登録日:2009/10/17 Sat 20:00:06
更新日:2025/01/17 Fri 15:38:14
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この項目は
戦国時代の人物としての本多忠勝について記述しております。
ゲームや漫画等、創作での本多忠勝について、この項目に記述するか別に製作するかは各人の判断にお待たせ致します。
本多忠勝(1548~1610)は戦国時代の武将である。通称は平八郎。
プロフィール
三河国額田郡蔵前(現在の
愛知県岡崎市西蔵前町)で生まれる。
本田、では無く、
本多。本田、では無い。
松平家家臣として今川家に従属して居た。
彼が生まれる3年前に祖父・忠豊、生まれた翌年に父・忠高が戦死しており、忠高の弟である叔父・忠真によって育てられる。
初陣は桶狭間の戦い。この際、忠真に手柄首を譲って貰ったがこれに憤慨、直後に自ら武将を討ち取っている。
以後は徳川家の中核を担う武将として活躍し、
徳川四天王、徳川十六神将、徳川三傑の一人に数えられる。
桶狭間、姉川、三方ヶ原、長篠、小牧長久手、
関ヶ原と徳川家の命運の関わる合戦の殆どに参戦しており、まさに家康の懐刀。
関ヶ原以降も家康に信頼され、譜代大名では井伊家に次ぐ桑名10万石を有する大名になった。
桑名は主要都市の名古屋に隣接した東海道の宿場町であり、また東海の中でも大きな港町でもあったため交通の要衝であった。
そのためとくに信頼のおける忠勝を配したと考えられる。
就任後は藩政にも辣腕を発揮し、統治者としても優秀だったようだ。
ちなみに忠勝没後の江戸時代、本多家は数代ごとに各地を転々とする流浪の大名となり、また途中で当主急死→幕府の命で一族が後継者という経緯を辿ったため「10万石大名扱いながら領地は常に5万石台」という扱いに。
最終的に家康生誕の地「岡崎」を治める大名家として落ち着いた(一回離れたものの18世紀後半に返り咲き)。
★逸話
異名が多い。信長に「今張飛」、「花実兼備の将」と呼ばれた他、
三方ヶ原の戦い後、祝田坂撤退戦では殿を務め、敵の武田方より「家康に 過ぎたるものが二つあり 唐の頭(舶来品の珍しい毛皮)に本多平八」と称えられた程。
又、秀吉には西国の猛将
立花宗茂と共に「東の本多、西の立花」と称された。
本能寺の変が起こった際、家康ら一行は大坂に居た。
取り乱し、死ぬだの、今の人数で明智軍に攻め込むだの言っている家康を説得、伊賀越えを決意させたのが忠勝と言われる。
小牧長久手での池田・森隊への逆奇襲時には僅か500で主君不在の小牧山城を守り、
秀吉を
挑発するなどして、主君が奇襲を完遂するまで本隊を引きつけ続けた。
関ヶ原の戦いでは苛つく家康を宥め、西軍総攻撃の狼煙に毛利軍の動きが無い事から、彼らの内応を確信、戦線を押し上げる事を家康に薦めた。
親戚にあたる関係の
本多正信とは反りが合わず、常々「腰抜けがでかいツラしやがって!」と毒を吐いていたという。本多正信が自身とは異なる頭脳派系で、やや人を食ったようにも見える態度をとっていたことが原因であろう。
また正信は清州同盟締結の少しあとに起きた『三河一向一揆』において家康を裏切って一揆衆側に付いて敵対し、一揆終了後に大久保忠世の仲介で許されて帰参した経緯があるため、父や祖父の時代からの最古参中心筆頭・本多忠勝としてはどうあっても許せない気持ちがあったのかもしれない。
生涯五十七度の合戦に出て一度として傷を負った事が無かったという。
非常に軽装だったのに傷を負わなかったのに対し、井伊直政は重装備に関わらず常に怪我をしていたのを批判している。
もっともこれは井伊が先陣をきって突撃する癖も関係しているだろう。
アニオタにわかりやすく
スパロボの
