている。別売りのイヤーキャップとイヤークッションは現時点で各7色が用意されており、交換してカスタマイズ可能だ。左右で別の色を選べば、理論上は数千通りのスタイルを楽しめるという。
デザインする際に特にジェイクが意識したことは、一般的な“黒いヘッドフォン”のイメージを打ち破ることだったという。「世の中に出回っているヘッドフォンのほとんどは黒いプラスチック製です。しかし、わたしたちは物体の感触や金属ならではの質感、ヘッドフォンの強度と品質が重要だと考えています」と、ジェイクは説明する。インスピレーションの源になったのは、あの日本メーカーの製品だ。
「わたしは1980年代にソニーの美しいカラーのウォークマンにインスピレーションを受けました。黄色いヘッドフォンのウォークマンを覚えていますか? 誰もがソニー製であるとひと目でわかり、自分のウォークマンに誇りをもっていました。このデザインにはレトロな要素があると同時に、音楽や製品に色を取り戻すという意味もあります」
金属の質感を強調したデザインにも、重要な意味がある。「これはエンジニアリング製品ですから、わたしたちはデザインにおいてエンジニアリングを表現したいと考えています」と、ジェイクは語る。「過去の高級オーディオ機器を見ると、最も美しいものは機械加工されたダイヤルを備えており、時代を超えたエレガントで美しいデザインでした。ですから、わたしたちは高品質なオーディオと、これらの質感やデザインを関連づけているのです」
例えば、金属の質感が特徴的なDyson OnTracのイヤーキャップは厚さ0.6mmのアルミニウム製で、プレス加工と高精度な工作機械による加工を12工程も経てつくられている。ジェイクによると、陽極酸化処理やセラミックコーティングなどの仕上げを試した結果だという。つまり、Dyson OnTracはダイソンが優れたオーディオの何たるかを科学的に突き詰め、そしてデザインで表現したヘッドフォンでもあるわけだ。
Dyson Zone、そしてDyson OnTracと続いたダイソンのオーディオ開発の取り組みは、今後どのように続いていくのか。この点についてジェイクに尋ねると、オーディオをダイソンの新たな事業の柱として強化していくことを明言した。
「ダイソンにとって真剣に取り組むべきカテゴリーです。今後数年間でオーディオ事業に1億5,000万ポンド(約290億円)以上を投資し、製品のラインナップを拡大していきます」と、ジェイクは言う。「これからの2年間で、ダイソンからさらに多くのオーディオ製品が発売されることでしょう。ダイソンのエンジニアリングの知見とデザイン哲学をオーディオの世界に投入することに専念しており、この市場でユニークな製品を提供できると信じています」
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