スーパー系・リアル系で言うなれば、非常に軽装で当たれば即死だが、無傷で済んでいる本多忠勝はリアル系、逆に傷を負いながらも重武装で突撃していく井伊直政はスーパー系と言うべきか。
趣味は木彫りだったが隠居後、戦では傷ひとつつかなかった彼が木彫り中に誤って指を傷付けてしまう。
「傷を負うようでは本多忠勝もおしまいかな…」と呟いたとされる忠勝はその数日後、静かにこの世を去った。
歴戦の猛将も歳には勝てず、気付かぬうちに体が衰えていたということだろう。
武装は大鹿角の兜に黒鎧、斜に掛けた大数珠。
武器は槍「
蜻蛉切」。止まった
蜻蛉がそのまま真っ二つになったと言う。哀れな蜻蛉…。
この蜻蛉切は合戦や体調などにあわせて柄を取り替えてリーチの長さを変えて使用したとされている。
通常の槍が4mほどだったのに対して
蜻蛉切は6mという長尺であり、戦場ではこれを振り回して戦ったとされる。
上述の生涯傷を負ったことがないという話も、そもそも傷を負わせるくらいの近場に寄る前に槍で打ち倒されてしまうと考えると納得モノ。
それだけの業物を得物としていた事もあって槍術に関しても優れていたようで、ある日桑名で小舟に乗っていた忠勝は息子・忠政に刃も付いていない舟の櫂で葦を薙げと命令し、忠政は葦を薙ぎ倒したが、それを見た忠勝は自身も櫂を手に取って葦を薙ぎ、刃物でも振るったかのように刈り取ってしまったという凄まじい逸話も残っている。
次男の忠朝は大阪の陣で酒の飲み過ぎで不覚を取って討ち取られたと言われる。
また娘の一人「小松(稲)姫」は後の松代藩初代藩主真田信之の元へと嫁いでおり、その縁から信之の父昌幸と弟
信繁が関ケ原後家康によって極刑とされようとするのを懸命に防ぎ、流刑にのみ留めさせた。
出演作品
小説
ドラマ
- NHK大河ドラマ
2016年の『真田丸』では藤岡弘、、2017年の『おんな城主 直虎』ではかつて映画『ヤマトタケル』で主演した高嶋政宏が演じた。過去の演者も高田延彦等強面ないし肉体派の人物。2023年の『どうする家康』ではゴーカイブルー/ジョー・ギブケン役でお馴染みの山田裕貴が演じており、ゴーカイブルーと同じく寡黙かつクールで、剣術の腕も立つというキャラクターを演じている。
- センゴク
- センゴク天正記
- へうげもの
- 信長の忍び
無傷が自慢で、細かい傷には言い訳がましい一面も。それでも実力は戦国最強に恥じない猛者。
- テンカイチ
シリーズを通して振りは大きいが高パラメータの強キャラ。
OROCHIにも出演。
実は初代(無印版)はモブだったのは内緒だ。
家康の忠臣として幾度となく立ち塞がるが、本作は相手の体力を削って倒すアクションゲームなので
生涯無傷の本多忠勝にガンガン傷を付けられる。
1猛将伝で娘の稲姫と共にプレイアブル化。しばらくは徳川勢力の家康以外は彼らのみだった。
三國無双で言うところの呂布に近いポジションであり、専用BGM持ち。
4-Ⅱからは同じく
徳川四天王の井伊直政がプレイアブル化したことで、古参と新入りの息の合った掛け合いでお互いを鼓舞している。
なお、シリーズ初期は重装備の鎧武者といった風貌だったのだが、史実の忠勝が軽快に動いたため無傷ということを反映したのかシリーズが進むにつれてどんどん軽装になっていっている。
徳川軍の誇る機動兵器
通称「ホンダム」
生涯一度も傷を負わなかったエピソードをBASARA的に極大解釈し
攻撃しても一切傷がつかない鋼鉄の装甲を纏った人間なのか機械なのかわからん存在として登場。「戦国BASARAバトルパーティー」では実娘の小松姫が登場したので少なくとも人間であるのは間違いない。
支援ユニットを切り替えることによって援護形態・突進形態・砲撃形態・飛行形態といった様々な武装を切り替える戦法を駆使し、空を飛び電撃を放ちファンネルを展開する。
出演する作品間違ってない?
ついでに2のストーリーでは
城のカタパルトから上空に向かって射出発進するシーンがある。
「!!!!!!!」「!!??!?!?!」のような記号のみのセリフのみでキャラボイスは無いのだが、家康がいなくなれば誰よりもうろたえ、危険な目に遭わされれば誰よりも激昂し、褒められれば素直に照れるので感情表現は豊かな忠臣。
初期のBASARA1や2における敵の忠勝は操作武将が育っていない頃だとまったくと言っていいほどダメージが通らず、そのくせ被ダメはとてつもなく高いことから家康ステージの
トラウマとしてプレイヤー達に刻み込まれた。
初代「仁王」から登場。徳川軍に協力する主人公ウィリアムにとっては本来味方のはずなのだが、エドワード・ケリーの錬金術によって洗脳され襲い掛かってくる。
ガード不能の突進突きに体力の自動回復とやりたい放題だが、その分隙は大きく移動も遅い。正直ここまで到達できたプレイヤーが苦戦するようなボスではなく、「西国無双の立花宗茂と比べて弱すぎる」「本多忠勝として相応しい強さではない」と悲観するプレイヤーも…
続編「仁王2」は前作よりも前の時代を取り扱っているため、忠勝も若い姿での登場となった。あの姉川の戦いでの真柄直隆との一騎打ちも描かれているが、その内容は「霊石の力で鬼と化した直隆の膂力と強靭さに歯が立たず蜻蛉切を弾き飛ばされ、斬られる既のところで主人公に助けられる」という、いまいち格好の付かないもの。後の小牧・長久手の戦いでは主人公に同行するが、相方の服部半蔵ともどもすぐダウンするのであまり心強くはない。
一方でボスとして戦う場合は前作よりも強めに調整されており、中々に歯応えのある強敵となっている。
- 信長の野望シリーズ
徳川軍どころか全武将でも最強クラスの戦闘能力を誇る。作品によっては所持アイテムの補正を受けたり専用の必殺技を持っていたり彼一人の存在がゲームバランスや戦局を大いに変えるチート武将。
他、多くの歴史ゲーム
追記修正は、あらゆる歴史ゲームで本多忠勝をノーダメでクリアを成し遂げてからお願いします
- 忠勝と正信は親戚? -- 松永さん (2013-04-14 13:13:47)
- 姉川の単騎駆けのエピソードは創作かもしれんが好きだ -- 名無しさん (2014-02-08 19:48:38)
- ↑2 家系図的には繋がっている。近い親戚ではない。 -- 名無しさん (2014-03-09 15:51:19)
- 確かに武勇伝は凄いけど、将(指揮官)としての活躍は四天王の他三人と比べて殆ど聞かないよね。 -- 名無しさん (2014-05-23 19:56:22)
- 総大将や軍監として戦をするよりも、家康の近習として参戦してる事が多いからじゃね?逆に家康が出る戦での働きは比類ないしな -- 名無しさん (2014-07-15 22:05:31)
- 島津の撤退戦で愛馬「三国黒」を失っているものの当人は無傷という運の強さ。それと忠朝が酒飲んでたのは冬の陣で、死んだのは夏の陣だ。天王寺に墓所があって酒絶ちに御利益があるそうだ -- (2014-08-09 16:31:20)
- 馬射抜かれてなんで無傷なんだ・・・・(困惑) -- 名無しさん (2014-08-14 02:44:35)
- ↑3 確か関ヶ原で軍監として福島正則に同行してたかな。ただ少し三成への憎しみを煽るだけで、先頭に立って動いてくれたみたいで実に安心しただろう -- 名無しさん (2014-08-14 07:20:04)
- ↑2 受け身取って着地したんだろ。 -- 名無しさん (2014-10-27 10:42:26)
- 確か鎧や具足などから身長計算したら、あくまで推定だけど130~140くらいしかないんだっけ?>実は小柄 -- 名無しさん (2014-11-07 21:36:30)
- 鎧の身長計算については160台って話も聞いたわ。そもそも現存してる鎧が本当に彼の物かすら怪しいらしい。別に忠勝に限った事でもないが… -- 名無しさん (2014-11-29 20:47:12)
- 本多忠勝家は息子の忠政の代にかなり厚遇されてるけど、そこで家運を使い果たしたのか、御家騒動の連発で幕府に貢献出来なかったのがなんとも… -- 名無しさん (2015-06-15 23:12:56)
- 真田丸で演じている藤岡弘、さんは忠勝が一度も傷を負わなかった理由の一つに「部下が死に物狂いで守りたくなるような人柄」を持っていたんじゃないかなと考えているらしい。実際氏の演じる忠勝は最早愛おしいの域w -- 名無しさん (2016-08-28 15:58:59)
- 西国無双って言われた宗茂と酒を一晩飲み交わしたって話もあったんだっけか。忠勝の話を熱心に聞いたそうな…宗茂からすると亡くなった親父と忠勝は同じ歳だったそうな -- 名無しさん (2016-10-12 13:56:11)
- ↑関ケ原で浪人になって江戸にいた宗茂に色々気を使ってたり、家康に推挙したりしたんだよな忠勝 -- 名無しさん (2016-11-30 18:50:14)
- 指切った数日後に亡くなったからはぐれメタル呼ばわりされる戦国最強 -- 名無しさん (2020-01-19 01:55:21)
- 創作物でこの人をモチーフにした中での最弱キャラは豊田忠勝で決定かな -- 名無しさん (2021-01-26 18:46:21)
- 『戦国小町苦労譚』では、主人公に一目ぼれするコメディキャラにww -- 名無しさん (2021-08-18 11:13:43)
- 如何にも猛将な扱いが多い割に攻めよりも守勢の戦での活躍の方が多い印象 -- 名無しさん (2022-02-26 18:21:03)
- この人の役割って言うなれば家康の近衛兵長みたいな感じだからな。んで家康本隊が直接戦うような事態ってなったらそりゃ攻勢よりも守勢の方が多くなろう -- 名無しさん (2024-11-15 17:18:34)
最終更新:2025年01月17日 15:38